ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0254_マレーシアのトイレ事情

バンコクへ行くと感じるのは、

クアラルンプールはトイレが汚いということ。

おしなべて、ではあるが。

 

タイにせよマレーシアにせよ

日本と違ってローカルエリアへ

行けば行くほどにトイレは汚くなる。

 

多くの日本人には耐えられないような

トイレを私は今までに多くみてきた。

 

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いけのほとりにある男性用トイレの横で

壁も何もない隣でミャンマー人女性が

水仕事をしていたり、とにかくさまざまな

トイレを過去に経験してきた。

 

今日は仕事納めだ。忙しく仕事をする中で

この一年の振り返りなどをしていた。

 

その中でやはり、勤務先の工場のトイレは

目に見えないストレスだったなと気がついた。

 

まず、誰か知らんが平気で10分くらい占有し

個室のトイレの鍵がずっとかかったままに

なっていること、ようやく空いたと思ったら

流されていなかったこと。

 

あいつはそんなことしないと言える仲間は

10人以上いるのだが、誰がやったのか分からず

また他の同僚にぼやいても何も返ってこない。

 

だからどうしようもなく休憩時間にブログの

記事として残すことにしたのだが。。

 

海外駐在一年目の年末が来る。

とても華々しく活躍でき、成長でき、

さらには家族との海外暮らしも楽しめている。

 

しかし全てが完璧に望みどおりではない。

とくにトイレは、だ。ガッカリが多かった。

 

我慢するところはとことん我慢して

帰国の際に美しいトイレを楽しもう。

0253_交差点に飛行機

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ブログを更新する暇がないが

更新自体はしたいので、写真だけ投稿。

 

タイのとある田舎町で、交差点に飛行機が

止まっているのを見た。この近くに宿泊しており

幸運にもこの飛行機の持ち主も特定できた。

 

機械の納品でやってきた出張はハードだが

仕事をうまく完結させてお客さんに喜んでもらい

その分自分たちの時間を捻出して、

この飛行機を昼間にゆっくり見てみたい。

 

散文的になるが、今自分たちがやっている仕事は

納品5日目で通電、調整を開始し、できれば

明日にはお客さんに使ってもらえるような

テスト稼働にしようと目論んでいる。

 

ブログをやる気にならないのは、

私が寝ている時間以外の全てのウィルパワーを

段取りやトラブルシューティングへの調べごと

出張してない場合に対処している事務仕事など

仕事一徹でこの5日間を過ごしてきたからだ。

 

さぁ、しっかりといい仕事をして

仕事中にゆっくりできる時間を捻出しよう。

 

私は、火消しみたいな仕事が嫌いだ。

トラブルが起きないように全身全霊で

悲観的に準備をし、楽観的に行動したい。

 

0252_児童から感じる認知と個性

マレーシアにて家族で住み始めて3ヶ月。

ありがたいことに家族の誰も、一度も

腹を下したりホームシックになることなく

各人が他人に迷惑をかけず暮らしてきた。

腰痛を患っている私が一番足手まといだ。

 

先日、長女が通っている日本人学校の催し物を観覧するため、妻と長男とともに出向いた。

園児たちが歌ったり楽器を演奏する、

生活発表会という企画だ。

 

内容はとくに驚くことなく、一般的なもので、

児童たちの頑張りから先生たち保護者たちの

感動を誘うものであった。私はそれを見ていて

児童たちの注意力に差があるのに気がついた。

 

しかし年小クラスで約半分、年中クラスで

約三割の生徒は先生のことをとくに注視する

こともなく、ただただ演奏なり歌を歌っていた。

 

さすがに年長となると、周りをさりげなく見る

子が増えたり、先生のとこを全く見ないような

子どもはほとんどいなくなった印象を受けた。

 

先生の動きを見ることについて考察したのだ。

 

先生の動きを見て行動する子どもと、

そうでない子どもは、年小・年中とも

配列が大体決まっていた。両学年ともに

両端と、真ん中に位置する子どもは

ずっと先生のことを見ていたのだった。

 

先生にもそれなりの配慮があっての配列だが

もし「うちの子はなぜいつも微妙な位置なのか」

という疑問があるのなら、注意力を周りと

比較するのがいいのかもしれない。

 

先生のことや周りの友達のことにどれだけ

注意力や配慮があるかということは、日頃の

会話の中ではっきりとわかる。

 

今日は先生どんなこと教えてくれた?

何人の友達と今日は遊んだ?など、よくある

質問に対しての解像度は子どもの認知によって

異なる。筋立てて話せることや、時間や数字を

織り交ぜて話せることなど、1歳や2歳では

到底できなかった説明が3歳4歳ではできるように

なる。そこから個性が発揮され、

どんなことに美しさを感じているのか、

どの瞬間に一番笑ったのか。など聞いてあげれば

子どもは嫌でもよく考えながら話すようになる。

 

自分のことをうまく話せる子ほど、

周りのこともよく見える。私はそう感じる。

これは大人でも同じだろう。

 

認知は人の人生を決める。その認知は

家庭環境でまず決まる。暑いとか寒いとか

金がないとか、親がそんなことばかり言っている

家庭環境には子どもの美しい認知は育たない。

 

注意力のない子どもは逆に自分の世界を

早くに見つけるだろうから、一長一短だが

周りを見られるようになっていることは

誰かと成功を収めたい上では必須項目だ。

 

能力はなくても良いから、周りを見れる力や、

この人の言うことが正しいと信じて注視する

集中力を子どもの頃に持ってもらいたい。

0251_仕事が進むのと同じで

このブログの更新は頻度が減って

書き手の私は、毎日更新する気概を、

実務のものづくりとその前後の家庭に置いている。

 

暇ならこの時間にブログが書けるなぁ〜

と思いながら家族分の洗濯物を干したり、

仕事の資料作成に関する調べ方を休み時間に

したりしている。そこで気になる事象がある。

 

ブログの更新は、全くいい加減なわけだが

不思議とアクセス数が0にならないのだ。

これは単純に、不思議だと感じる。

 

仕事も同じで、私がテコ入れをした仕事、

例えば生産的に非効率な作業を発見し、

教えたいから一緒にやろうと言って、

同僚にショートカット方法や正確さを測る

術などを教えて、一度にしっかりと時間と

気合を投入してやった仕事は、忘れた頃に

その仕事を習得した仲間が他の仲間にそれを

伝播していて、教えようとした相手が

もう既に体得していることなどがある。

私が共有して欲しいと言ってないにも関わらず。

 

このブログの更新やアクセス数とそれは

技術的・物質的に関連するところではないが、

一つ共通するところがあるとすればそれは、

 

「過去に投入した想いは、継続することで

 何かしらの形でフィードバックされる」

 

ということだ。私はブログの神様になりたい

という想いは毛頭ない。ただ、記録のために。

頭の整理のために。将来長男が手に入れられる

娯楽のために。これをやっているだけだ。

 

しかしそこに愚痴や中傷や悲観を持たない。

時間をかける以上、義務感とやりがいがある。

美しい世界を見て、感じたことを書きたい。

 

仕事にせよ遊びにせよ、ただやってみることの

続きとして、もっと美しい境地に立ちたいと

意気込みを持てるようになるには、自分の中で

いつももっとうまくなりたい、魅せたい、と

思える思考と認知が必要だ。

 

それさえ身につければ何をやっていても

知らぬうちに物事は好転していくと信じている。

 

社会に対して思うことは、世界で活躍する

ことはさほど難しいことではないが、そのために

長い時間と情熱をかけて夢を追えば、という

当たり前のような前提がある。

 

そのために実践を続けた身として発信し、

誰かの学びや気づきに寄与できれば良い。

公開している理由は、同じ周波数で動く

国際思考の先輩、後輩の刺激になりたいからだ。

0250_緊急出張でタイヘ

クアラルンプールで仕事をしていて

夕方に「明日タイ行ける?」となり

早朝から緊急出張としてエアアジア

タイヘ来た。

 

クアラルンプール国際空港の、エアアジア

ターミナル(KLIA2)では省人化が進んでいる。

 

同僚が取ってくれた予約で、発券も終わり

渡された券を持って空港カウンターへ行くと

券売機で、預け荷物に貼り付けるタグを入手でき

そのタグを自分で貼りつけて、タグのバーコード自分でスキャンして、自分でコンベアに乗せる。

 

いわば好き出国スタンプを押してくれる税関

までは誰とも会話しなくても良い。なんなら

自動ゲートの申請がうまくできれば税関ですら

人を介さずに出国手続きができる。

 

世の中はどんどん進んでいる。しかしこれは

世の中が勝手にどんどん進んでいるよりは

なるべくしてなっていくのだろうという気がする。

 

エアアジアのターミナルは、人でごった返して

おり、働き手も客も床に置かれた荷物も、

カオスなイメージが2019年時点では強い。

東南アジアはまだまだ人口増が見込まれる地域で

旅行にお金と時間を使う人の数も多いので

これからも多くの人が関係することでこの

ターミナルは発展を遂げるだろう。

 

出張の内容を記録することは避けるが

朝7時にマレーシアの自宅を出発し、16時に

客先へ到着して、26時まで作業が続いた。

 

働き方改革、省人化。いろんな流れは感じるが

来たる未来の社会も技術者が必要とされ続ける

だろうし、嘆いたり気後れしたりせずに、

しっかりその流れの中で役割を全うしたい。

 

27時に帰宅した頃にはもはや、灰のように

なってしまっていたが、夜中に修理をした

後翌朝の安定した機械の動きを見て

自分はこの小さな嬉しさと達成感のために

自己犠牲を惜しまずにやっているのだと感じた。

 

長引く疲れはあるが、メリハリをつけて

仕事と家庭を楽しく切り盛りしていきたい。

 

歩いたばかりの1歳の長男も、いつか社会に

必要とされて空を飛び続けるのだろうか。

できるだけ苦労がないように彼を育てたい。

 

0249_製造現場の基本中の基本

仕事で基本となる報告・連絡・相談。

 

私がものづくりの仕事をしていて最も切に

感じる、基本的で徹底してほしいことは報告だ。

だが何も一から十まで報告をする必要はない。

 

ただ、仕事そのものが自分の裁量で進められる

ようになるまでに最も必要なことは、

仕事の依頼と、仕事が出来た報告の、

言葉の応酬だ。これが一つでも食い違うと

信頼関係が崩れてしまう。

 

ものづくりの現場で例をあげよう。

基本的な技術が身につくまでの間は、

新米技術者は難しい調整や、失敗すると

危険が及ぶ機械操作は任せてもらえない。

切削工具や、クレーン、フォークなどだ。

 

代わりに簡単な組立や部品の開梱など

アルバイトでもできるような仕事から始めるのだ。

 

大切なのは、この時の言葉のキャッチボールだ。

 

気を利かせたり関心のあることを質問したり

するのは成長のためや動機付けによいが

仕事を頼んだ側が求めているのは、まず

目の前の仕事が滞りなく進むことである。

 

サービス業や営業などの会話に重きを置く

職種なら初めからコミュニケーションを

どんどんとっていくことは有効だが、

ものづくりの現場では私語は求められない。

 

最も悲惨な状態は下記の通りだ。

 

・壮大なスケールで作業に関係ない質問をする

・仕事(作業)ができた報告がない

・分からなくて迷ったら思い込みに頼る

・分からないことで無駄に自分を責める

・失敗したら言い訳を考える

・我流でやって時間がかかりすぎ、結果できない

・次に何をすればいいかしきりに聞くが

 現行の仕事がいつ終わるか尋ねると分からない

・トイレに行ったら、無性に長い

 

何を隠そう、これらは私が自分の若い頃を

振り返って、それがダメだったなと自信を持って

反省できる内容だからだ。

 

そして最も大切なのは、作業が完了した報告だ。

 

仕事が完全に一人でできるようになるまでは

仕事を頼む側は難易度や所要時間、自分が

教えるために割く時間や作業順序など

たくさんのことを考えながら仕事をしている。

 

従って、最も不気味に感じるのは

仕事を頼んだあと、それがどのように進んで

いるか分からないという状態なのである。

 

失敗したら自分や周りに迷惑がかかること、

分かったのか分かってないのか分からないこと、

「こいつ大丈夫か?」と思われるなどは、

頼んだ側にも頼まれた側にも損な時間となる。

 

逆に優位なのは、頼まれた作業を黙々とやり、分からないところは分かるまで聞き、

失敗を正しく恐れた上でできたらすぐに

できたと報告する姿勢だ。

 

電気つけといてとかカーテン閉めてとか

そのレベルでも職人と徒弟の世界観では

電気つけました、カーテン閉めました。

という口頭での報告は仕事のリズムになる。

 

私の記録していることはあくまで私が勤めて

いる古風な製造現場でのことだが

おそらく芸能や軍隊や料理人の世界などでも

古いしきたりの残る世界では通じるだろう。

 

これが美しいと気づくのは、指導的な立場に

なってからだ。若いうちはどうもそれが

面倒で古臭いものだと忌み嫌ってしまう。

 

しかし、これらの基本は大切だ。

最初はうまく言葉を選べないかもしれないが

それは訓練の先にきっとよくなる。

 

時代が変わっても、頼まれたことをすぐやる、

できたことを報告する、失敗したら徹底的に

反省する。これからも大切にしたい考えだ。

0248_いつか住みたい街について

 

機械工でありイラストが得意なDAZAIFICの

至極のブログ、その名もガツンとゆるい所感。

 

このブログは、日本でものづくりの仕事に

従事する機械組立工員であり二児の父でもある

エンジニアが、海外で活躍できる日本人像を

考え、記録していくもので1000件を目標とする。

 

旅が好きで、決して理系ではない元ニート

ゴリゴリのエンジニアになって現在は技術者

としてマレーシアに駐在している。

 

その経過を謳っていることもこのブログの特徴だ。

 

ブログを始めた頃は、海外営業で働くも

挫折し、人事異動で工場勤務にコンバートされ

打ちひしがれながらも直向きに海外への道を

模索していた2017年の暮れだった。

 

そこから私は一切の妥協をせず、

マレーシアへ技術者として駐在で移ると決め

頑張った。なので今は住みたかった街に

夢が叶って住んでいる。SUUMOの特集?

でこのお題を扱っていておいて癖があるが

住みたい場所は目的から決めるべきである。

 

私はマレーシアの気候・人・文化が好きで

是非妻や子どもたちとここで暮らしたいと思い

またマレーシア工場での自分と会社の伸び代も

これはまたとない機会だと(勝手に)感謝し続け

結果的に余人に以って替え難しという人事で

大先輩からバトンを受け継いで異動した。

 

住みたい街には住みたい雰囲気がある。

そしてそこで毎日何をやりたいかということ、

長年かけて何を為しえたいかということ。

ひっくるめて自分がどうありたいかということを

叶えてくれる挑戦の土壌とリラックスできる

環境が整っているのだ。

 

私は住みたくない街も多い。

東京(関西弁が好きだから)や、

バンコク(英語が通じないから)などだ。

それは言語的側面からみて明確なこと。

 

他にも、エンジニアとしての職業面、

家族と豊かに暮らす環境面、など。

言語化して考えられる要素は多い。

 

しかし何よりフィーリングが大事だし

フィーリングを研ぎ澄ませるためには

夢を叶えるために飢えた心が必要だ。

 

そして、その目的地でどんな暮らしをすべきか

便利なSUUMOや不動産屋さん情報に頼れば良い。

 

間違っても目的もなく商業価値の高い物件を

(他人に動かされて)根拠なく憧れるということの

なきよう、自分の芯をしっかり鍛えてほしい。

 

今のところ、住んでいるクアラルンプール郊外の

シャーラムは最高に住みやすく、ありがたい。

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

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by リクルート住まいカンパニー