0099_ゲーム感覚で仕事をする②
子どもの頃どんなゲームをしたか、現在どんな
仕事を好むのかは似てくると私は考えている。
大分類は子どもの頃に楽しんでゲームに没頭
したかしていないかで括ることができる。
ゲームに没頭していないタイプの人柄は、
ゲームをしすぎるな、夜ご飯だからやめろなど
と言われても尚続ける気分は分からないが
聞き分けが良く、時間の割り振りが得意で、
没頭するほど情熱はなくても器用に業務を
こなすことができる性分だろう。
教えに対して従順、ルールを守れる性格だ。
「非ゲーム層」というくくりにさせて頂く。
それに対して存在するゲーム層には三種いる。
子どもの頃にゲーム三昧だった、あるいは
そこまで多くゲームを持っていたわけでは
ないが、居酒屋でゲームの話をする分には
全く会話にならないほどではない層だ。
ゲームの話が始まると耳を塞ぎたい、
ゲームの話を軽蔑してしまうは非ゲーム層だ。
一種目は「現役ゲーマー層」である。
残念ながらゲーム感覚で仕事をして欲しい種の
人間ではなく、仕事を楽しむためにゲームは
ほどほどにした方が良い層かもしれない。
ゲームそのものに夢があったり攻略する
楽しさ、ロマンがあることは重々承知していて
Eスポーツという言葉が市民権を得ている現代
なので、大人のゲーマーを揶揄することは
甚だ時代錯誤であることは理解しているが、
30歳過ぎて仮想の世界に浪漫を見つけるのは、
現実の世界にあるそれを見つけられていない
または現実社会の対人関係や社会貢献など、
市場経済の活況に目を向けない側面がある。
余暇の時間に最新ゲームを嗜む程度です。
という表現なら品が良くとどまるだろう。
二種目は「ゲームやったことある層」だ。
ゲームのシリーズや登場人物などの概要や
どの年代に出たとか友達と楽しんだという
具体性をあまり持たない思い出をたくさん
持っているゲーム感覚だ。この種の方々は
言われた仕事や守られる仕来りにいちいち
文句を言うことはないので害はないのだが
"仕事=やらなくてはならない作業"という
感覚を持つ傾向にあるため、自分がなぜ
その仕事を続けたか、辞めたか、などの
キャリアの流れを客観視したうえで、自分の
価値や情熱を外に発信する力に欠ける。
回想するゲーム感覚がもし抽象的であれば
やってきた仕事に照らし合わせて、どの部署
どの成果、どの課程に自主的に働きかけて
周りを豊かにしてこれたのか、振り返ろう。
仕事って、やるべきだからやってきただけ。
という感覚しかないならば、先にも楽しく
没頭できるテーマはやってこないだろう。
キャリアの上積みがないと気づく時点で
早期退職したり真っ新な趣味に走ったりして
格好悪い中年になることが予想されるだろう。
三種目が「ゲーム語れます層」だ。
私が見てきた大勢の仕事人の中で、
できる人のできる人たる所以に通じるのが
この"語れます"という気の持ち方である。
ハマったゲームは誰かと技を競ったり
友達と一緒に情報収集しながら、誰が早く
クリアできるか、誰が1番強いか、誰の攻略法
が最もスマートな考え方なのか。誰に課される
こともなく探究心を注ぎ続けてきたことのある
人種である。ゲームにはウイニングイレブン
ゲームもあり様々だが、ゲームのジャンルは
問わない。このゲームに関しては極めるまで
やった結果、長く楽しみ続けたと語れる
ゲームがある人は、仕事にも強い。
これは勤め人としてのみならず、
フリーランスや起業家にも言えることと
私は考えている。現在の社会は、物や情報が
多岐にわたっており、量も膨大だ。またその
更新の速度も速いため、"何を選ぶのか"よりも
"選んだものをどれだけ体得できたか"のほうが
社会的な評価に直結するのである。
例えば、人を見れば一目で体型や若さは
ある程度説明がつくが、その人がその若さや
健康・体型維持に費やす情熱がそうさせる
のであって、情報が良かったとかたまたま
良い選択をしたという話では説明がつかない。
続けてきたことの成果が体型維持であったり、人間関係やキャリアである。これらはみな、
振り返って語れるほどの苦労や、苦労した先に
掴むことができた攻略法などがあって初めて
人の感動や共感を得るのである。
ゲーム感覚で仕事をしよう。
子どもの頃に毎日やりたくて仕方がなかった
ゲームや遊びのような感覚で。
現状をクリアして新しいステージに行ける期待
や、装備品やキャラクターの仕様の変化なども
どんどん未来には加わっていくのである。
敵だった者も味方になることもあり、
ラスボスが誰なのかは、エンディングを迎え
た時であり、最強の敵に会った時ではない。
楽しく、没頭できるテーマを作るのも
一つのゲームといえよう。ゲームであれば
邪魔する輩の存在もまた攻略しがいがある。
先へ先へと探究していきたいものである。