0026_パワハラ・多様性・指導
仕事柄、工業高校を卒業して社会人になる、
高卒社員の作業指導を行うことがある。
私は32歳なので、2017年卒の高卒社員は
干支が一回り下の後輩、ということになる。
最近の若い奴はというのは言うつもりはない。
むしろ、自分が18歳の時と比べたら
本当に見上げたものだと感じる後輩が多く
恵まれているなと感じながら仕事をしている。
しかし、やはり若さや未熟さなどで、
指導が必要になるケースも少なくない。
これは高卒でも大卒でも原則同じだ。
しかし、やはり未成年に指導する際は特に
こちらも緊張感を持ってあたらねばならない。
本日、初めて指導中に高卒1年目の後輩が
私の指導中に目の前で泣きはじめた。
私は普段から凛としているというか、
近づき難い雰囲気を出している方らしく、
おそらくガツンと怒られると誰しもが
へこむ相手であると思われる。
自分が失敗を何度もしてきたので、
なるべく失敗そのものを指導の対象には
しないようにしているが、ごまかしや
他人のせいにしようとする甘さには
厳しく理論立てて指導するようにしている。
以前から何かにつけてできない理由を
並べたり、ミスをごまかして進めようと
したりする一人の後輩のことが気になっており
彼はこのままだと自分で力をつけていくことを
しないまま会社で過ごすことになるのでは、
と心配している相手でもあった。
その18歳の彼は、車好きで、プラモデルや
無線などの機知に富み、地域のボランティア
に参加するなど、文句なしにいい奴である。
それなのにどうも台無しな部分がある。
それは、自分を責める姿勢を周りに披露する
癖があるということである。
自分はダメなんで…前も同じミスをしたので…
ミスが続いて、もう質問がし辛くて…
といった具合にこちらが手を差し伸べても
遮るようにして自分責めを過去にも披露した。
今日私が指導をしたのは、その自分を
責めるスタイルを改めないことには、
良いことが何も起きない、という内容。
私は沸き立つ感情を抑えながらも
自分の指導で好転してほしい想いを
なんとか伝えようとできるだけシンプルな
言葉で伝えようとした。
彼が好転しようとどうなろうと私には
何ら関係がない。彼自身の人生である。
もう同じことは二度と伝えることはしないし
仮に少しでも好転する兆しがあるならば、
手を差し伸べ続けたいと考えている。
今回、タイトルにパワハラ、多様性、指導
としたのだが、この話には続きがある。
私にとって仲の良い同僚に、後輩が
指導中に泣いてしまったことを伝えたところ
又聞きで所属長にあたるチーム長が一言、
「今度またやらかしたら俺に言ってくれ
しっかり指導するから」と。これはパワハラ
ではないかと感じた。直接的に人間関係を
持たず、経緯や結果だけを見た上で、
所属長から呼び出されて指導されるのは、
これは少し可哀想である。指導したり
良い方向に導いてやろうとするならば、
少なくとも一対一の人間関係を持った上で
起こったことの責任を持つかわりの指導が
好ましい。横槍を入れるような形で
指導をすると指導される側は戸惑うが
力関係が先行し、一方的にやられてしまう。
他方で多様性という点で、私の同僚は
過去に二、三その後輩と話した時点でプツリと
接点を切るようにし、話しすらしない。
あいつはああいう奴ですから、自分では
無理です。皆さんに任せます。と。
ああいう奴だとすぐさま見切った点で
賢いなと私は感心するのだが、
やはり指導や仕事のフォローなどの
しわ寄せが周りに及んでいることを
考えると、多様性を認め合うだけでは
生産性に寄与できないことが分かる。
指導は本当に難しい。他人の顔色を
伺いながら仕事をする必要は一切ないが
立ち位置に気をつけて対応しなければ
無関心だったり、ハラスメントだったり
繁栄から遠ざかる行動になってしまう。
誰かのために、良い製品を作る。
そのためにお互いの至らない点は逐次
好転させていこう。そんな人間関係を
構築できるよう、ベースとなる思いやりや
当事者意識を教育していきたいと感じた。
やはり、本を読まなければならないし
くじけそうになっても1日の終わりは
感謝で締めてほしいものである。
誰がどうなろうと、心底知ったことではないが
経済全体は未来に向かって好転し続けていく。
その軌道に乗れないような組織にしたくない。
明日も飼い犬・社畜魂ではなく、社内で
自由に発想、発言、行動する挑戦者として
良いと信じる世界を体現しながら働きたい。