ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0084_字の綺麗さを信用するな

私はどちらかというと字が綺麗である。

なぜかというと、字を練習したからである。

 

ユーキャンでもなければ、習字教室でもない。

必要な環境が私の字を綺麗に変えたのである。

 

字が綺麗だが携帯や財布を無くしたり、

会社の同僚や先輩から頂いた年賀状に

何も返信も返事もしないなど、字だけは綺麗。

そう言われて問題ないほど欠陥がある人格だ。

 

振り返れば、小学校の最初の通信簿では

全項目軒並みBかCの判定(A〜CでAが1番良い)

にもかかわらず、コメント欄には"とにかく

字をきちんとかきましょう。字が汚い。"

と評価されたのを母から聞いたことがある。

 

とにかく字が汚い学校生活だったのだろう。

子どもだから仕方ないかもしれないが、

周りが全く見えていなかったことを回想する。

 

1度目の転機は高校二年生の古典の授業。

先生が黒板に書く字があまりに美しかった。

 

クラスメート達は私ほど感動していなかったが

私には黒板びっしりに書かれた古文がまるで

芸術作品のように見えたのである。古典の

成績はそこまで良くなかったが、授業の度に

あの先生のように美しい字を書けるように

なりたいと望むようになり、その1年間は

字を書くごとに意識したことを覚えている。

 

大学進学の書類では字の汚さは問題ない

レベルになっていたので、ひとまず16歳

あたりで字が汚いというフェーズは突破した。

 

2度目の転機が訪れたのは、大学卒業後就職

した、不動産営業職、一年目の夏である。

 

不動産営業の内容は、賃貸の仲介であった。

なので相手にする顧客は9割9分個人顧客で

なおかつ、ヤクザも娼婦も国家公務員も相手に

しなければならない。貸主の大家さんも

多様な人種がいて、結果的には人生の中で

とても貴重な学びを得た職業体験であった。

 

営業としての手腕として一般的に言えるのは

取り扱う物件知識やお客様の希望通りに動く

行動力や元気さ、清潔感などが基礎となるが、

私が出会った先輩の中に特殊な方が一人いた。

特殊な切り口で人を見る方であった。

 

その方は、字を見るだけで稼ぎや人となりが

大体わかるというのである。その噂を聞いて、

冗談のような話だなと思ったが、本人に会い

信頼関係を築いてその真相を聞いたところ、

どうやら冗談の話ではない様子だったので

私はその先輩から人の字の見方を学んだ。

 

実際に完全に習得するには至らなかったが、

人が書いた字から人の姿を読み取る力は

身についたはずである。ちなみに2度目の

転機として、字を綺麗に書きたい欲求から

字を通じて自分を魅せたい欲求に変わったのが

私が字を語る上で大きな転機と捉える所以だ。

 

字の綺麗さを信用するなということ。

 

それは、字を綺麗に書くということは、

心の綺麗さの表れも一理あるかもしれないが

それよりも自分を良く見せようという精神の

表れであると私は捉えている。不動産仲介営業

を経験し、年に100種類以上の人と字の個性

と接したことで、(個別に働く勘はここで発表

できるものではなく、あくまで勘のままだが)

字が美しいからといって内面が透き通るほど

美しい人かどうかは分からない。逆に私が今回

訴求したいのは、字が綺麗でなくても心の中が

清廉潔白な人はたくさんいるというところだ。

 

字も絵も、芸術作品レベルに人を感動させる

必要はなく、日常のコミュニケーションの段階

ではあくまで相手に分かるように描けるか

ということが最も重要である。

 

相手に伝わるレベルで書くという作業が

できるかどうかは、平素相手を思いやって

自分の体を動かしているかの一点に尽きる。

 

"自分は字も日本語も上手くない"などという

自分勝手な殻にこもって字を小さく書いたり、

調べればすぐに分かる常用漢字をひらがなで

書いたりすることは、思いやりに欠けている。

 

逆に、様になる、スマートだ、美しいなどと

いう評価を得ることは捨てて、分かりやすい

大きさで、ごまかさずに正々堂々と書く。

これができれば字から損することはない。

これが私が公言できる教訓である。

 

何気なくノートに取るメモや自分の日記は

いくらでも自分と向き合う姿勢で書けばよく、

辛い時も嬉しい時も字で表してしまうのが

むしろ振り返るための良い材料になる。

 

デジタル化が進む今の時代でも、伝票処理や

伝言メモなど他者との循環の中に置く自分の字

は、丁寧に分かりやすく書きたいと思う。

 

そうすれば誰かきっと、その誠意を汲み取って

よい循環に引き込んでくれるはずだ、と信じ

私は今日も一字一字を丁寧に書くつもりだ。