0276_プロジェクトを作業に落とし込む
私はマレーシアで工業勤務をする、機械工だ。
産業機械を製造、据付、修理する仕事を
担っている。一つひとつの仕事はプロジェクト
単位で受注、製造されているので、工場勤務だが
毎日同じ場所で同じ作業をすることはない。
出荷や品質の責任を負うことになると
必ず必要になってくるのが"気づき"である。
ネジ一本の緩みさえ許されない世界だが
実際は、昨日参加したばかりのメンバーや
体調が優れない者、仕事終わりのデートに
意識が移ってしまっている者、言い訳が多い者など
自分も含め、みんな何かしらのミスをする。
そのミスに気づくことができるかは
"作業"で決まる。どんなに美しいルールや
思想がその組織を作っているとしても、
やはり日頃行っているのは、やはり作業だ。
プロジェクトの成功はすなわち小さな作業における
小さな成功の積み重ねなのである。
小さな作業における成功は尊く、
できて当たり前と片付けるだけでは惜しい。
対象者を褒めるというよりはうまくできた
ことを互いに喜ぶ気運が大事だ。
さて、では小さな作業はどうやって生まれるか。
それは仕事そのものの全体像や工期、
担う人の数などによって変動するが
基本的に全ての最小単位の動作が作業になる。
サウザーさんに習ってカレー作りに例えると、
にんじんを切るということが作業だが
全くの入門者からすれば、にんじんを洗う、
皮をむく、まな板を用意してにんじんを置く
これらは別の作業としてみなされるだろう。
それらが何も考えなくても、精度を伴って
できるようになれば"作業の最小単位"は
やがて「にんじんを切ること」になり、
「野菜を切ること」になり、やがては
「カレーを作ること」になるだろう。
やがてはカレーを売って、再投資して、
最後にカレーに生きるようになるのだろう。
プロジェクトを任された者として必要な心構えは、
担い手の中にはまな板を見たことがない者から
すでにシチューなら完璧に作れる者まで、
様々な経験の差があることをよく考えることだ。
シチューをなら作れる者にまな板の使い方は
教える必要がないし、料理を全くやったことの
ない者にはまな板の名前を教えることから
必要となるだろう。一元的に何もかも管理できるほど
人は皆同じではない。
プロジェクトに関わる者がみなこのように
全ての最小単位の作業をミスなくこなし、
どんな根拠でその仕事を終えられたかを
共有していくことでギャップは埋まる。
ギャップを見つけて埋めていく。
全員なり半数がミスすることの方が
むしろ対処は楽なのだ。作業に落とすために
まず自分が愛を持って全ての工程を見る。
解らなかったらそのままにしない。
もう目をつぶっていたって分かるよ
といえるようになってから初めて、全てを
バラバラにして割り振りして再構築できる、
創造性に富む世界が待ってくれているだろう。
私はその意味でリーダーシップを持っていたい。
みんながやりたいことを分配して叶えたいし
誰かがやらかしたことはみんなでフォローする
そんな工場じゃないと労働者たちがおりなす
モザイクのような世界になってしまう。
美しく調和のとれた作業の連続で
お客さんや自分たちの想像を超える機械を
作れるようになるのが私の夢だ。