DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0095_理論、議論、持論

理論と、持論と、議論。

 

あなたの家庭での生活や交友関係において、

または日頃の学業や仕事などの活動において。

この三つの相関はどのように循環するだろう。

 

もちろん人によってこの三つのバランスは

個性がある。議論の機会は多くても持論が

少ない方や、理論に接する機会に乏しく、

持論を構築する機会を持てずにいる方。

あるいは理論的に考えたり議論したりせず

持論一本で道を切り開く人もいるだろう。

 

私は勤め人であり旦那であり父であり、

たくさんの仲間にとっての良き友である。

 

今回は理論、議論、持論のバランスと

それらの私独自の捉え方を記録したい。

 

以下二つの項目は私の教訓の一つである。

・持論なしに議論なし。

・理論なしに持論なし。

 

持論がなければ議論をしても発言ごとに

感情がものを言ったり着地点が見つけられずに

無駄な言葉のラリーだけが続いたりする。

議論に参加をする前に、持論を体系化して、

自身の意見を固めて臨むのが議論の理想だ。

 

理論なしに持論を構築することも要注意だ。

持論はあくまでこれは主観ですというもので、

否定されたり肯定されたり評価の定量化が

理論よりも難しいのである。

持論は人を導いたり価値を生み出したりして

ユニークであればあるほど良い反面、

分かりにくかったり視野が狭かったりすると

悪評価につながりやすいのが持論の弱点だ。

 

・議論なしに理論なし

 

言葉の美しさを考慮して三つ目に加えたいが

残念ながら理論は議論によって作られるもの

であってはならない。理論とは"通念"でなく

物理的な本質でなければならないからだ。

 

早起きは三文の徳というのは持論だが、

早起きすると昼眠くなるのは理論である。

無用な言葉遊びを呈しているだけのようだが、

理論と持論を切り離して考える力は重要だ。

 

理論とは、ものの性質上覆せない根拠を

引っさげて意見としてしまうもので、

感情や環境に左右されづらい無機質なもの

である。逆に持論というのは正誤を問わず

突き進める情熱さえあれば何でも持論になる。

 

この持論と理論を、議論においてうまく

使い分ける力が議論を支配する力になる。

 

「みんなを納得させる力」を働かせる局面で

持論に出るのか、理論に出るのかはいわば

賭けに近いものがある。賭けに負ければ

自分の口から出た言葉を好循環に持ち込めず、

否定されたり独りよがりになったりするのだ。

 

私は少なからずその賭けの出方が下手では

ない。ここはどうでるべきかと瞬時に

判断する能力に長けていると自負するのだ。

 

それはなぜかというと、私の持論も理論も

"誰かにとって幸せになるため"に翳されるもの

であり、私利私欲のために使わないからだ。

 

誰かのために何かをするということ、

もっといえば対話の相手のために自分の

意見を以って相手を豊かにしたいと意気込む

内容であれば、どうあっても感謝されるのだ。

 

もちろん、あなたのためを思っているから

という小手先のコミュニケーション術ではなく

あなたはこの行動によって何がいくつ手に入る

という示唆を分かりやすくする思慮が必要だ。

 

どうしても私利私欲のために理論と持論が

頭の中でせめぎあった場合は、一呼吸置いて

本当に自分だけが美味しい思いをするのか

考える。自分だけしかいい思いをしない着想は

さっさと捨ててしまう。それを習慣にすると

いつも誰かの為に考える持論が構築しやすい。

 

物思いにふけることが好きな人種には、

この理論、議論、持論の三つの柱を生活の中で

どう組み合わせるのかを創造、改善するのは

楽しい作業であろう。私には楽しいのだ。

 

逆に、日頃の議論に感情が先行したり、

批判的な言葉を口にしがちな人にとっては、

この三つの柱を自分の実益に変えていくことは

難しいだろう。指示通り動くことや序列確認で

自分が与えられることを確認したがることは

議論の分だけ価値創造することが難しい。

 

何にでも前向きに素早く考え、行動できる人に

この理論、議論、持論の在りようを熟慮して

頂き、"何も考えてないおっさん"に対する

美しいアプローチにつながれば幸いである。