ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0315_疲れが吹き飛ぶ言葉

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聞くと誰もが、疲れを吹き飛ばせる言葉。

そんなものは、ない。

 

そんなものは個人から個人への言葉で

あるので、ブログでこれですと言えるものではない。

なので個人的な体験として、記録したい。

 

マレーシアでの活動制限令が40日ほど経ち

4月30日から私は運良く職場復帰できた。

 

現在は段階的な規制緩和ということで、

朝夕の通勤における渋滞も、残業もない生活だ。

 

これはとても心地が良い。

しかしながら疲労困憊である。

 

それはなぜかというと、私が作っている機械を

首を長くして待っているお客さんが大勢おり

そのために"出荷"に追われているのだ。

 

ようやく一つのプロジェクトが出荷まで

行ったかと思うとまた新しいシステムを作り

出荷日が迫ってくる。時にはゆったりとして

毎日のんびりやれば追いつくペースでやれるが

私は職責上、システムの調整と仕上げを行うため

この仕事は何時間あればできる、という

明確な線引きが難しい。人間が作り、人間が

電線を準備し配線し、人間がプログラムを組み

人間がインストールし、立ち上げる機械だ。

人間がやることなので、いつも何かある。

 

そんな時にはなかなかエラーの解除や、

不具合の解消に時間がかかることがある。

その時間は私にとってかけがえのないものだ。

 

日本と違い、マレーシアの上司は私が

一人大ハマりして残業が長引いてもとくに

あれこれ言ってくるタイプの方ではない。

長くマレーシアの地で戦ってきたので不具合が

(日本より)多いことを知っているのだ。

 

さて、そんな私にとって、残業がいくらでも

できた環境は、ある種、温室だった。

時間さえかければ一つ一つの因子を確認して

問題を解決することができるからだ。

(もちろん対応時は楽しいとは感じないが)

 

今の辛さは、時間のなさである。

制限活動令下にあって残業ができないと、

遅くまでやっていることに背徳感を感じる。

 

とくに規制が厳しいわけでもないのに、だ。

これは、"長く時間をかけて自ら苦労して

その分成長して評価もされる"時代を自分は

過ごしてきたのだという実感につながる。

 

さて、この疲れた体と心に鞭を打って

朝は7:00前に出勤をするのだが、今朝は

1歳8ヶ月の長男が泣きながら起きてきた。

 

妻がお弁当を作ってくれていて、ベッドに

いないことに気が付いたのだろう。

妻がベッドに戻ると泣き止み、私は長男に

バイバイ、と言った。すると当たり前だが

長男も顔をくしゃっとして眠そうにバイバイと

言ってくれた。

 

このバイバイごときに私の疲れは

なぜか吹き飛んだのである。本当に不思議だ。

 

子育て自慢、仕事頑張り自慢、浮き沈み自慢。

共感も教訓も伴わない発信で恥ずかしいが

"大切な誰かのちょっとした挨拶だけで、

朝の元気が出ることがある"というのは

私にとって良い気づきとなった。