ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0052_SDGsについて考える②

12/15にSDGs Dayに出席した中で、

教育面での分科会に参加した時の所感。

抽象的な表現が多くなるが記録に残したい。

 

断っておくが、私は特にSDGsMDGs

賛成や反対という判断をしておらず、

誰かが何かするのに使いやすいものなら

皆のためにいいね、としか捉えていない。

 

これは何にでもそうやって一旦距離をとって、

本質を見極めてから使う使わないか判断する

私の癖である。SDGsを尋ねられても今の所は

「いい考えですよ」としか答えないだろう。

 

話は戻って、SDGs Dayの分科会では

教育をテーマにした活動において、SDGs

考えをいかに取り込み、どう成果につなげるか

についてグループワークと発表を行った。

 

技術的な支援をする方や、子どもの虐待を防止

したい活動をする方などこれもまた様々な

活動領域の方とお会いできたが、運良く、

あまり身近にいない、教育に従事する方々で

世の中を良くしていきたいと熱い想いを持つ

組織の方々とグループになることがった。

 

おれが教育全体をリードするぜ!というのが

スタンスなのかな?と思って聞いていたが、

意外にどなたも指示待ちなのだなと認識した。

 

少し他責の念がある、という風にも感じた。

「学習指導要領の改訂なしにはできない」

という考えについて、覆しようのない力

のようなものを感じたからである。

 

私は学問機関で働いたことはなく、また

教育関連の事業に関心を持ち続けなかったため

学習指導要領に従わなければならないという

絶対条件がいまいち理解できないでいる。

 

なんだか熱い志をバサバサ剪定して切り落とす

ハサミのような印象を各組織の方のいいっぷり

から感じ取ってしまったものだ。

 

ともあれ現在はそのお堅い学習指導要領の

中にもSDGsを推進する項目は明記されている

らしく、世の中の流れは今後、よりこの概念を

理解すべきだというふうに動くだろう。

 

国連が提起したSDGsの概念である。

カタカナ語が急に入ってくると戸惑うのは

大多数の東アジア人なら共感できることだ。

 

いっそ「SDGS,現代版三方良しの思想」として

近江商人の考えの素晴らしさに回帰するよう

行政がしむけるのもいいのではないか、と

UNDP高官の方のプレゼンを聞いて感じた。

 

このような国際的共通認識というものは

知っているかどうかがまず第一段階であるが

案外第二段階は、実践するしないではないと

私は考えている。実践している自分の現在の

行動に、その発想を当て込めることができるか

ということが大事だと私は考える。

 

LGBTQも頻繁に耳にするようになり

個人的にはなんだか日本人には妙な文化だな

という気持ちはあるにせよ、LGBTQの問題は

そもそも自分には関係なし、としても良い。

 

関係があるのは行政サービスや、空港ホテル

など多様な人種を受入する仕事であったり、

一部の医療関係者や教育関係者などで、

社会全体で認知度を上げていく必要が

あるかどうか、考えた上で捉えるべき概念だ。

 

どんな個性を持つ者も社会で活躍できるよう

気配りをして差し上げる。これだけである。

 

それが性的に少数派だろうが何だろうが

関係なく、仲間外れや差別はダメである。

相手が何者か分からなければ聞けば良い。

 

誰にでも親切に思いやる。一般人にとっては、それだけだ。マレー人がお祈りをするから

お祈りや摂食制限などのイスラム文化なども

来日者数が増えているので認知や気配りが

必要だが、これも関係する対象者だけが

しっかり対処すれば良いもので、社会全体での

認知度がどうとかそういうことではない。

 

話はそれたがSDGsがより世間で知られる

ようになるころには、おそらくテレビや

ラジオなどの大衆メディアで取り扱われる

こととなるだろう。

 

SDGsは、中身を詳しく知らなくて良い。

ただたんに、地球にも人にも優しく、

ずっと続けられる事業に従事することは

望ましいことである、それだけである。

 

働くことや他人と何か継続的に行う際は

どうかこの「持続性」や「関係者や周囲への

配慮」が伴った活動なのかを見極めてほしい。

 

引き続き、国際的視座を高めるため、

学んだことを共有していきたい。