0255_忘年会スルーに物申したい
マレーシアに転勤してから初の年末。
忘年会スルーという言葉を聞いたのは
ネット記事で、12月に入ってからだ。
確かに分かる。忘年会は煩わしい。
幹事を任命された日には青ざめるし
出し物があるなど、正直理解しがたい。
やがてお花見スルー、盆祭りスルーなど
どんどんなくなっていくんだろうなと感じる。
弱い奴が参加できないのは仕方ないと思う。
夢を追っている君が、憧れの舞台にいるなら
歳末の挨拶や年始の挨拶は軽視しないだろう。
どの記事を読んだのか忘れたが、
忘年会スルーの理由に、"飲み過ぎによる
会社情報の漏洩の危機などのリスク"とあった。
管理する方は本当に大変だろうな、と感じる。
私はマレーシアにいて、Year end partyに
参加させてもらったが、これが本当に…
情けないほどメリハリのない会だった。
時間通りに始まらない、司会もない、
酒は飲まない(これは仕方ない)、
席を立って一年の労をねぎらう文化がない…
日本の忘年会スルーの行く末がもしこの
マレーシアのYear end partyだったら
どうしようと恐ろしい気持ちになった。
おそらく、私が憧れているお笑い芸人の業界や
それ以外も芸能、芸術など、夢を追って
切磋琢磨する業界には厳しいしきたりと、
節度ごとのイベントがきっちりと執り行われて
おり、そこで粗相のない優秀な人物が
若くしてチャンスをつないでいくのだと思う。
飲みすぎて会社のパソコンをなくすような
人間は悪いが忘年会スルーの前に、入社させた
会社の見る目が明らかになかったか、
会社の風通しの悪さなどで元はまともだった
人間が陳腐化した(酒で節度を守らなくなった)
のかどちらかではないか。
私は日本の忘年会が非常に恋しい。
それは、一生懸命仕事をやっている中で
どうしてもぶつかり合ったり、恩を受けたりで
改まってお礼をいう機会が欲しいからだ。
そうしないと、ホッとした気分で一年を
締め括れない。もちろん、社長から新人まで
全員に顔を合わせて話せることはないが
それでもあの人とお互いを労う話がしたい。
という気持ちは忘年会にぶつけるのが一番
いいのだ。心から感謝している仲間がいる。
感謝されることもすることもできない人間は
スルーされているから、忘年会をスルーする。
一緒に頑張っている仲間が好きで尊敬できる
たくましいチームなり組織なら、時間をとって
美味しいものを食べたり楽しい時間を共有して
その一年を美しく締めくくるのがいい。
まず、感謝し尽くすことがいいと思う。
元々は私はニートだったし、大学生の頃から
忘年会スルーに激しく同意するような
夢も情熱もないくせに自論があるタイプだった。
今は違う。叶えたい大きな夢がある。
だから謙虚でなくてはならないし、
感謝すべきたくさんの仲間に支えられている。
変わるべきはいつも周りでなくて、自分だ。
甘い考えを絶って、忘年会を楽しむ気概を
少なくとも25歳より若い君には持って欲しい。