ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0071_新幹線での出来事

帰省先の福岡から東京へ走る新幹線に乗ると

乗っているほとんどの乗客は非ビジネス客、

一般人の旅行者であるように見えた。

お子さんの声や食事を嗜んだりされたりで

連休期間は騒がしくなることが予想される。

 

余談だがここ数年は会社から与えられている

エクスプレスカードを使うことが多い。

携帯電話のアプリで予約し、ICカード

入場し乗車出来るため、本当に便利だ。

 

2018年は1月2日博多-小倉間で凧揚げの

凧が引っかかって大掛かりな遅れが発生し

便を変更したが、その際もわずか5分ほどで

費用を伴わずに予約の変更が完了できたが、

みどりの窓口は払い戻しや変更の処理で

長蛇の列が出来ていたことを記憶している。

 

2019年は1月3日に熊本で夕刻に地震が起き、

これは混乱があるかもしれない、と予期し

4日朝から5日の昼に予約を入れ替えた。

このようなことが手中で簡単にできるのは

カードを貸与して下さる会社にも、この技術を

取り入れているJRにも、大感謝である。

 

話は戻って、優れた技術を取り入れるJR新幹線

の中で、私の目に留まった出来事を紹介する。

東京行きのぞみ指定席で小倉を出た際には、

まだ満席率はざっと見たところ70%ほどで、

3人席が空いている列がいくつかあった。

 

1号から3号の自由席は満席で立っている

乗客もいたようだが、指定席は空いている。

私ならどう考えるかといえば、

(※立つのは辛いので自由席は取らないが)

小倉から岡山に着く少し前までは

空いている指定席に座るかもしれない。

誰も座ることがないのだからいいだろう、と

それは賢いことだと思ってしまう。

が、それは技術的に出来ないことを知った。

 

車掌さんが巡回し、誰にも座られていない

はずの席に誰かが座っていたら、声をかけて

自由席は1から3号車ですよ。と伝えられる。

予約席を知らぬ間に誰かにとられぬよう

守ってくれる。統制のとれた乗り物である。

 

そしてそれを目の前で知ったのが今回。

座っちゃいけない指定席に勝手に座っている

二人組は、(見た目は20代の香港人か台湾人)

日本語が通じない2名だったのである。

 

車掌さんはぱっと見で日本語が通じないと

分からなかったのか、チケットを見せて欲しい

と言った後、しらばっくれる二人の若者が

日本語が通じないと判断すると、ロボットの

ようにキレのある所作で、ipadほどのサイズの

タブレットで英語でどうアプローチするか

一生懸命調べ始めたのである。

 

私はJRのこうしたサービスの提供は

本当に価値が高いといつも感動する。

スタッフが英語を使えないという状況を、

英語情報をスタッフに持たせるという、

微弱で地道なこの改革に、感銘を受けた。

 

技術的にJRは凄いとだけ言いたいのではない。

私が感動したのはむしろ車掌さんの振舞いだ。

もし私が車掌で、相手が日本語が話せなくて、

座っちゃいけない席に座っていたなら

首根っこを摘んで自由席まで連れて行く

イメージが頭の中によぎるだろう。

 

しかし今回見た車掌さんの所作には、

言葉も通じない、決められたルールを

守れない、新幹線に無知な若者に対して

「対お客様」の姿勢が貫かれていた。

相手がどうとかルールがどうとかという要素に

揺るがされることのない、プロの所作である。

 

結果、タブレットで適した英語が出る前に

しらばっくれるのを辞め、自由席に移動

し始める若者達とお辞儀する車掌さんを見た。

見習おう。これこそがプロの結果の出し方だ。

 

広島を経て福山を出る頃には私がいた4号車

の通路には、1-3号車(自由席)で立ってた乗客が

溢れてきた。乗客で通路がひしめいている、

雑然とした車輌を見渡し、改めて彼の仕事が

すべきタイミングでなされたことを知る。

 

日頃(盆と正月以外)の新幹線利用は

指定席通路に人が立っていることは稀で、

その時間は読書などの時間にあてているが

移動する人が集中する期間の新幹線利用は

人間観察にうってつけの貴重な時間である。

人が集まるところに発見あり。ドラマあり。

 

知っている人間の観察と、見も知らぬ人間の

観察はかなりの差がある。やってみて欲しい

とは言わないが、する機会がもしあれば、

自分の物の見方の特徴がどうのようか、

あまり性格を知られていない相手に

話すなどして、発信してみて欲しい。

 

私は言語と所作を見る。一般常識的か

どうかというより、尖ったユニークさを

持つかどうか、持たないなら気にかけないが

良くも悪くも見たことがないようなものなら、

じっくり観察、考察するようにしている。

 

自分の見方に歪みがあることは理解しづらい。

周りに話すことで違う見方を取り入れよう。

 

自分の人間観察がいつも人間賞賛であるよう

心の余裕を確保して、日常に戻っていきたい。