0228_レファレンスの量が独自性になる
私は産業機械の製造に携わる33歳で、
過去に保守や海外営業などを経験し、
現在は海外子会社で機械作りをしている。
ものづくりを現場でしていると、資料に
目を通すことが多い。営業や他の業種でも
他社情報や業界情報、顧客情報、財務資料など
たくさんのレファレンスがあるだろう。
私の場合はレファレンスが、"図面"である。
一つのシステムを作ると、販売額で一億円を
超えるものもあるが、その機械の構成は全て
こうあるべきというデザインを持っている。
それはすなわち図面を持っているということだ。
図面には部品図面、電気図面などがあり
部品図面や機械図面は2Dと3Dがある。
それに加えて作業指示書や組み立て手順書など
本当に多くのレファレンス(資料)をもとに
かくあるべきという形にしあげていくのだ。
「私なりに表現したらこうなりました。」
というのは、芸術家なら自信を持って言うかも
しれないが、工業製品の製造工程ではそれは
許されない。ものづくりの最終目的は没個性、
すなわち誰がどうやっても同じ仕事が完遂
できることを目指しての活動である。
今回仕事中にふと考えた仮説がある。それは
レファレンスの量で仕事の独自性が決まる
ということだ。一つのプロジェクトなり
商品なりが持つレファレンスの量はさまざまだ。
とても工数は多くサイズ感も大きい仕事でも
単純作業であればレファレンスは少ない。
逆に工数は少なくサイズ感も小さいが、
あらゆるレファレンスを頼って完成できる
仕事は、自分の頭で作業や完成形態を
考えなければならず、単純作業ではない。
この、"レファレンスの量である程度自分の
仕事の技術レベルが測れるのではないか。"
ということが私が今回発信したいことだ。
"専門的な仕事をしている"ということを
客観的に測ってみるとする。その専門の仕事を
完成させるのに、従わなければならない法律の
数、規格、専門書の種類、図面や公的なデータ
など、レファレンスの数と種類を数えてみるのだ。
ほとんどの一般的な仕事に、レファレンスはない。
それは単純作業であって、機械や代わりの人間が
見つけやすいからである。私の過去の仕事を
振り返っても、通信業者の事務、不動産営業など
どれも時間的な過酷さはあったが、それがなければ
仕事を完璧にできないというレファレンスは
ごく限られていた。
見積もりや事務連絡の履歴はただの記録であって
仕事を完成させるためのレファレンスではない。
私は今、仕事に尋常ではない難しさを
感じている。それは尊敬する先輩エンジニアに
自分が近づこうとするうえで乗り越えるべき壁
であって、闇雲にしんどいのではない。
参照して完璧にしなくてはならない電気図面や
機械図面のレファレンスの数が膨大なのだ。
これらを全て頭に入れることは無理だが、
膨大なレファレンスの海をどう渡っていけば
岸にたどり着けるのか。それを考えながら
悩んでいくのがエンジニアの責務である。
ちなみに私が現在担っているシステムの
レファレンスの量は、電気図面300頁弱、
部品点数10000点以上、工期は2ヶ月、
販売額は言及しないが、新車のポルシェが
安価に思えるほどの額で、責任重大だ。
ネジ緩み一つとして許されない完成形態を持つ。
これだけの質と量のレファレンスを駆使して
一つの確固たる完成形を目指すのだ。成果は
過去に別の人が出したこともあるだろうが、
行き着くまでの道のりに独自性を見出したい。
悩みが何もないことに悩んだニートの25歳から
比べると、贅沢すぎる質と量の悩みである。