0009_3度目の転職活動を振り返る
2018年9月初旬、仕事終わりに
一本の電話が入ったのが始まりだった。
X社の海外営業職で求人が出ています。
貴方の経歴と転職希望の内容を見て
是非紹介したいのですが。登録する
転職エージェントからの電話連絡だった。
そこから二度の面接をクリアし
めでたく内定か?というところまで
進んだのが9月26日。現職の仕事の予定を
休日出勤などでなんとか工面し、
採用条件提示まではとんとん拍子だった。
しかし、そこからが思いがけず長かった。
内定がなかなか出ない。待てど暮らせど
欲しい連絡が来ないまま、ようやく来たのが
最終面接を行いたい。という連絡だった。
基本的に前向きに物事を捉えるようにしている
ので、3500人規模の会社の転職面接で
わざわざ社長や人事のトップが出てきて
再度面接が必要ということは、もしかして
転職直後の抜擢人事を見込むのか?
と気を揉む半面妙な期待をしたものだ。
転職エージェントの方は詫びを重ねるばかり。
実際他でもこんな例はあるらしいが、
内心穏やかではない日は続いた。
その最終面接が無事に終わり、
結果を受ける前にこのブログに
ありのままの気持ちを綴っておこう。
まず、何で内定出かけたのに稟議が
おりなかったのか⁈というところだが、
今まで不動産営業・通信事業・メーカーと
ブレブレなキャリアの軸を持っていることと
現職のメーカーでも製造部門・保守部門
海外営業部門とどれも数年で異動がある点が
「こいつ定まらん奴じゃないのか?」
という懸念に繋がったのだろう。
面接では各部門で頂いた数値評価や
実績をお伝えしたが、このコロコロと
キャリアを転戦してきた事実は
突かれるとえぐるように痛く感じた。
よく考えてみると、ワケも分からず
不動産営業を始め、辞め、ニートをして、
派遣社員をしたという、キャリアという名の
作品のオープニングで自分はかなり
入口でつまづいて転んで顔面に傷ができた
そんな顔でその後フラフラと世界を渡り歩く
機械エンジニアをさせてもらっている。
その顔の痛々しい傷は何か?
と毎回聞かれるのが日本社会なのだろう。
さぞ秩序の保たれた大組織なんだろうなぁ…
とキャリアについた見えない傷をさするように
電車に揺られて帰宅する寂しい夜だった。
結果がどうであれ、自分の今の目標である
エンジニアとしての海外駐在を目指して
明日も明後日も寡黙に頑張っていこう。
転職活動力は今回の経験でかなり身についた。
キャリア観についてや面接対策などは
プロ達が生業として情報発信しているが
私はアマを代表してツールや機関を使って
いかに正しく情報収集するか、どんな質問を
準備して臨むかなどの具体的戦術を
今後のブログのどこかで伝えていきたい。
普段はカジュアルなファッションで
6kmのサイクリングロードを通勤している。
自分の本音の一つに毎日スーツを着て
電車に揺られるのが受け入れがたい
そう感じる時期が長くあった。と回想する。
不思議なもので、新しい機会を目の前にし
電車通勤は大丈夫か?と自問すると
現在は当時ほど受け入れがたいわけでもない。
なぜなら、このスーツに満員電車の
サラリーマン像が過去の産物になろうとする
社会の動きを感じているからだ。
どんなに寂れた映画館でも閉鎖を
寂しく感じるように、一般的なサラリーマンの
時代の終焉を見据えてそれを楽しむのも
やり方次第では悦なものだろう。
戦いは愉快に続いてゆく。