DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0149_令和の時代に馳せる想い①

令和の時代に、しがない勤め人として

または二児の父として断言したいことがある。

 

やりたいことを空想する時代から

やりたいことは今すぐやれる時代へと

時代は変わったとここで明確に捉えよう。

 

心の芯の偏りによる他責や言い訳をなくせば

今すぐ何でも始められる時代になったのだ。

 

過去にとらわれる必要はないが、参考として

私の内省を踏まえて過去と現在を考える。

今回は過去がどうだったかに焦点をあてたい。

 

雑誌「致知」の中に書かれていた表現。

"今の子は迸るような情熱が足りないように見える。

若い時に覚えている出来事で、学生の頃友人が

好きな子に会いたくて、気持ちを抑えきれず、

壁に逆立ちして好きな子の名前を叫んでいた"

と、キャリアの長い作家の方がそう記していた。

 

今の世の中、好きな子がいたらビデオ通話や

好きな子を魅了するためのあらゆる消費行動は

携帯電話一つで何もかもまかなえる。

 

なんなら、壁に逆立ちして告白する

動画を発信すれば相手の記憶に残せ、また

心を打つような映像コンテンツとなれば

他の誰かの行動をも先導できるかもしれない。

 

昔はそれがなかったのだ。だから逆説的に

会えないこと、つながらないこと、情報が

制限され、乏しいことに対する渇欲が強かった。

 

今の世の中の便利な側面の反作用として、

その渇望・切望・熱望する植えた心が

日常生活で醸成されにくいということだ。

 

蛇足だが私の経験として、中学高校と部活で

バレーボールをしていたことを例にとる。

 

どちらが良かったかといえば高校時代だった。

 

なぜなら体育館は広く清潔で、学校は平和、

レーニングルームがあり、体育科があるので

他の競技の仲間も多く、漫画のような青春時代

であったことが美しい思い出となったからだ。

 

ではなぜ高校時代が美しい青春になったか。

中学時代が地獄の逆境だったからだ。

給水機がない、体育館が狭い、ヤンキーが

吸い殻をあちこちに捨てる、強い部活がない、

そこにバリバリの暴力系監督が赴任した。

殴る、蹴る、監督も体育館でタバコ吸う、

練習スペースがなく週の半分は外で練習。

疲れて倒れこむと砂が口の中に入る。。

とにかく体育館を使えず他校に行きまくる。

 

結果、公式戦0勝の2年の春から一年で

京都市内でベスト4になった。しかし私は同じ

地獄の練習をしているのに、スタメンでなく、

"辞めたら地獄で終わる。この苦労は絶対に

高校で花咲かせてやる"と渇望し進学したのだ。

 

なので高校時代はスタメンにもなれたし

何より給水機で水を飲めることや、練習終わり

に体育館でストレッチができる3年間を

毎日有り難く思い続けたのだった。

 

今の世の中で口に砂が入るとか、物凄い

実績がある名監督が来たけど部員を殴るとか

そんなことに我が子が巻き込まれたら、

「部活だけが人生じゃない、辞めてもいいよ」

と言うだろう。その前に監督と話すけど。

 

逆に殴られても地面を這いつくばってでもいい

一年間でみっちり基礎練習をして強い精神を

持てる選手になりたい、と願っても初等教育

ましてや公立学校でそれは無理な時代なのだ。

 

IT業界などは一部まだそうなのではないか。

私のようなアナログな技術者であれば、

携帯はiphoneがいい、地図アプリはこれがいい

と選ぶだけで豊かな時間を持てる立場だが

提供者は地獄の戦いを続けている。

 

ブログだって、私は将来息子に読んでもらえたら

それで十分に役割は全うされるという指針が

あるが、これを仕事にする人の大半は

過度な競争にさらされて地獄だろう。

 

それでも渇望する夢があるのだろう。

働かずに暮らしたいとか、勤め人で得られない

大金を稼ぎたいとか、そんなことだろうか。

 

そんな渇望がネットメディアの中で光る

スター発信者を生み出し、夢を作っている。

 

令和の時代は更に個々の夢が大切になると私は

推察するのだ。次回も引き続き記録したい。