0224_卒業アルバムを捨てました
会社行事に参加するために一時帰国。
といっても弾丸の日程。今は帰路にある。
日本の実家に6年ぶりに泊まりで帰って
その時に特に明確な理由はないが
卒業アルバムを捨てたのでそれを記録する。
現在私は33歳で、メーカー勤務。
マレーシアに駐在しており妻と2人の子と
ともにクアラルンプール郊外で暮らしている。
夢を叶えて今の海外生活を送っているのだが
実家に帰った率直な感想は、マレーシア生活を
経て実家がとても狭く感じたことや、
母と別れて暮らすことでもう随分
母が歳をとったことなどの気づきがあった。
日本の家からマレーシアへ移るにあたり
段ボールで2箱ほど残置荷物があったのだ。
それを整理するために実家に滞在した。
私の実家は3LDKのマンションだが、
母と妹の二人暮らしのために私の部屋は既に
他の用途で使用され、私に残されたのは
和室の押入れの上部の収納スペースだけだ。
元々家を出るとなった時に全て持って出て
行くようにと母から言われたので、その
収納に置いてあるのは子供の頃から大学卒業
までの間の思い出の品たちだった。
高校の部活を引退した時に受け取った
記念ボールや、大学で受けた好きな授業の
ノート、海外を旅して購入した思い出の品など。
マレーシア生活が何年になるか分からないと
いう観点から、またマレーシアや東南アジアで
万一自分に不幸があったら、この家にはもう
戻ることはないのだという思いがした。
思い出の書類や品を一つひとつ手にとっては、
できるだけ要らないものはゴミ袋に詰めて
捨てることにしたのだ。そして、小学校と
中学校の卒業アルバムを捨てたのである。
10年ほど前、卒業アルバムを捨てた人が
飲み会にいた時はみんなひんしゅくを買って
なぜそんなことをするのかと私も全く理解が
できず、どこか感覚がおかしい人なのだろうと
すら思ったことを記憶している。しかし
私はためらいなくそれらを手放した。
"捨てることができるもの"
"捨てなくてもよいもの"は捨てて
"捨てたくないもの"だけを残した。
転勤・転職・結婚・出産など変化の多い
30代のライフステージを送る私にとって
何の夢も希望もなかった小・中学校生活の
記録は何の足しにもならないことである。
捨てたくないと感じたものの例は、
文集や、自分がまとめたノートなど、
自分の言葉を使って文章化された書類である。
それらは私の根本的な考えが子どもの頃から
ずっと変わっていないことを教えてくれる。
それに夢を持つこと、叶えることの前は
希望や絶望に満ちて不安定なこともある。
時間をかけてその夢を叶えた先にある自信や
安定した気持ち、また次の夢を持っている自覚
を大切にして、これからも進んでいきたい。
自分の功績も物も思い出も、人間関係も。
背負っているものが重い人生は、前に進むのに
ダッシュできない。重さは負荷になる。
捨てたくないもの以外は、捨てるべきなのだ。
捨てたくないものに囲まれた窮屈な暮らしを、
少なくとも旅好きの私は好むことができない。