0304_忘れたら楽譜を読みなさい
妻が父親が誕生日だと言うので
娘がピアノで弾き、誕生日の歌を歌い
動画を送信することになっていた。
しかしつい一週間前には完璧に弾けたものが、
娘は何度か失敗し、「あれ、忘れてる」と。
「ママ、忘れちゃった」と娘が言うと
間髪入れずに妻が言った言葉が印象に残った。
「覚えるんじゃなくて楽譜を読みなさい」と。
楽譜を覚え込むことより大事なのが
楽譜を読み込む素養を身につけること。
というのが妻のピアノ教育の主眼なのだろう。
理屈ではそう難しい理論ではないが
5歳の娘にまだピンとこないのがこの基礎の基礎。
私はピアノを習っていることには何も
口出しできない。なぜなら私は小学校の
笛テストすら全て合格できずにやり過ごそうと
して、怒られ続けた結果、職員室で先生の
席の横で練習をさせられたほどの、
音楽の授業の反復練習が嫌だった。
カラオケも音楽鑑賞も好きだが、
この手の基礎のトレーニングを幼少期に
やったことがなかったため、かなり縁遠い。
楽譜など全く読めるような気がしないのだ。
自分の家にピアノがあることが不思議なくらいだ。
ところが妻は自分が訓練してきたから娘も
できるはずだ、と自信を持って教育している。
娘もきっと、音楽の道に進まなくとも、
学校の合唱コンクールの際の演奏役くらいには
なれるのではないかと私は期待している。
さて、この、楽譜を読みなさいという感覚。
実はとても技術者の仕事にも合った考えだ。
基本的に私の仕事であるものづくりでは
部品一つ、回路一つ、全てに図面があり、
インバータやスイッチング電源など部品には
取説がある。何か不具合があれば、人に聞く
前に状況をよく見て取説や図面を確認するのが
技術者の問題解決の羅針盤になるのだ。
娘が楽譜の読み方を一生懸命に学んでいるのと
同じで、私も図面や取説から真理を導く力、
そして読まなくても大体はわかるという経験値を
技術者として身につけていきたい。
ところで、自分は世界で戦える技術者だと
自覚しだした頃から、過信は全くないが
時間をかけて苦労すれば分からない、出来ない
ということはないのではないかという感覚がある。
先に述べたとおり、私は小学校の頃、
笛テストがとても嫌いだった。
理由は明解。「これは大人になったら要らん」
と勝手に判断して楽をしたかったからである。
その判断が間違っていたとは言えないが、
"楽譜を読み解き表現してみる楽しさ"が
その頃にもし身についたなら、今よりもっと
若く、もっと力強く海外で戦う技術者という
夢に近づけたのかもしれないと振り返る。
子供の頃はとにかく、与えてもらえるか
与えてもらえないか、がとても大切だ。
与えてもらえなかった渇望はその後大きな糧と
なるが、それは親が考えることではない。
親はとにかく(自分が楽かどうかはさておき)
子どもに楽しさや厳しさなど学びうる全ての
教訓を、身をもって与えていかなければならない。
妻が楽譜を読めと言って、そのあと
懇切丁寧に「何回も教えたから覚えて」と
言いながら娘にリズムの取り方や、
音を強く弾く、伸ばすなどの判別の仕方、
習得には繰り返しの練習が必要であることを
渾々と説いている姿を見て、長女はおそらく
堅実に大きく育つだろうなと思うに至った。
ピアノに関して父としてできることは
頑張っている娘や妻を邪魔せず応援することだ。
そして父は楽譜は読めないが図面は読める、と
成長を遂げる娘に自慢できるような技術力を
身につけて備えることだ。
長く続く挑戦であって欲しいので支えたい。