0062_ダーツの旅で涙を流した夜
先日、久々にのんびりテレビをつけると
所ジョージさんの"笑ってコラえて"で年末の
ダーツの旅スペシャルが放送されており、
畑やちょっとした景色が映っていた。
新富町へは仕事で何度も訪れたことがある。
何とも、のどかで冬場でも日差しが
ハワイのように明るく感じる町だった。
その何気なく映る景色から、思わず
新富町へ緊急で何度も行った記憶が
蘇り、懐かしさか何なのか、涙が出た。
人は忙しく他の事を忘れてしまうほど
忙殺する。仕事でも子育てでも遊びでも
毎日楽しみながら体がくたびれても没頭
し続けることが誰しもあるはずだ。
私に取ってそのうちの一つが、28歳から
30歳まで続いた機械修理の仕事である。
福岡県大野城市に住まいつつ、要請があれば
いつ何時でも九州全土に出張し機械修理を
行う、いわゆるフィールドエンジニアの職を
現職でその期間経験させてもらった。
当時の勤務地から新富町までは車で片道
約3時間半かかるため、緊急で向かう際は
大急ぎで行ってもお客さんを待たせてしまう。
こっちはのんびりしている気はないが
到着時にお待たせしてすみませんの一言から
仕事が始まり、なおかつ「また明日来ます」
と言えないため、その分緊張感も高まる。
新富町に着くと、いつもその緊迫感と
自然の中ののどかな景色が、全然合っておらず
また人も穏やかで、強い善人が多い地なため、
自分がこの地でパワーを頂きに来たのか?
と錯覚に陥るほど、私は何もないその
田舎の雰囲気が気に入っていたものだ。
その後京都市に戻って久しいため、
緊急出張も田園風景の中の運転も現在はない。
会社員としての忙しい日々ではあるが、
現在は割と時間に余裕のある立場となり、
緊急要請ありきで動く当時と差は歴然だ。
7日〜15日間の工期をもらって、自分の
裁量で必要あれば残業したり休日出勤したり
または後輩に仕事を指示して、簡単なことを
自分の代わりにやってもらったりしている。
人間、過去にどんな風に過ごしたかを回想
した際には、抽象的には思い出せるものの、
匂いや風量や温度、音量などをハッキリと
思い出せることはないだろう。
しかし、その時と同じ匂いや温度などの条件を
感じたりして急にフラッシュバックのように
突如懐かしい情景とともに記憶は蘇る。
懐かしくて温かくて泣けることがある。
故郷をこしらえることは簡単ではない。
しかし、忙殺とか、必死になっての行いは、
その時間や土地に自分の情が残る。
私にとっては、新富町はその一つだった。
旅をした楽しい思い出も学びも大切だが、
苦心して忙殺の中で進み続けた思い出も
人を高みに持って行ってくれる。
私は先に苦労があると分かれば要領よく捌いて
苦労をなるだけ減らそうとするのが普段の
ものづくりの業務としてある。しかし
不可抗力で突然やってきた苦労であっても
先の喜びや感動になるとも知っているので
落ち着いて受け入れたい。
今の京都の生活は、満足感に満ちているが
宮崎の明るい日差しはたくさんの人に
経験してほしい、独特の暖かさがある。
田舎に価値を感じられない方や、四季の
移ろいなどな無頓着な方には理解できない
話かもしれないが、私は田舎が好きである。
日本の宝は、人が多く行かない地にある、
と昔から感じているのである。
私のように心の中にある宝物を思い出せる
人がこの国で他にもたくさんいるはずなので
ダーツの旅は本当に素晴らしい企画である。
日頃からこの番組を見ていたら逆に
このような体験にはならなかったと思う。
年末くらいは少しはバラエティ番組を見て
世の中の人の歳末の感覚や一年の出来事を
学ばせて頂くのがいいかな、と感じた。