ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0118_子育てを通じて親も成長しよう

なんの気なくこなしているが、子育ては凄い。

 

人それぞれ、子育てを通じて三者三様の苦悩や

喜びがあるのだろうが、私にとっての子育ての

凄いと思えるところを今回は記録する。

 

我が家には2014年生まれで4歳の娘と

2018年8月生まれの0歳児の男の子がいる。

 

"子どもは食い扶持を持って生まれてくる"とは

よく言ったもので、専業主婦の妻と

地方の中小企業勤務の工場の作業者の私で

土地も財産も何もないのによくもまぁ

子どもを食わせ育て生きていることに

昔の自分たちから見ると驚きの毎日だ。

 

私は妻という最強のリーダーを持つ。

我が家の子育てについては、妻は子のために

私は妻の役に立つために日々頑張っている。

 

休みの日となると丸1日家族で過ごすので、

外出することが多い。家でまったり過ごすよりも

贅沢はしなくとも遊びに行くのが好きなのだ。

 

そうなると、4歳の娘とは1日に12時間共に

過ごしたと仮定して、10時間は共に過ごし

うち昼寝をしたり食事やおやつの時間

(口の中に何か入っている状態)以外の約8時間は

ずっと同じ環境で同じものを見て同じ目的を

もって行動している。そうすると否が応でも

物事の捉え方や口癖がかなり似てくるのだ。

0歳の息子は今のところその心配はない。

 

夫婦生活でも似てくる事象はあるかもしれないが

親子関係のそれは非常に大きな責任を伴う。

 

言葉遣いに関しては、最も自分の生き写しとしての

作品になってしまうだろう。

 

私は京都に住む人間として、出来るかぎり

品のない関西弁を使わずに心がけている。

それでも、娘はまるで呼吸をするかのように

「ていうか」と話の導入部につける癖を持ち、

私に言われるのだ。「ていうか、って言わんとき」

 

そしてその日のうちに自分が何度「ていうか」

と言っているかに気付かされるのである。

子育ての凄さの一つは、自己矛盾との出会いだ。

 

 

子育ての凄い点は次に、会話の量と質だ。

1〜2歳ではあまり感じたことがなかったが

3歳になる頃には娘に諭される機会が増えた。

 

例えば「歯磨きしながらお話しないよ」などだ。

言い続けた結果言い負かされる始末だ。

 

我が家は夫婦ともに読書好きでかつ

外国語好き。更にはお互いの出身地の違いから

ちょっとした日本語の運用に違いを持つ者同士だ。

 

従って言葉のことや言語における些細な事で

愛を感じ取ったり違和感を感じ取ったりする、

言葉には繊細な夫婦であると自覚している。

 

その微妙な言葉選びや、怒られてもやりたい、

怒られるからやらないなどの判断が熟練して

くるために、こちらも怒ったり怒らなかったりなどの

判断の精度が問われてくるのである。

 

前はこう言ったのに今は違う

などと指摘されるようでは子どもの勝ちである。

先にも述べたが8時間も共に過ごし

大半を他愛のない会話をし続ける間柄。

 

しかしながら相手が稚拙なためにどうしても

スピード感や常識的観点からの苛立ちがつのり

ついつい感情的になってしまうことがある。

 

他方で歯磨きしながらお話することや

会話の端々に不要な"ていうか"を

つけていることは、自分の口が勝手に

動くことではない。脳がそう指示しているのだ。

 

更に脳が自動的に指示するレベルであれば

それは体に染み付いた習慣だ。

それを客観視したり自覚したりするのは

やはり外部要因が必要となる。

 

会話は相手がいないとできない行為だ。

回りくどい話となったが、私は自分に自信があるので

口々に人のせいにしたり、弱音を吐いたりせず

良くないことも受け入れ自分で好転させるよう

いつも前向きでいるので妻も娘も前向きだ。

 

これが他責や消極的な言動が続いたり、また

他人への思いやりに欠く行動を取りがちだったりすると

その子どもも必ず同じ作品になってしまうだろう。

 

子育ては自分の生き写しを作る仕事だ。

終末の過ごし方や遊び方、歯磨きのしかたなど

全て自分の影響だと捉えて自分を律したい。

 

自分はダメなのに子どもは良くできると

感じた要素はとことんパートナーや環境に

感謝して、自分も子どもから学んでいこう。