ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0317_相手には5分で分かるから

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誰かと過ごす時に感じることがある

"ご縁"と"選択"だ。私は古風な考え方を

持つ人間だと思う。ご縁という言葉が好きだ。

 

ご縁は自分の能力を超えてもたらされることが多く

仕事にせよ余暇にせよ、ご縁を大切にすることは

物事をうまく発展させるためのコツだと思う。

 

余談だが、ご縁という言葉を好きになった

思い出を紹介する。私は20代後半で、運良く

九州に機械の保守作業を担う技術スタッフとして、

転勤したことがある。当時60歳近くだった

厳しい支店長から、何度も厳しい指導を受けた。

 

その時は本当に、毎日支店長が怖かったし

部活の鬼監督のようだった。尊敬はしているが

いると空気が張り詰めた感じで時に辛かった。

よく京都出身の私に"九州男児はこうだ"と

厳しく自分を律する姿勢を説いてくれた。

 

中にはよく分からない指導もあった。

私が会話の中で妻のことを"嫁"というと

"お前仕事ばっかりで家にも帰らんのに

かみさんのこと見下してんのか"と怒られたりした。

(それ以後はよく分からないが奥さんと呼ぶ

ようにしている。答えが分からなくて別の

既婚者の先輩に何と呼ぶのか聞くと"嫁ぴょん"

と言われたので、考えるのをやめてしまった)

 

ある日支店長にこっぴどく指導された後私が

しょげていたら、支店長が「ん!お前」と言い

壁を指さしたのだ。そこには優しい絵と字体で

書かれた「よっぽどのご縁があって君と僕」

という額が飾られていた。私は男だらけの

狭い支店にあるこの額縁が「誰が置いたのか」

と赴任時から気になっていたが、支店長だったのか

と、またご縁を大事にする人なんだ、と。

怒られっぱなしだが自分を鍛え上げようとして

下さっていることにその時に心底気がついた。

今は離れてしまって、会うことはかなり減ったが

私のことを逆によく褒めてくれるようになった。

 

そんな苦労時代の思い出から、"ご縁"は

自分にとって重要なテーマだと信じている。

 

さて、コロナ禍と呼ばれる今の時代は

面会が遮断されつつあるのが一つの特徴だ。

オンラインで人と面会できるようになると

人は今までよりも人に会うことを"選択"

できるようになってしまう。

 

これまでも人(私)は人に会うことを選択してきた。

SNSが人付き合いの主軸になってから以降は、

どうもこの選択の比重がより大きくなっている。

 

インターネットがなかった私の幼少期は、

友達付き合いにあまり"選択"が効かなかった。

 

仲の良い者も悪い者もいつも一緒にいて

同じ時間を多く共有したので、自我ができた。

 

"こいつ合わないな"と思うクラスメートは

いたが、融和を感じられる学校行事があり

クラス替えの前にはみんなの事が好きだった。

 

これからの時代は、大人も子どももより、

人と会うことを選択できるようになる。

"Zoom飲み"は"こりゃないな"とさえ感じれば

カメラを遮断したりミュート(自分からの音声を断つ)

機能を使ったりして人間関係を、いわば希薄に

する選択は技術的にかなり容易になっている。

 

その人の良さは5分と言わず会ってから

見定めよう、と提唱したいのではない。

 

5分話しただけで自身の人生の濃さや、前を向く

姿勢が相手に伝わる話し方や、体調管理が

今までより重要だ、というのが今日の所感だ。

 

ご縁を大切にしたいから、まだ会ったことのない

素晴らしい考え方・技術を持った方に対面したい

から、自分が尊敬する人に尊敬される存在で

ありたいから。私は、5分で"こいつはつまらん"

と思われない工夫をこれからしていくのだ。

 

初めて会う方だけでなく、久しく会ってない方

にとっても、それは同じ。"久々に声を聞いたら

くたびれていたな"と思われるような振る舞いでは

どんなに充実した今を送っても、相手のために

時間を使えていないことになってしまうからだ。

 

会うからには前向きな姿勢で勇気づけたいし

情報優位性のある言葉や知識を持っていたい。