DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0210_面と面の和、点と点の華

今回のテーマは、日本式チームプレーと

中華式個人プレーの違いについての所感。

和は日本、華は中華を意味している。

 

大人数で仕事をしていると、自分の居場所や

適所について考えさせられることがある。

 

今回は自社・他社(顧客)という二社で仕事を

することを想定した個人プレーとチームプレー

について、マレーシアでエンジニアとして働く中での

ガツンとゆるい所感を述べていきたい。

 

まず、日本はどうかと考えた場合、

組織と組織の繋がりは、面と面だと感じる。

"和を以て貴しとなす"の息吹を受けた

日本人の和の心は、調和を重んじる。

 

「この話は私から、相手企業の誰々に

伝えました。」という連絡の共有はチーム内で

共有され、その相手企業が何か行動をとった時、

チームは共有された情報に対し、

機敏に気遣いの心を働かせ、そして

和をもって貴しとなしてくれるのが日本だ。

 

こちらから同じ説明をしなくとも、

「お話は担当者のXXより聞いております」

となるのが日本的組織間の好循環だ。

 

ところが、中華系の民族は気にしない。

あくまで個人と個人が向き合っている印象だ。

 

同僚であろうが相手企業担当者であろうが

一人と一人の結びつきが優先的なもので、

大きな組織の枠組みが二者の関係性に働きかけたり

また横のつながりを互いにもたせようという

心遣いが重要視されないのである。

 

あらゆる人があらゆるバックグラウンドや情報

さらには想いをもっているということから、

"和を以って"という前提から人間関係が始まらない。

 

しかし、これがチームプレーではないかというと

そうでもないのだ。やはり点と点は結びつく。

日本は密度の高い鉄板のような横のつながりのある

組織力を美とするが、中華思想は網目のように

抜け目が有るものの、網の目の結び目が強く、

簡単には解けない、むしろ隣合う結び目の

ことは気にせず、自分(結び目)から始まる

各種の人的、宗教的配慮の網を広げる。

 

鉄板は盤石だがいっぺんに動かすには重く

編み目は簡単に動くがむしろ定まらない。

そんな形や重みの違いを感じるのだ。

 

無論、どちらがいいかというと一長一短だが、

二つの思想は異なるということを理解しておけば

わざわざ日本的な根回しに苦戦する必要がないと

思考を切り替えて仕事にあたることができる。

 

代表的な例は、私は日本的に考えるので

取引先に土産を持参する場合、日本国内なら

取引先の会う部門に何人働いていて何人で

その土産の饅頭を分けるか考えてから購入する。

 

ところがこれは中華思想的には受け付けられない。

私があった人に渡した土産は、原則会った人の

ためだけにお渡ししたものと捉えられるのだ。

 

なので社長、副社長と面識があり好意にして

いただける見込みがあるなら二個持参する。

その時、もし専務、部長、課長と枝葉の

人物がいたら…という心配は無用。

仮に一個しか持って行かなくて、渡そうとした

人にだけ渡せたが一人忘れた場合は、

次はお土産持ってきますからね、と去り際に

笑顔で伝えるとそれでよいのだ。

 

そこで日本的にあいつは粗相をやらかした…

と後ろ指さされる心配は要らない。

二つ目(二人目)の結び目が強固になるのは

また次だな、と捉えればそれで良い。

あくまで個人の考えだが。

 

なので私は(いっぱしの会社員だが)

念のための土産も持ち合わせておき、

渡す必要がなかったら帰りの飛行機で

自分でその土産を頂くか、出張帰りに

家族に与えるか、そんな対応をしている。

 

二つの基準がある時にいつも取ろうとする

ポジションは中庸の観点が導いてくれる。

 

日本的な美徳は完全に隠さずとも、中華思想

インド思想、マレー思想など対面するあらゆる

美徳にうまく合わせて強固な網を広げたい。

 

そしてその自分が立っているベースは、

H鉱のような強度のある鉄板(勤め先)だ。