ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0159_ワニを見ていて感じたこと

出張先の農場で、ワニを200匹ほど飼育

しているのを見せて頂いた。生後17ヶ月の

クロコダイルで、全長1m〜1.2mほど。

 

見た目や獰猛さは想像の通りだった。

コンクリートと鉄柵で構成された人工の

飼育庭で30から50匹のワニ達が自由に

過ごしており、中央に5m四方の池がある。

池のへりは幅1mほどの地面が有り、

エサが来る彼らは基本的に動かない。

彼ら、といったがオスもメスも混ざっている。

 

エサは、人間が1m以上あるカゴから肉などを

雑多に混ぜた物を放り投げる。すると

ゆっくりとした動きでワニ達が群がってくる。

 

子どもの頃に見たら夢に出るだろうな

というほど、田舎の農場でのワニ飼育の

様子は血生臭い様子だった。

 

さて、ワニそのものは5分も見ればもう

十分にその様子が分かり、飽きてしまったので

ワニがエサを取る行動を次は見始めた。

(お客さんの好意で見せて頂いたので、

 ワニ見学はあくまで仕事と関係のないこと)

 

エサが投げ込まれると、6〜7m四方の飼育域で

1平米ほどしかエサが置かれない。そこに

たくさんこワニが集まってエサを奪い合う容態

になるのだが、エサが撒かれたところにいる

数匹のワニは、食べきれないほどのエサを

優雅に食べており、エサから1m以上離れた

ところでは、エサを持って池に行こうとするワニと

奪おうとするワニが小競り合いをしている。

エサから2m以上離れるとじっとしている。

 

30匹いたとして、エサの中心にいられるワニは

5匹、周りで奪い合っているのが10匹ほど

残りの15匹はエサからは離れてぼーっとしている

ような様子だった。

 

私はその様子を見ながら、感じた。

ワニを人間に、エサを情報や金銭に置き換えると

人間の社会でも同じようなことが起こる、と。

 

情報の中心にいる人間は、情報を享受でき

情報の中心の取り巻きとなる者達は情報を

取り合うように競い合い、情報から離れた

半数の人間は情報がなんたるかをも気にしない。

 

無論、金や情報は人生を豊かにするものだ。

ワニを見ていて自分が情報の中心にいるか、

お金が集まるところにポジションを取っているか

ということを考えさせられる一件だった。

 

仕事のやり方や人付き合いの仕方で

情報やお金が豊かにある場所に居られるか

ということは決まってくるが、生まれや

与えられた最初の環境は選べない。

 

大切なのは、ぼーっと生きないことだ。

諦めてぼーっとすることを選んだならまだしも

目の前の小競り合いにばかり注力して、

少し先にゆっくりと焦らずできる環境が

あることに気づかないような人生は虚しい。

 

勤め先とか家族とか、集団主義的な社会に

身を置く私たち日本(アジア)人が気をつけたい

観点の1つである。私は集団主義は都合よく

その村の中に滞在させてもらっているが、

富ややりたい事に対しての足かせにならぬよう

適度に個人主義を貫いている。

 

見た目は同じでも思考回路が違うと結果も異なる。

豊かになれないでなく、豊かになりたい。

と考え続けるだけでいくらでも豊かになれる。

 

仕事で拘束されてワニがいるような所に

来るこの人生はスリリングで疲れるが、

金と経験を得て、周りを豊かにしていくための

建設的な時間の使い方なのだと満足している。

 

勤め人はいつも目の前の事が大切だが、どうか

視野を広く持って、ワニや象を見るために森に

行く出張の可能性を考えるなど、壁に囲まれた

オフィスですべきことに縛られすぎないよう

頭を柔軟にして勤め人を満喫してほしい。

 

そんなの嫌だよという人はぼーっとしていれば

それなりのタイミングで人生の終わりの時間が

来る。夢の現実可不可は頑張り次第になるが、

その挑戦はいつも平等に、自由だ。

人生を自由に楽しもう。