ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0128_人事異動でマレーシアへ

海外駐在が自分の夢だった。

 

役員に呼び出されそれが内定した日のことは

今も夢の出来事のように振り返っている。

 

このブログは1000件やると決めたので

1000件は、たとえ10年かかっても続けると決めたが

1000件という数値目標とは別に、夢を叶えるまでの

苦労を包み隠さずアウトプットしたいという

自分の中の隠れた思い入れを持っていた。

 

時に辛く悲しい、または遠く儚いゴールとして

海外赴任を自分の夢に設定していたので

実際に苦渋を飲んだのは一年ほどだった。

 

実は2018年春の人事でも、駐在を望み

会社の代表との面談でそれを強く望んだが結果は

慎重な判断だった。他で誰かが決まるでもなく

私にも駐在の依頼は来なかったのが一年前である。

負けはなかったが、勝ちもなかった春だった。

 

そこからの一年間は、喜んで苦労を楽しんだ。

仕事がキツいとかやりがいがどうとか

そんなことではなく、実労働時間が増える中

子どもが一人増え、家計は火の車となり

転職を試みとんとん拍子に内定まで進むも

縁がなく入社の話は見送りとなり、

それが北米担当の営業で駐在も十分ありえる

話だったこともあり、一旦は意気消沈した。

 

実情、安い家を買おうか、ボロボロの車を

買い換えずに乗り続けようとかすぐ目の前の

時間的・金銭的な苦しさに不安を覚えながら

過ごしたのは2018年の秋ごろ、このブログを

始めた時期であったと回想する。

 

これから先自分は大切な家族を今までよりも

豊かにしてあげられるのか?という漫然とした

焦りを持ち続ける日々となっていったのである。

 

そんな中でVOICYと出会い、サウザーラジオや

澤円さんの深夜の福音ラジオ、DJ Nobbyさんの

経済ニュースでやりたい放題などの放送を聴き、

外的学びを受けながら、幸運にもそれらの

生身の人間の声から多くの「内省」を得られた。

 

自分は海外で活躍する機械エンジニアとして、

日の丸を背負って世界を旅し、世界を豊かにする、

そんな仕事を続けるのだ。今は技術レベルも

勤め先のメーカーの人員体制で考えても

自分が海外へ、家族帯同で行ける見込みなど

毛頭なかったが、ただ毛頭ないだけであって

自分のやりたいこと、叶えたい夢はそれだ。と。

 

海外赴任の可能性はゼロではなかった。

マレーシアに生産拠点を持つ企業だからだ。

 

北米とか欧州とかカッコつけたことを言わず

まずはマレーシアへ行かせてもらえればそれが

憧れるアメリカやドイツでのエンジニアライフ

への足がかりになるはずである、と信じた。

 

このブログはその想いを絶やさないための

内省の歴史であり、仕事や家庭に対して

やらされる感なく進んで行動し続けた記録だ。

 

他方で、家族や親しい友人たちにも

自分は海外駐在を夢見ている、関心を持って

もらえる一定数の仲間には、夢見ていることに

対して具体的に行動していることも惜しまず

発信し続けた。退路を絶って進んだ気だ。

 

製造現場での仕事中、人事部から内線で呼ばれ

急いで社長室へ上がった階段では期待と不安が

入り混じり、「何にしても声がかかったぞ!」と

何を問われても自分の気持ちと取った行動の

蓄積を社長にぶつけよう。と拳を握った。

 

寒い冬の午前だがよく晴れた朝だった。

社長室に入る前にノックをしたが、入室前に

部屋の奥に青空が見えたことも鮮明に記憶している。

 

刹那的に頭の中によぎるのは期待ばかりだが、

マレーシア工場で働きたいと人事アンケートで

答えた翌朝に呼び出されたことから、

確実に海外転勤に関係する話だろうと思い

今から何を聞かれて自分は何を答えるのか。

 

アンケートに綴った、マレーシア工場で働きたい

というストレートな嘆願に会社はどう反応するのか

やはり自分から仕掛けたとはいえ緊張感は大きい。

裁判が始まる前はこんな気持ちなんだろうか…

とも考えた。悪いことをしていなくても

思いや事実を整理することは骨が折れる。

 

ところが実際、心配はすぐに吹き飛んだ。

 

入室すると、製造の責任者、人事の責任者、

マレーシア現地法人の日本人責任者、

そして社長が微笑んで座っており、

「失礼します」と一礼し椅子に座った私に

社長が開口一番「何年いく?」と仰った。

 

私は言葉を失い…「あぁ…」と言い固まった。

この1秒の言葉で私は夢が叶ったことを知ったのだ。

そして、質問に答えなければいけないことを

数秒ではあるが忘れてしまい沈黙が部屋を包む。

 

ものの5秒ほどの間だったが、現地法人

日本人責任者の方が気を利かせて言った。

「何年間いくの?中国に」と。

この言葉で私を含め、なんでやねんという

ツッコミを丁寧に誰からとなくはさむことで

「マレーシア工場へ転勤してほしい」

という本題へとスムーズに入っていった。

 

詳細なやりとりや条件などの話は記録しないが

10分ほどのやりとりの大半の時間は、家族帯同

だが家族はどう感じると思うか、二人の子どもの

年齢や健康状態、渡航可能な期間はいかほどかなど

家族を思いやって下さる意見や質問が

飛び交うことで満場一致で赴任が決まった。

 

ブログとして過去に127件記録を残した。

しかし2019年2月中には出ていた決定なので、

駐在が決まって、ビザの取得や諸々の準備は

せわしなく行いながら日頃の行いを記録していた。

 

ここで改まってアウトプットする価値を

どう持たせるかといえば、一つに尽きる。

夢は、信じた者なら掴める、ということだ。

 

これからその夢の実現を具体化させていくので

もちろんブログの内容も国内勤務から

海外勤務へと変わるが、また新しい夢を

追いかけて行動を取り続けるという意味では

これからも変わらずに記録したい。

 

あわよくば、悩む誰かや挫けそうな誰かの

ちょっとした気持ちの助けになれば幸いだ。

 

私は甘い考えは、死と同じくらい怖く感じる。

これからも甘えた考えにならないように

自分を鼓舞していくつもりだ。

 

誰かが漠然とした夢を描きもがくならば

描き方を、描いたものがぐちゃぐちゃならば

綺麗に見せる方法を。このブログを通じ

私が悩みながら考え抜いた記録で以って

なるほどその手があったかと言わせたい。

 

ともあれ、夢を考え行動するのは気持ちが良い。

その気持ち良さを新しい夢や行動につなげよう。