DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0044_病気とは何かを考える②

前回に引き続きの記述。

健康そのものの私なりに考える、

病気とは服のようなものである、という話。

 

服で例えようと思った理由の一つとして、

服にこだわりを持つ人とそうでない人

また手軽なものにこだわる人や

見えない価値そのものにこだわる人。

そもそもは服は身につけて寒さに耐えたり

機会に適した姿になるための、機能である。

機能を度外視した服の見方それこそが、

市場経済であり、また個人の生きる文化だ。

 

病気もまた服のように、身にまとわれ、

体の機能に影響を及ぼしたり人の生活に

とけこむこと、また「病気」という概念が

予防・治療のサービスや保険などの市場を

大きく形成している。

 

服なしに生活はないことと同様、

病気なき人生もない。歯周病が長い時間を

かけて口内で菌を悪性化するような事態は

服に置き換えても考えられるものである。

なぜなら、服は自分で選んで身につける。

病気も嫌が応にも選んで身につけるものである。

 

服について一般的に言えることとして、

市場価値の低い服を着ても幸福な人もおり

市場価値の高い服を着ても不幸な人もいる。

薄着でどこまでも体の機能で寒暖を凌ぐ人も

また重ね着をしすぎて動きが悪い人もいる。

病気も同じで、経過は様々だが同じ選択だ。

 

風邪であったり、虫歯であったり、

小さなものから大きなものまであるが、

病気から完全に離れた人生はない。

もし病気に近い環境に生きることが嫌なら

大自然に移り住んで休むなどすれば良い。

 

私たちは与えられた金銭や時間を使い、

また自分の感性を育んだり表現したり

するために服は選んで喜ぶが、病気はどうか。

同じで、私たちは喜んで病気を受け入れる。

何だか新興宗教のような…身も蓋もない

物言いになってしまうのであるが、

全ては因果応報。結果として、あるいは

見えうる終着点までの経過として

病気を取り入れることとなる。

 

病気が嫌ならば、病気を選べるような

強い精神を持ち健全な行動をとるべきである。

保険や西洋医学が持つ「リスク対策」に

自分のこだわりを注ぐことを私はしない。

 

この先すぐに私にも誰かにも重病が宣告され

不便な生活や、最悪の場合死を迎える

こととなる可能性はある。しかし

そうなったらどうするかというよりも

そうならない自信があるという気持ちで

食事や行動やストレス対策に注力すれば

目に見えない敵は微塵も怖くないものだ。

 

自信を持ち続けたり完璧に真っ当な

生活を送ることは現代社会では極めて

限られた人口にとってのみのように思える。

 

そして、その限られた人になろう。と思う。