DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0231_シェアを言わないこだわり

私は、毎日仕事に明け暮れている

ビジネスパーソンだ。余暇は子どもを大切に

育てるペアレントだ。その両輪で以って毎日

幸福な生活を営むハッピーピープルだ。

 

本当のことを、心を込めて文章にした。しかし

何か違和感がないだろうか。そう、ペアレント

ハッピーピープルが引っかかることだろう。

その日本語には汎用性がないからである。

 

なのに、ビジネスパーソンと聞くと自然に

正しい行いをする人という息吹を感じる。

真面目にやってる人とい印象を受けやすい。

 

日頃カタカナ語の使用を控えている私は

日本語へのこだわりがある。日本人が知らなくて

海外の人が感じたりする、日本語の美しさを

できるだけ崩さないように生きたいのだ。

 

なので、極力日本語で表現し得る言葉は

カタカナ語から日本語に直して口に出すのだ。

その中で最も顕著なのは、"シェア"だと思う。

 

"シェア"でなく"共有"という言葉を使うのだ。

逆にあえて"シェア"を使うこともある。

あくまで私の中のこだわりの世界が決めた

勝手な決まり事の紹介である。学術的には

何にも基づいていないことを理解している。

 

まず、英語なら例外なくシェアと言う。

日本語なら原則共有と言う。例外的にシェアと

表現することを紹介してその差を説明しよう。

 

シェアは、投げっぱなしで責任も何もない

ことに対してしか私は口にしないのだ。

買ってきたピザをシェアするとか、

無害なネット記事をシェアするなど。

私からあなたへ渡すが、責任はないよ

という気持ちがあれば、シェアでいい。

 

それ以外は、基本的に共有と言う言葉を選ぶ。

仕事でもプライベートでもこの用法は同じだ。

そこに当事者意識や、渡すことへの責任感が

伴っていれば、"共有"するのである。

 

たとえば共有で使っている道具、サーバ上の

共有フォルダ、作成した資料など、

渡した/受け取ったからにはそれによって

伴う問題や不測の出来事を自分でカバーする

つもりでないと、共有はしない。

かといって責任も考えず気軽に"シェア"だけ

するのでは発信元として成り得ない。

 

自分から発信しておいて、何かが起きたら

「それは作成者が私ではない」というのが

四流ビジネスパーソンの基本姿勢に思う。

 

前職やプライベートで過去に何度かこの

二流、三流、四流の態度を目にしてきた。

 

「それなら何もせずに人と関わらないでおけ」

といいたくなる、"シェアしがち群衆"である。

SNSでたまに見かける"シェアさせて頂きます"

というご丁寧な態度も私には投げやりに見える。

 

発信するならば、それに自分の想いや理論を

乗せ責任を持って、熟考して"共有"してほしい。

インターネット検索の世界はいまこうした

"シェアすべき"情報が溢れかえっている。

 

しかし実際今日一日を精一杯生きるのに、

目の前の誰かを気遣って幸せにするために、

そんな流木のような情報や商品をシェア

したところで、利他の心は表せないだろう。

 

みんなで使っている共有のものは自分の

所有物よりも大切に。自分から共有した情報は

人を豊かにする目的を含み、自分で責任を

取れる範囲内で。受け渡ししたいと考える。