ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0309_コロナ鬱についての所感

コロナ鬱について考えてみた。

 

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コロナ離婚という言葉、そしてコロナ鬱という

これらは外出禁止が始まった2020年3月の下旬には

聞かれる言葉であった。当時感じたのは、

「元からあったリスクが現れただけだろう」

と、それくらいのものであった。

 

仕事に重きを置き過ぎて家庭での居場所を

男が失うと、家庭のバランスが崩れる。

それだけのことだ。自分はリスクの存在を

知らなかったが、家で家事をしたり、

ワークライフバランスについて子どもができてから

深く考えて仕事をしてきたこともあり、

自信があった。

 

しかしこのところ、どうも気が重い日が続く。

これは気が重いだけで、コロナ鬱ではない。

マレーシアは日本に比べて制限令がとても厳しく

日本でそれを知った友人たちは心配の声を

かけてくれていたので、何とか自分を保ってる。

 

ところが、外出禁止となる前の普通の生活で

朝起きていた時間に体がうまく起きないことや

仕事のことを夜夢に見たり、規則正しく、また

孤独でもない、更に仕事は多く待たされず、

正直何もしなくても良い、そんな私ですら

何か体調と心境に変化を感じ始めている。

 

新しく仕事が始まることへのプレッシャーか、

はたまた仕事をたくさん抱えている日本人や

マレーシアの同僚、上司の業務日報を見ること

が自分に焦燥感を与え続けているのか。

 

結果冷静になって、コロナ鬱のことをよく考えた。

安直にGoogleでコロナ鬱と入力し、何か参考に

したい記事がないか見たところ、私が目にした

のは、アスリートたちがコロナ鬱に陥って

いるのでは、という時事通信からの記事だった。

 

確かに、なるほど分かった。と理解ができた。

最初の数週間はきままに、電気配線を美しく

まとめたり、エアコンのフィルターや天井の

ファンの掃除をしたり、家のための仕事があり

それに頭と体を使うことで「はたを楽に」できた。

 

ところが今は掃除、洗濯、買い物など

「生活をする上で通常発生する仕事」以外に

できることが減ってきた。子どもとの遊びも

一周して、この生活はもはや「当たり前」

となってしまった。それにもかかわらず

世の中にはたくさんの困った人がいるし、

妻は1日に3度の炊事から逃げ出すことはできない。

 

自力で、"これまでの困った状況を打破する"

活動が減ってきたのである。日本の元上司に

なんとなく連絡を取り、製造の道具や作業を

英語にして一覧にして欲しいと頼まれたので

簡単に行った。その時はとても高揚感を感じた。

 

やはり、自分の力で誰かの困りごとのために、

やってきた時間があまりに長かったことが

今のストレスがあまりにない生活との歪みを

生み、心的な過重となったのだと考察する。

 

サッカー選手もお笑い芸人もたくさんの

一流と言える人がオンラインで個人相手に

メッセージを打ち出している。彼らは

お金が欲しい、仕事が欲しいという前提より

"今まで通り目の前の人のために自分の力を

振り絞りたい"のだと思われる。

 

研究者に近いような、リソースもコミュニケーションも

機械的な環境も、何も変わりがない人ならば

コロナ鬱、にはならないだろう。

 

コロナ鬱を感じたら、それまで関わっていた人に

自分からアプローチし始める時が来ている

ということではないかと私は考える。

 

幸い、それを叶える環境は容易に手に入る。

自分を評価して欲しい、とか、自分にできることを

明確に、とかそんなことよりもまずは、

コロナの社会的な変動を機に疎遠になった人を

思い返して、連絡をとってみることだ。

 

もともと誰とも進んで自分から連絡するたちでは

ないならば、尚良い機会でもあるだろう。

 

やはり"外に出られる時を待つ"姿勢は

自分をより苦しめることにつながりかねない。