ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0032_ポンコツと無礼者は紙一重

誰でも仕事や生活の中で失敗をする。

もちろん、考えれば防げた失敗は

反省して成長すれば良く、仕方のない失敗も

失敗から何かを学べば得をして終わる。

 

今回は、職場の後輩を指導していて感じる

ポンコツと無礼者の違いについて述べたい。

 

まず以って、私の自己評価はポンコツである。

発想力が高く、色々なことを考えながら

難しい仕事にあたるところは他己評価があり

幸い現在はポンコツ扱いを受けることはない。

 

しかし、色々発想をする中でとにかく

やらかした!という瞬間が多い。誤字脱字に

始まり、名前入りの判を180度逆さに押したり

なんでかなぁ〜と思ううっかりミスが

1週間に数回発生する。そして気づく。

成長著しい人生なのに、ポンコツだな、と。

 

私は自分のミスやちょっとした配慮のなさ

に気付いた時にすぐに誰にいつ謝るべきか

考え、その機は絶対に逃さない。これは

サラリーマンとして上司を崇めることではなく

近くにいる人や後工程がある人に影響が

あるか、ないか、瞬時にかなり深く考える。

誰にも悪影響が出ず、凡ミスでした。

自分に喝を入れる話だな、そこまで行き着いた

先に「ポンコツでした」で一旦、しめる。

 

昔からそうであったといえば、そうではない。

昔はポンコツからの無礼者であった。理由は

周りがきちんと見えていなかったり、

自己肯定感の低さからつい自分を守ろうと

いう意識が働いたりで、ついついミス自体を

環境のせいや他人のせいにすることがあった。

 

なので今ともに仕事をしたり、仕事外で

何か活動をしたりした際に突如現れる

ポンコツと無礼者にはかなり友好的だ。

同郷の友と再会した気分で接することができる。

 

この記事で何を伝えたいかというと、

まだ可愛がり甲斐のある、ポンコツびとも、

理解不能な行動や言動をする無礼者たちも。

長い目で見ればいつかはあなた(一般人)側に

寄って来ますよということである。

 

助けたり世話をしたりというのは面倒なことで

ましてやミスしたりごまかそうとしたりする

ろくでもない人物と仕事をするのは本当に

気分の悪い話である。それは分かる。

 

しかしそれこそがチャンスでもある。

ポンコツや無礼者を甘やかしたり同調したり

することなく自分たちの側に引きずりあげる

作業というのは、まさに子育ての凝縮版に

通ずるところである。子育ての場合は、

良くも悪くも自分の鏡写しのように長い時間を

かけて人格形成がされていく。子育ての成果は

自分がどう生きたか、手を抜かなかったか、

それで決まるだろうと周りや自身の子育てを

見ていてはっきりと感じるところである。

 

仕事だけではなくとも、自分の周りに

誰かがいるという環境は誰にでもある。

その君を自分化して救ってあげれるか、

となるとよほど自信のある要素(例えば

自分は早寝早起きだけは絶対の自信があり

寝坊する人の行いが理解できない、など)

を持たなければ導いてあげることはできない。

いや、導けると自信満々に思うことこそが

マチュア意識なのかもしれない。

 

世の中でポンコツや無礼者が息苦しそうに

濁った泥のような生活をもがいているように

過去の自分を省みて思うところがある。

 

そんなのを傍目で見ていて良いはずがない。

そんな無関心が犯罪や不幸な火種を起こして

当事者意識が持てないならそれはそれで

世間様にご無礼な話である。

 

苦労は伴うが、私は元無礼者の責任を持って

今後も彼らと対峙し自分をも導いていきたい。

 

最後にポンコツと無礼者の例えを挙げよう。

雨降りそうだから窓を閉めといて。と

お願いをした際の対応について以下の通り。

 

ポンコツは窓に指をはさんでみたり

既に閉まっている側の窓を触ってみたり。

無礼者は勢いよくドン!と閉めて無言。

普通の人は静かに閉めて、閉めたと報告。

 

企業人だけではないと思う。

普通のことを、普通にできるということは、

人と違う一歩を踏む前に最低限必要である。