DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0048_気づけない人を気づかせる改善

VOICYのサウザーラジオを拝聴しており、

第223話の見える人と見えない人について

解説なさっていたのが非常に腑に落ちた。

 

序列確認を好み、新しいことを生み出す

胆力のない人と、いつも建設的で創造性を

持ち続ける人、この二者は相容れない。

というのが話の大筋であった。また、

人間の頭の良さは階層で分かれており

離れた階層の人間同士では会話の

目的が合わず、噛み合わなくなる。とも。

 

なるほどなと感じたのは、私が仕事において

これは問題。として確認や対処していく際に、

本質を見抜かずに、誰かの指示だとか

昔からのやり方だとかいう目先の事情で、

改善を受け入れてくれない層がいることだ。

 

私は、理解しているが拒絶されているのか

と思って懇切丁寧に説明したが、それでも

気づかない人もいる。そんな人は若くても

ベテランでも、基本世間話以外はしない。

何か目的を伴う行動がともにできない。

と判断するからである。

 

それでは、気づいた問題点をそこで放置するか

といえばそれもまた負けたようで嫌である。

自分が全く関与しない業務であったとしても

非効率であったり、周りに多少良くない影響を

与えるものについては強気に提言する。

 

勤め先には改善提案制度があり、私はそれを

ライフワークとしている。他の企業では提出に

ノルマがあったり、また報酬制度があったり

様々なようだが、私の勤め先では内容も参加も

個人の自由で、どんな成果をもつ提案でも、

一律一件200円の報酬が月ごとに支払われる。

 

こりゃ言ってもダメだなと思ったときは、

慎重に言葉を選び、背景を確認した上で、

改善提案で以って社内供覧される公式文書と

してアウトプットするようにしている。

 

気づけない側の人間の多くは、おそらく

思考停止している状態である。例えば部屋の

天井から一滴の水がしたってきたとしよう。

 

最も気づける人間は、何の気なく見上げた

天井にシミができているのに気づき、

上で何か起きているのかを想像し、

シミの真下に新聞を敷いたりタライを

用意したりして、何かしら備えるだろう。

更には即座に上の階に行き、様子を確認し

被害を防ぐ対処ができる人もいるだろう。

 

最も気づけない人間は、一滴、二滴と

水が落ちてもなお知らんぷりをするか、

はたまた水が滴どころではなくなるまで

本当に気づかないか。要は何か起きている

変化に対して受け付けるのが遅いたちである。

 

両者ともに周りで起きた出来事が同じでも

結果は同じではない。気づいたかどうかで、

または善処したかどうかで結果は異なる。

 

私の勤め先では古風な文化と相対して、

社内文書を紙からデータに、Googleを活用

したり、画像処理技術の応用を製品に取入れ

たり、進んだ技術は取り入れる企業である。

 

それなのに中には「それは聞かされてない」と

学校の生徒のようなことを言う者がいる。

学校を卒業して間もない社員には正直に言う。

 

「変化は本来自分で感じ取るものであって、

知らされて当たり前のものではない」と。

もちろんルールが変わったり予定が変更され

たり周知が必要なものに知らされたい欲求を

持つのは、これは思考停止ではない。

伝える側も変更に関しては責任を負う。

 

しかし変化とは、大きな流れの中にある。

変化そのものは普遍的なものであるため、

花が咲いたり葉っぱが枯れたり分かりやすい

ものもあれば、年輪が少しずつ太くなるなど、自らが変化してますという兆しは様々だ。

 

変化が組み合わさった結果、変更や変革として

流れが変わる起点となる。木の枝に花が咲き、

外気温が高く晴天になったことを起点に、

人が木の下に集まるようなことである。

 

私たちはその花が咲くことを予期したり、

蕾が膨らんでいたりすることに気づいたり

あるいは、全く見ていなかったりする。

 

気づくべき変化は他人に教わるものではない。

自ら気づき、自ら対処するものである。

 

そして、気づけない人を気づかせるには

変化を視覚化する、または変化に気づけない

ことの恐れを示す。変化に気づける豊かさを

身をもって表現するのが良いものである。

 

私は南の島でボランティアをしたことがあり

その際、村の子どもたちはゴミの捨て方を

知らなかった。そもそも電気もガスもない

村で、ゴミという概念がなく、使わないものは

みな土に還ると思っていたのだろう。

 

私はプラスチックや缶などは一箇所に

まとめるよう何度も説いたがなかなか

みんな言う通りにしてくれず、閉口した

私を笑いながら見ていたドイツ人が、

俺を見ておけと言い、子どもたちを連れて

ゴミを探し、拾い、捨てるところに捨て、

口ではこれをやれとだけ子どもたちに言った。

 

そして私にはLearning is doing.と言った。

学ぶことは、行動することだ、と。

以来これは私にとって子育ても仕事も、

身をもって伝える姿勢として確立され

その意思は周りにも電波しつつある。

 

気づけない人を放っておくのは、簡単だ。

しかりそれでは味気ない。気づけない人を

気づける人へと転化させていく活動はまさに

エンジニアリングである。

 

他人とはいえ、問題を知りながらも

何もできないのは悔しいと感じ続けたい。