0006_初めて笑った日
仕事で夜遅くなってしまって、
21時ごろに帰宅したところ、
3歳の長女がまだ起きており、妻と一緒に
生後2ヶ月の長男を一生懸命あやしている。
ところが長男は泣いているそぶりはなく
既にご機嫌そうである。なのに妻も長女も
わぁ〜とか、ぱぁ〜とか言って手を振ったり
色々な表情をして見せたりしている。
僕の帰宅に気づいた長女が、
今ね!赤ちゃんが笑ったんよ!と。
どうやら、初めて自分から笑ったようだ。
ご存知の方も多いかもしれないが
赤ちゃんは生まれてからしばらくは
見ることも汗をかくことも満足にできない。
生後3〜4ヶ月にならないと首が座らなくて
ぐにゃんぐにゃんの状態である。
それでも手を認識し、指しゃぶりをし、
少しずつ一つひとつの所作を覚えていく。
「じゃあ今日が初めて笑った日やね」
ということで家族の思い出がひとつ増えた。
大人になるにつれ泣くのも笑うのも
ある程度自分で制御するようになり、
その制御を一定時間続けることでそれは
制御しなくても自然な形で発揮される。
あの人はよく笑う。あの人は何があっても
泣かない。というようなかたちになる。
コンプライアンスや合理主義。いわゆる
制約に気づくことが多い現代社会であるが
生まれた時は泣くことしかできなかったのに
そこから笑い方や笑わせ方感動の仕方、
思いやりの持ち方を人とともに育んできた。
今日笑うことを知ったこの赤ちゃんが、
笑うことや泣くことを自ら控えるように
なってしまわないよう、自分たち家族で
しっかりと自己表現できる家庭作りをしたい。
とはいうものの、ものづくりのシビアな
世界でしのぎを削っている自分はというと
仕事の過程と成果に自己表現の場を持つ反面、
人間に無関心・無反応になってしまっている。
例えば、大事な局面で風邪を引いた同僚に
体調管理も仕事なのに彼はそれを怠った。
というような考えを持ってしまう。
プロフェッショナルの世界は厳しい。
でも、プロフェッショナル一辺倒の人生に
なって、赤子の笑顔の芽生えに気づけない
ようでは、足元の幸せを取り逃がす。
オンオフというか、自分がどの立場で
何を喜びにしているのか、しっかり整理して
日常生活を送っていきたいと感じた。