0300_思う通りの未来は訪れる
2008年に大学を卒業した私にとって、
日本が有給休暇消化を推奨する社会に
なることや、インターネットの普及で
家から出なくても何でも手に入る世の中が来る
ことは想像できていたが、実現するまでの
過程はとても長いだろうと感じていた。
実際にインターネット社会や、労働環境の是正は
まだ望んだ通り完全と言える状態ではないし、
社会の情勢は自分で変えられるものではない。
ただ社会が変わっていくだろう、期待したい。
といった想いは大抵が長い時間をかけてでも
技術的に、精神的に未来が叶えるものだ。
まだ叶っていないが叶うだろうこと。例えば
金木犀の香りを願った時に嗅ぎたいことや
習得していない言語をほぼ勉強せずとも
自動で翻訳できる道具が普及すること、
ガンに苦しむ人がいなくなってほしいことや
肌を蚊に刺されないようになってほしいこと。
これらは、人々がおそらく望むだろうことで
技術的には何とかなるだろうことだ。いつかは
きっと、「昔は癌で多くの人が死んだのだ」
「蚊にさされた時はかゆくて仕方がなかった」と
当たり前だったことがそうでなくなるはずだ。
しかし、思ってもいない世の中の変化もある。
今回コロナウイルスの感染拡大で、大衆の精神は
大きく影響を受けている。しかも突然に、だ。
私は2000年代初頭の高校生の時に、これからは
国際社会だから、日本以外でも苦なく住めるよう
と願って英語を勉強し始めた。今も続けている。
そして念願叶って海外で家族と暮らしている。
ところが「農業をやるべきだ」と気がついたのは
今から約10年も遡るが、そこからこの「農業」
については何の挑戦もないまま日が過ぎている。
ちなみに「東京中心」「テレビ中心」の
日本も変わるだろうと見込んだのも10年前だ。
25歳でテレビを見るのを辞めた。
農業をやるべきと感じたのは、他でもなく、
いつかは自分自身が全てを担える人間にならないと
異常気象がもたらす災いや、続く移住生活で、
自分が健康に生きていけないだろうから、と
感じたからである。
いまだに全く料理はできないし、妻に全て任せて
これからも生きようと思っているので料理は
これからもおそらく挑戦しないだろうが
農業については今かなり気遅れをしている。
家庭菜園でいいから、自分で楽しんで育てて
収穫する一定の周期を経験したいのだ。
思った通りの海外生活や、思った通りの家族構成、
技術者としてのキャリア、健康維持、仲間たち。
多くを欲張らずに、着実にやってきたので
苦しみながら、一歩ずつではあるが
自力で手に入る未来は何とかできた。
しかし、これから訪れるだろう社会には
農業が絶対に必要になると私は確信している。
日本に帰任になれば地方に赴いて近くに畑や
田んぼのある暮らしを実現できるよう行動したい。
この世の中は物々交換の連続でしかない。
という不動の構造の中で家族と強く生きるために
自分が本当にやらなければならないことを
考えると、食べ物を生み出せるのは強い。
他の技術はあくまで流行り廃りの中の一環だ。
娘が何か習得した時や仕事がうまくいった時、
思った通りの未来が来た時はいつも嬉しいが、
同時に悪いことが世の中で起きた時は
自分の思った未来が今すぐきたらどうしよう
という、大きな杞憂が自分の心を支配する。
私が心配するのは、世界のインターネット回線の
予期せぬ破綻だ。それは感染症よりも、怖い。
そんなことになっても家族を守るために
今はコミュニケーション能力や、土地勘、
人に頼りながら家族と生きる感覚を磨きつつ、
人に食べる物を与えられる力を育みたい。
それらが備わっていて、尚、便利な世の中で
生きられるのが自分にとっては最も理想的だ。