DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0141_ゴミを集めても仕方がない

テレビや新聞などの、自由度が一定数

制限されたメディアでの発言は宝のようだ。

 

なぜならお金に"てこ作用"を持たせることで

"影響力"を発揮することができるからだ。

 

その宝物のような情報発信の本質はというと

発信する側にとって金になる木であり、

受信する側にとって夢を見る機会である。

 

消費行動が好きか嫌いかは個人差はあるが、

メディアが苦労して発信した情報には、

作られた価値が乗せられており、その価値は

消費行動を活発にさせるのである。

端的にいうと何かを消費したくなるのだ。

 

では、ブログやSNSでの情報発信は宝では

ないのか。存外、大半はゴミ同然の価値だ。

 

中には練られた戦略でテレビのような広告効果

を持つ情報発信もあるが、個人や法人が

記録する作業として行う程度の情報発信は、

例えるなら自治会で行われるバザーのような

もので、売っている人だけが満足そうで

足を運んで商品を一瞥するとゴミと相違ない

ものに値札が貼ってあることに気づく品質だ。

 

今回のタイトル、ゴミを集めても仕方がない。

 

このブログは元々、やると決めたらブログ

1000件くらいは書いてから質問して来い、と

安直なリスナーからの質問を一蹴する

VOICYのサウザーラジオに私がハッとして

聴いているばかりじゃだめだな、何か自分も

アウトプットすることで豊かさにアクセス

できるようなチャンスにしたい。と

2018年の秋頃に思い立って始まったものだ。

 

自分はこのような作業が好きで、

毎日更新の目標に自分との闘いを見つけて

毎日楽しくやっているので、私に損はない。

 

しかし、中身はゴミ同然である。

これが誰かの購買意欲につながることや

人間関係構築に手伝うことは見込まれない。

 

他人から、また市場経済から見たところ

ゴミと認識されても特に異論はない。

 

しかし、私自身が見てブログがゴミになると

これはいよいよ誰にとってもゴミである。

ゴミとは何かといえば、使いようのないものだ。

 

何も持たずに生きていける人にとっては

全てがゴミとして捨てられるが、何かに

使う価値があると判断しがちな人はゴミでなく

使える道具として、または商品として

大切に保管するのだ。同じものでも。

 

このブログの記事は、私が発信者で

受信者はあなた様である。相手のことは

私は変えられないので、せめて自分が見て

これはゴミに近いなという文章にならぬよう

丹精込めて誰かにとっての価値となるよう

しっかりと続けて行きたい。

 

全て、未来の自分を支える文書にしている。

自分がもしいなくなったら、子どもたちに

読んでもらい、父の気骨の記録を見て

奮起して欲しいというのが続ける理由だ。

 

ゴミを集めずにどうか、対価を払ってでも

本当に使い勝手の良い物や情報を。

私もいつかは具体的な海外生活実践術を

ゴミでなく商品としてコンテンツ化したい。