DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0186_不確実性の回避度合い②

不確実性の回避度合いが低いマレーシアと

高い日本のそれぞれの心地よさについて記録。

 

先日、髪を切るために美容院をネットで予約し

14:30の予約のために、Waze(Naviアプリ)で

40分かかるという情報を受け、確かに前回

行った時は40分で行けた記憶があったため、

1時間前の13:30に自宅を出発した。

 

マレーシアだからとはいえ、髪を切ってもらう

スタッフの方は日本人だったため、時間に

遅れないようにしようと気をつけていた。

 

ところが途中大きな事故渋滞にハマってしまい、

14:00の時点で到着時間が14:35になっていた。

まぁいいやろう、ちょっとくらい。

という後のことに配慮しないタイプの人間

だと来たる幸福も逃げそうだと思ったので、

お店に遅れますという連絡を入れたのである。

 

マレーシアの人や文化には随分なれたのだが

頭の中にはまだ日本で過去に経験した含蓄が

根強く残っており、電話連絡をしながらも

頭の中で「どんな風に言われるだろう」という

心配が少し浮かんできていたのである。

 

そう、日本ならごくたまに、

「約束時間の15分を過ぎた予約は申し訳

ございませんが、無効にさせていただきます

こちらはWEB申込時の際にも掲示されており

ますので、恐れ入りますがご理解願います」

というもはや磨くところのない玉のような

角のない正式な突っぱねをくらうことがある。

 

私がインターネット予約や知らない店への約束

を忌み嫌うのはこのような杓子定規な対応に

(自分に非があると悟りながらも)非常に残念な

気持ちになる経験が過去に何度かあるからだ。

 

日航空券取得を失敗して1800RM損したが

それはまた別の機会で憤懣をぶちまけよう。

 

さて、話は戻って電話に出てくれた若い兄ちゃんに

「14:30の私です、渋滞にハマって遅れます」

とシンプルに伝えたところ、回答は「OK」の即答。「どれくらい遅れるんか貴様は」

と詰められるかなと想定していたが、

「OK」だけの回答のまま3秒くらいの間があり

続く彼の言葉は私にとって衝撃だった。

 

「オー、もしかして遅れるってことを

知らせてくれたの?とてもありがとう。

無事に来てよね、気をつけて」だった。

 

即座に、無心に、親切な言葉。日本人なら

よほど時間的縛りのないイベントか、

親戚くらいでしか言えないだろうと感じた。

 

これに気を良くした私はその後の渋滞や

それを抜けて慣れない都会の立体高速道路を

間違うことなく順調に進み、14:40に到着した。

 

遅れてごめんなさいと一言お伝えをしようか

と思いながら美容室のドアを開けたところ、

受付をするカウンターに腰掛けたローカル

スタッフが、髪を切るためのハサミを使って

着ているセーターの毛羽立ちを切っている

ところだった。もはや遅れてごめんと言う

動議がなくなったので、そのまま予約の者です

と言って何もなかったかのように髪を切った。

 

不確実性回避の話をするにはもっと

中身のある仕事や航空便を使っての移動など

様々なシーンがあるが、言えるのは不確実性を

忌み嫌い、排除することは効率化の燃料になる

一方、優しく受け入れる気持ちやあるがままに

対応してみようというリラックスした時間を

犠牲にしているのかもしれない。

 

先述の「約束時間の15分を過ぎた予約は

申し訳ございませんが…」の対応も、それを

口にする人が開発した価値観ではなく、あくまで

日本人特有の病的な効率化の渦の中で競争し

感情を殺して効率を優先する社会の産物

として生まれた対応なのかもしれない。

 

何にしても効率が求められるからこそ

富は産まれるし、そこに難しさがあるからこそ

プロフェッショナルが育ち活躍できると

私は思っている。日本人ももっとゆるく

やりましょうや、なんて事は言いたくないのだ。

 

しかし、不確実性の回避そのものが美ではない。

集団で最高の成果を生み出すためにある

便利な道具だと位置付けて、不確実でも

良いと思えるところに寛容であるべきだ。

 

心の何処かで不確実性をあまりに嫌い、

あるがままを受け入れる心が萎んでいるならば

それは何か(海外で暮らすなどで)リハビリして

人間らしい感覚を取り戻していけばよい。

 

マレーシア人の無心の優しさには本当に

驚かされることが多く見習いたい。

 

私がマレーシアに来たのはある種の天命

なのかもしれないと感じた。良い考えは

どんどん自分の行動に取り入れていこう。