ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0321_車と家探しに費やす時間

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家や車を買うのには多くの時間を要する。

 

車を買うのに、即決できる人がいるとすれば

その人は普段から車をよく見る仕事か、

よほど買う車の仕様を絞ってきた人か、

よほどの研ぎ澄まされた直感がある人か。

それでも購入を決めるまでには細かい確認を

して、決済をして、という時間を必要とする。

 

私は過去に一度しか車を買ったことがない。

必要に迫られた状態かつ低予算だったので

予算重視で時間をかけて中古車探しに没頭した。

 

4人乗れて、高速道路を快調に走れればよく、

購入全体の予算は総額で50万円だった。

共働きで子どもが生まれる前だったために

生活に余裕はあったが、購入前に、月々に払う

だろうランニングコスト(ガソリンETC点検保険)を

綿密に算出して備えるなど準備を楽しんだ。

 

結果、納得のいく車を買えたのが2014年で

2019年の夏まで約5年間、買った当時から

1300ccの10年落ちという決して"良い車"では

なかったが、結果は"良い買い物"だった。

 

年間10万円払ったと考えると、子育てが

始まってからの生活はかなりその車に助けられ、

子どもの発育を助けるため、妻が便利に暮らすため

また旅行や通勤もでき、本当に買って良かった。

 

そんな私はちょうど駐在が決まる頃、

車の買い替えを考えていたのだった。

子どもが増えると、やはり車も大きく、

子どもが育つと、やはり家も大きくしたくなる。

 

結果、車の買い替えは先送りになり、

そして乗り続けた車は手放すことになった。

 

"どんな車も1万円で買います"の看板を見て

地元のスクラップ屋のような廃車が並ぶ、

中古車屋に車を買い取ってもらい、私の

車選びには一旦区切りがついた。

 

家は車の10倍の値段・サイズと考えたら、

家を買うのはもっと、慎重になるだろうと思う。

家を買うのに慣れている人を本当に尊敬する。

 

私はマレーシアに住み、そして生活では

会社から車を一台貸して頂いているので、

車選びも家選びにも、時間を使う必要がない。

 

ところが何の気なく、「もし自分が日本にいたら

どれくらい車探しに時間を費やしただろう」

という疑問を持ち、その日の気が済むまで、

中古車選びをスマホでしてみたのである。

 

結果、飽きた。もういいまた今度、となるまで

約10分間をその検索に充てたことが分かった。

 

私は自分の生活は暇がないと思って生きている。

しかし、その日のその10分は、おそらく

もし私が日本に住んでいれば、何回も繰り返し

消費されていた無駄な10分だったことと思われる。

 

それが車から、服になり、本になり、

悩み事の解決になり…私はインターネットで

週何十時間という、生産の源泉を捨てている。

生産の源泉、そう。かけがえのない時間だ。

 

しかし、インターネットにせよテレビにせよ

広告そのものがなくならない理由としては、

"購買意欲を掻き立てられる"経験は、多くの

人にとって喜ばしいことであるからだと思う。

そうすることでうまく回る経済がきっとある。

 

私の場合、車探しにうっかり時間を捨てることを

辞めれたことを喜ぶ一方で、バイクが欲しい、

自転車が欲しいとインターネット検索そのものが

終わることはないのだ。購買意欲はどんなに

欲を削いでも体が疲れても、残ってしまう。

 

なので無駄時間ゼロが正義ということでなく

"15分も捨てたのはもったいない。次は5分で

行動につなげられない調べごとは辞めよう"

という風に時計を見て制限をかけようと思う。

 

10分あれば子どもに絵本を何冊か読める。

その方がもっと未来に得られる果実がある。

 

どうしても寝られない、やることが無い、

調べたいことはある、という悪の三銃士が

夜中の頭に訪れるようなことがあったとしたら

インターネット通信を切る。そうにしよう。

そんな時のために瞑想を学んでおくと良い。

 

朝が来ればどんな心配事も調べ方も、

(それがお金をもらったり人に頼まれたりした

ものでない限り)自分を助けることは少ない。

 

きっとまたいつも通りの朝が来て夜が来る。

空から爆弾が飛んできて、住んでいる島が

吹き飛ばなかったことを日々単純に喜ぼう。

 

人が長期に渡って夢を見て、翻弄され

消費意欲を持ち疲弊する車探しと家探し。

 

喫煙や賭け事と同じくらい、その捨てる

時間は惜しいものだ、と私は自分を戒めたい。

 

他人がそれらに夢見て時間を費やすことには

社会的な距離を保つのがいいだろうが、

みんなが捨てている時間があって、自分は

それを捨てずに何かに没頭できれば、それは

人を助ける"個性"に進展していくだろう。

 

私の場合にそれは、このブログを書くことや

既に発信者として頑張っている仲間にエールを

贈ったり、ただ言葉もなく見守ることである。