ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0290_夢は叶うという再認識

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25歳の夏、自分は仕事を辞めたあと

しばらくの間、無職、いわゆるニートだった。

 

25歳で、しっかりとした大人な割に

守るべき者やはっきりした毎日の職責がない

本当に何でもないアホな若い男だった。

仕事がやりたくなくなって、辞めたのだから。

 

その日々については詳細を語ることをしないが

Jack JohnsonCocoonを暇な平日昼に聴きながら

「今の境遇は、静かな海の中に沈んだようで

 砂浜で日光を浴びているようでもあるなぁ」

とか、The Strokesの、I'll try anything once

を聴きながら、純粋に何か新しいことが

したいなと思ったり、お金や交友関係に

心配事がなくなってくるまでのちょうど

3ヶ月という期間、私は本当に無だった。

 

仕事はまたやりたいけど、日本的なハードワークは

もうゴリゴリだと感じていたからだ。

「明日休みの日になってるけど、何時に来る?」

とかいう、労務上は良くない環境だったから。

 

そこで甘ったれてどうしようもない25歳は

こう考えた。

 

・仕事しないで日中だらだら過ごす

・仕事をしてないことを誰にも責められない

・給料日に給料が入り、金に困らない

 

そんなニートならいいのにな。と。

 

コロナウイルス関連のあらゆる余波は、

人々に深刻に押し寄せているが、元ニート

現機械工員の私にとっては、思いもよらぬ

余波がやってきた。ニート生活だ。

 

マレーシア政府が14日間、外出や生活に不要な

業態の稼働などを制限した余波、である。

 

14日間私は思いがけない形ではあるが

先に述べた理想のニートの境遇を手に入れた。

一言でいえばこれは最高な期間だ。

 

働かなくていい。

 

ところが、だ。

 

私は勤め人で、養う家族がいる。

私は今とても良い会社に勤めていて、

会社も私も相互に信頼関係があり、念願叶って

家族帯同でマレーシアへと赴任した。

 

そんな感謝の気持ちが何よりも強い今は

働かなくていい。という25歳のアホな馬鹿野郎の

願ってやまなかった夢をあさはかだったと分かる。

 

働かなくていい者は、働く必要がない。

そんな世の中が具体化している気がする。

 

ニートになりたいという夢を持ったとき同時に

働きたい、という夢ももちろん持った。

そしてその夢はその後大きく膨らんで、また

具体化していき、「海外で技術者として活躍し

世界中を必要とされ旅し続ける」という

ありたい自分像を支え、実現し続けた。

 

現在のマレーシア政府の活動制限令は、

私にとっては非常に怖いことでもある。

 

自分の仕事が利他の心をいかに現せていたか

それがこの休暇の間や後のフィードバックになる。

 

別段帰任になることやクビになるなどという

心配はないが、人が余計に働かない方が良い

という世の中がはっきりと実現したその日、

私は何人にとって、どれほどの難易度で、

どれほど未来に渡って、必要とされる力や

人間像を持っているのだろうか、と空想する。

 

これまではやってきたプロジェクト単位で

単にその成果に対しての承認欲求が内在した。

しかしプロジェクトは履いて捨てるほどある。

だから一つひとつの仕事の成果の承認を請うより

連なるプロジェクトとして捉えようとしてきた。

 

場所が変わったり体制が変わったりして

同じように動けなくなった時に初めて、

奴の動きはクールだったと言ってもらいたい。

 

しかし、今ニートになって自宅でのんびりと

国全体の停滞とともに過ごす中で、

可愛い娘と息子を腕に抱き、200平米以上ある

素敵なコンドミニアムの一室でCocoon

聴いたところで、夢が叶った喜びはない。

 

あぁ、浅はかな夢を持っていたな、と

気がつく程度である。夢を叶えるなら、

もし、すぐ行動して叶うものならば、

昼ごはんの後にでも、今日にでもと言わず

今すぐ決断して行動すべきだと思う。

 

何もしないで給料が入ってのんびり暮らせて

いい気分。そんなのは少なくとも仕事人じゃない。

そんなことを感じた。休暇は残り10日ある。