DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0123_手塩にかけて育てた我が子

小さな子を持つ親であれば、子育ては毎日の仕事だ。

 

早ければ高校入学と同時に家を出るし、

遅くとも20歳になれば成人として社会に出る。

 

その時までに自分よりも幸福であってもらうことを

命題に向かって、日々抑えて打ち込むものだ。

 

しかし、給料や報酬をもらって行う仕事はどうか。

 

私はメーカーに勤める機械エンジニアで、

毎日様々な機械を作っている。作られた機械は

客先で稼働し、誰かの仕事場にどしっと置かれ

長ければ20年も動き続ける仕事をする。

 

この機械を作る過程はほとんど子育てに近い。

 

部品の不具合や、設計が悪かったり、または

自分が対象となる機械を知らないために、

間違って組立をしたり、歪みをもたらして

動作に不具合をもたらしてしまうこともある。

 

不具合があれば、出荷後、つまり誰かのために

動き始めた後にご迷惑をかけてしまう。

逆に不具合なく順調に動作をすれば評価され

誰かのために長く役にたち続けることができる。

 

丈夫な体を作るのが機械組立や電気工事であり、

良い性格にしてあげるのがプログラムインストール、

それを組み合わせて動きを確かめるのが

調整の作業である。私は一通り担っている。

 

機械に大小があるので、今は小さい仕事だけを

責任を持って任せて頂いているが、小さいといっても

自動車が数台買える金額の仕事なので

やはり責任は、重大だ。

 

今回取り扱いたいテーマとしては

手塩にかけて育てた我が子、としての機械。

ということである。子育ても頑張っているが

育てているのは工期は無限にある、2人だ。

仕事としての我が子、つまり製品は

年に10台以上手がけるので、子沢山だ。

 

やはり、丁寧に、慎重に育てていき、

十分にケアをしたとしても世の評価は心配だ。

世の評価とは出荷後の品質記録の評価点であったり

メンテナンスチームの業務日報にある

不具合や初期トラブルなどの内容だ。

 

そして何より、ドキドキするのはお客さんが

工場に製品を見学に来られる際である。大抵が

急に来たり、工期の終盤に来られたりもするので

お客さんの前でエラーが出たり小さな汚れなどに

目が溜まったりされたら、それは辛いのだ。

 

手塩にかけて育てたプロセスよりも、

実際に順調に動いていることが最優先だ。

 

しかし実際、周りを見渡してみてこの緊張感を

何人が共有できるのかと冷静に考えた際、

半数以上は私の当事者意識よりも低く感じる。

 

自分は機械の中の板金を作ったとか、

市販品の購買担当であって製品の品質は知らないとか

悪いところで行くと組立はやるが、組立に

不具合があったら調整者が直して欲しいとか。

 

仕事という大きな流れの中で、身勝手な仕事の

線引き(ここからはじめてここで終える)を

自分の中でしてしまうのである。

自分よりも前工程後工程の責任は、自分に関係が

ないというバイアスがかかってしまうのだ。

 

技術力も仕事の区分ももちろん必要だが、

何かあれば先にも後にも自分が対応します

という姿勢がなければ仕事の幅が広がらず

また仕事の幅の広いもの同士でないと助け合いで

うまく流れる時間の領域を良く保てない。

 

仕事とは、作品づくりである。

その作品は上司が商談のために使う資料でも

誰かの役に立つ物でも、人を豊かにするソフトウェア

でも、またそれらが生み出されるのに必要な

ほんのちいさなネジや電線だとしても

人の役に立ち続けるものは作品である。

 

作品づくりとして長く残そうとする気概が重要だ。

 

子育てに置き換えれば、自分の子が長生きして

うまくいけばたくさんの人の役に立てるよう

育てていくことが子育ての作品づくりになる。

 

機械にしても子どもにしてもいずれは

手を離れて自分で誰かのために動くのだ。

それなら、自分の手の内にある間は丁寧に、

これが自分の最も美しい作品だという気持ちを

込めて、作品づくりに打ち込んで行こう。