ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0189_箸の持ち方と仕事・子育て論

イケハヤラジオを拝聴していて、

面白い講談があったので紹介したい。

 

VOICY イケハヤラジオ 2019年6月17日放送

「箸の持ち方炎上事件に思うこと。」

 

話の要約は、幼児教育か小学校の先生が、

生徒に向かって言ったことが下記の内容で

ネット上で保守派と革新派で対立炎上した、と。

 

内容:

箸の持ち方が正しくできませんと

お嫁にいせませんわよ、という指導

 

保守派はその通りだ!

革新派はうるせえよ!といった様子?なのか

 

毎回わざわざ断わって中庸と申し上げる

私にとってはどっちもどっちだなと感じる反面

 

もし本当にリベラルな考え方があるならば、

箸の持ち方を指摘されたことに噛み付くのでは

なくて、そんな尖った教育に感銘を受ける

こともできるんじゃないか、と私は考える。

 

これも十分に国際競争力のあるコンテンツだ。

箸の持ち方が美しく、玉の輿に乗った美しい

女性を探してみたり、または箸の持ち方は

際立った美しさはないが身なりや日本語は

美しくしつけている様子を披露したり、と

保守派が大切にしたい、日本古来の美しさを

訴求する術は箸以外にもいくらでもある。

 

指導した先生はさぞかし箸の持ち方について

造詣が深いのであろうが、歴史に精通しているか

また着物は自分で着付けられるか、

履物は誰もみていなくても揃えているか。

私が指摘された親ならその先生がいかに

日本的な佇まいのある方か、研究するだろう。

 

それはさておき、イケハヤさんが面白いと

感じて強調された保守派の意見の一つに、

箸の持ち方を教えないのは虐待だ!という

ものがあったという。これはたしかに面白い。

何回聞いても、妙な考察で、笑ってしまう。

 

虐待って簡単に言いなさんなと感じる一方、

本質的な虐待は何なんだろうか、と内省した。

 

私は革新にも保守にもなれると信じるので

革新的視点で捉えると、箸の持ち方を教えない

のは虐待じゃない。保守的に捉えると虐待。

 

虐待の要点は、社会で通用できない人格に

恣意的に育て上げることではないか。

と考察する。あくまでこれも主観だが、

社会で通用するかどうかなんて本人の努力だよ

というのが革新派の見解で、三つ子の魂百まで

というのが保守派の見解なのだとしたら、

私はどちらかというと保守派の色合いが強い。

 

学校の先生に文句は言わないだろうし

そんなことをツイッターを通じて披露しても

その子どもの教育になるものではない。

 

だが私が保守派に転じたのは内省した結果、

ものづくりに起因するという気づきに至った。

 

箸の持ち方はさすがに上司や先輩にとやかく

言われる筋合いはないが、厳しく美しい

日本のものづくりの現場では、工具の持ち方や

道具を美しく使う姿勢などが重要視される。

それがあって初めて日本のものづくりは完結

するのだ。昔から続いてきたことなので、

効用はないとしても机はまっすぐ配置したいし

床に落ちたゴミは誰に言われることもなく

さっと拾ってゴミ箱に捨てたい。

 

字が汚くてもヒゲが生えていてもいいのだ、

ただものを正しく使って、現場を美しく

保ちたい。それは仕事のやりがいに直結する。

 

おそらく一流の匠たちは、歯並びは悪くても

箸は正しく持とうとすると私は考える。

私も自分の世界観に独特の美を保ちたいので

箸の持ち方や食事の仕方、姿勢には気を配る。

 

そんなのしなくてもいいんだよ馬鹿野郎、

と言われてもそんなことはどうでもいいのだ。

自分の中にある珠を磨くのに人の手は借りないし

野次などあってもなくてもどうでもいいのだ。

 

箸の持ち方で見える世界がある、ということは

私のコンテンツにもできそうだ。

 

箸を使うタイ人や、手で食べるイスラム教徒

などと、日本人たまに箸の持ち方うるさいんやけど

おたくはどうです?という会話を楽しみたい。

 

無論、各国の一流エンジニアと、である。