ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0143_マレーシア工場エンジニア物語

大きく二つのエピソードがある。

題材は、マレーシアで共に約4ヶ月働いた、

インド系のマレーシア人、P氏。30歳。

 

1、出会いとその後の4ヶ月

 

彼を4人チーム入れた工程は最初の1ヶ月、

かなり辛かった。何より、仕事に来ない。

 

態度がどうとか技術レベルがどうとか

そういうことを正すのは自分を律すれば

時間をかけたら何とかなるのだが、

急に仕事に来ないという状態を予期しながら

厳しい工程をやりくりするのは、本当に

不安と苛立ちが多く募る期間だった。

 

「車の調子が悪くなってきているから帰る」

とか「(具体的に内容を言わず)Sick」だとか

お前30歳までどんなぬるま湯に浸かってたのか

と檄を飛ばしてやりたくなるような日々

だったが、存外。マレーシアと日本で

決定的に違う文化は、怒ると負けである。

怒ることは、愚かである。愚かであると

誰も距離を縮めようとしない。そんな

由々しき文化がある。

 

しかしそんなことは知らず私は

初めて技術指導で渡った2017年8月。

檄を飛ばして飛ばして、もういっそこの野郎の

首まではねてやろうかというほどに憤慨した。

(表向きは可能な限りにこやかにしていたが)

 

自分の大失敗の大量のやり直しを

余儀なくされた日の夕刻の定時に、"ボス、

今日はいつものフットサルに行っていいか?

一体どうしよう。何か残業時間にしなくては

ならないか?"と尋ねられ"お前のミスをお前が

片付けるまで電気が消えても帰らずやり続けろ"

という日本的な叱咤激励をグッとこらえ、

僕がやっておくから大丈夫。けど本当は

自分のミスは自分で直すのがベストだね。

と言うと、sorry…と言い帰った日があった。

寂しく一人でかなり単調な作業を延々と

(遅れを取り戻すために)し続けたことを

今でも鮮明に覚えている。わめき散らしたりは

しないが、いい顔をできないような相手だった。

 

しかし彼の人間性全てが悪いわけではない。

タバコを吸うのに、Can I borrow you one?

と言ってあいつはタバコを吸いにきても

タバコを持っていることがほとんどないという

しかも貸してくれる?て何やねんという

喫煙メンバーの愛のこもった陰口を聞き、

無邪気な奴だなと好感を持ったこともある。

 

ともあれ、彼はできの悪い男だった。

しかし、忠誠心があり分かりました、

やります。という誠実さがあり、かなりの

体力があるので、夜遅くまで仕事が見込まれる

緊急出張に名指しで連れて行ったこともあった。

 

2、一年会わない間に

私の駐在が決まり、マレーシアへ渡って、

彼が元気に今も働いていることを知った私は

とにかく嬉しかった。おそらく辞めるだろうと

流石にゆるいマレーシアでもクビかそれに

値する評価を下されると予期していたので

彼が工場にいて、Welcome backと言って

くれた時は本当に心がぎゅんとなるほどに

私の働くことに対する情熱は一気に高ぶり

苦労を超えて今は成長したのだろうな…と

感慨深く彼とまた仕事ができることを喜んだ。

 

元々ビール工場で働いていた彼は、

元同僚に呼ばれてビール工場内のバーで

タダで飲みまくれるチャンスがあるんだよと

出張中の雑談で教えてくれたことがあった。

その時、私はとてもそれが羨ましくて

私も誘ってほしいとお願いをしたのである。

「次は駐在として来るからそん時呼んでよね」と。

その願いは現実に一気に近づいたのである。

 

私は、彼にビール工場に誘ってもらいたいことを

(図々しいが)はっきり覚えていたため、

彼に日本酒のお土産を渡した。

それも一年前の、約束だったのだ。

 

彼ははにかみながら日本酒の飲み方を私に

尋ねてきて、和やかに数日間同じ工事で働いた。

 

ところが、私が赴任した週に辞めたのだ。

やめる前の最後の一言も何もなく、辞めた。

私との最後の会話は、日本酒に水や氷を入れて

飲むのか、それともただ冷やして飲むのか

ということだった。

 

私は成長した。そんなことにもう動じない。

それに、グワンシと言って、彼との関係性は

完全に絶たれたように見えても、いつかはまた

何かの縁で繋がっていくのだ。

 

なぜかって、彼のようにぶっ飛んだ人間からは

本当に学ぶことが多い。子育てに近いのだ。

 

子育てなら自分本位である程度結果を導けるが

ゆるい大人とのハードな仕事(ましてや海外)

となると、脳内で使うパートがあちこちあって

とてもいい刺激になるのだ。だから彼本人に

この経緯を話してありがとうとは言わないが

私は感謝している。

 

一番良いのは私が赴任を機に、彼を一人前の

エンジニアにしてあげることだったがそれは

自分本位な望みであって本人の幸せではない。

 

本人の幸せを尊重しつつ、波長がぴったり

合う仲間とはとことん成果にストイックに。

マレーシアでのものづくりライフを楽しもう。