0313_自分から好きと言えるか
私は友人がSNSに投稿した写真や思い出に、
また買い物に行って出会った商品や、
その店そのものに。好きと思ったら躊躇せず
好きだと表現するようにしている。
相手が人であれば「好きだ」とは言わずに
いいねボタンを押し、コメントする。
「食べてみたい」「行ってみたい」
「綺麗な写真やね」といったシンプルな表現で。
相手が店や商品であれば、ラベルがカッコいい
とか、味が飾りっ気なくて飽きないとか
自分が感じたことを素直な気持ちで表現する。
これは、自分から好きという、習慣だ。
これを持っていて大損することはないと考える。
SNSや、自己表現の世界はいわば、
「自分を認めて欲しい」というものに感じる。
こういうととても冷たい感情だが、
「我が子が可愛い、健康に育っている」
「行きたかったイベントに参加している」
「このラーメンがとても美味しい」
などのインターネット上での表現手段の多くは
「息苦しい中にも自分の幸せを見つけている」
という、誰かにそれをかまってほしいものが
大半だと私は感じている。
私がそんな深層心理のもとに発信するからだ。
さて、自分から好きと言えるかというのは、
いろんな人から発信される言葉や価値に対して
「見てます」「ありがとう」の意思表示で、
とくに好きでもないものに迎合する意味はない。
好きなものを多く自分に引き寄せるために
あえて印をつけていく印象だ。
逆に、「電車が混んでいる」などという
共感できない個人的な情報は、見ないまたは
頻度が多い場合仲の良い人であっても非表示に
したり場合によってはブロックすることもある。
また「店名や品名にアクセスしづらい情報」
これも気になるが、いちいち尋ねることや
自分から調べることも面倒に感じてしまうので
見るが、「これはどこの何?」とは尋ねない。
あくまで発信されたものには手を加えようとせず
自分なら同じものをどう表現するだろうかと
考える程度で、とにかく目に留まったものは
好きだなと感じたということで、いいね!する。
外出規制時にはSNSを見る時間がとても増えた。
そして自分で描いた絵をインスタグラムに
投稿することや、同じように素人で絵を描いて
いる人の活動や作品に目をやることが多かった。
好きなものに好きだと言っていると、
何も言わないより、自分のことを好きだと
認知してくれる可能性は広がる。
ただこの話の要点は、私は一度仕事が始まると
SNSも絵を描くのも二の次三の次となる。
家を掃除したり子どもたちからの要求に応えたり
何より仕事で世の中のために価値を生むことが
SNSよりも数百倍、「自己肯定感」を保てる。
だから仕事の愚痴を言いながら、
本当にやりたいことは仕事の外にある、
といってSNSに自分を映し出すのは危険だ。
私が外出規制時にやっていたことは、
アメリカかどこかにある有限のサーバの
容量を使う活動だっただけで(このブログも同様)
それを見て人を救えている実感も実績も
ないので自己肯定感も何もあったものではない。
結論、自分から好きと言うことはとても大切だ。
それを健康な気持ちで続けるためにはまず
自分(の活動や生活)には価値があると知り、
自分を嫌いにならないための精神を持つことだ。
コロナの影響による家族のストレス、
孤独な駐在という立場、迫る納期、
残業ができなくなった時間の制限…
仕事のストレスは半端なものではない。
しかし、好きだし価値があることに変わりはない。
これを他人に言えるようになるまで
ニートだった10年前からかなりの時間と苦労を
要したが、苦労と時間に潰されなくて今がある。
今はそう思える幸運な時期だ。これを
安定させて、これから苦労の10年を持つだろう
若い人や挑戦する人を鼓舞し、自分も頑張ろう。