DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0299_緊急事態宣言を受けて

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私が住むマレーシアで、コロナウイルス

感染拡大対応が深刻になったのは、MCOと

呼ばれる活動制限令が発令された2020年3月18だ。

 

それから約20日後の3月7日に、安倍晋三首相から

緊急事態宣言が発表され、日本でもいよいよ

COVID19の感染者数増加は他人事ではない事態

へと恐ろしい発展を遂げている。

 

こんな時に大局観を持つために見るのは

政府行政からの正式な情報であり政策金融公庫や

帝国データバンクのホームページかもしれないが

まず、勤め先の情報が第一だろう。

 

私が記録するのは私が勤める機械メーカーの

緊急事態宣言を受けての対応録だ。

 

これを読んでいただく方がいらっしゃるならば

自身の勤め先、運営する組織と比べて欲しい。

 

・通勤について

 私の勤務する企業(出向元の)は京都府にある。

 緊急事態宣言の対象となる、大阪と兵庫から

 電車で通勤する方もいて、まずこの対象地の

 方は発令と同日から在宅勤務に変更された。

 

 しかし、工場勤務や所属長などの、勤務が必要

 という方は電車での通勤を禁じ、自動車勤務に

 変更してもらうという手法を取った。

 

 その際のガソリン代、駐車場代は会社持ちで

 各人が車で来ると周辺駐車場が満杯になる

 ために、住所地から乗合グループを作り、

 出勤と帰宅を数名単位で行ってもらえる

 ようになった。これは通勤時間が長引いたり

 渋滞を避けるために早朝に出たりすることが

 社員にとっては求められるものの、

 同じ乗合グループでコミュニケーションが

 取れるなどの意味もあるだろう。

 

・出張について

 国内外問わず5月6日までの出張は

 禁じられた。これは4月より前から段階的に

 そうなるだろうという処置を踏んでおり、

 (機械の緊急修理など)場合によっては国内の

 客先に行くことがある場合、エリアごとに

 二人組になり担当するという予備制度も

 設けられたため、4月7日には万全の状態で

 自宅待機できる社員が十分にいた。

 

 海外出張に関しては一旦、例外なく禁止された。

 お客さんの要望があった場合各国の代理店が

 対応することとされた。

 

・インフラについて

 会社のメールはGoogle、データも同様に

 GoogleドライブやChromeを利用しており、

 元から必要なデータは全て遠隔からアクセス

 可能だ。またサーバへはVPN経由でアクセス

 できる権限が(出張を伴うPC貸与された)社員に

 与えられており、遠隔勤務の条件はほぼ

 問題なく整っている。LINEグループや、

 Zoiperを利用したIP電話利用もインストール済みだ。

 

 会社からの朝礼や周知はメールや

 一部はYoutube配信をされている。

 これはもうずっと前からのことである。

 

 私から特に何も望まなくても会社側が

 整えてくれた、ありがたい環境下にある。

 

・その他

 中国で混乱が起きた時に、経済同友の私塾を

 通じてマスクを贈与していたが、今回日本側が

 混乱に陥っているということから中国から

 マスクが300枚、会社に届けられた。

 このマスクは社員が出張を余儀なくされた

 場合などに使用できますとして周知された。

 

ほかにも対策本部の設置と方針の共有や

体温の検温、消毒、自動販売機の補充停止措置

などが日々(分かりやすくシンプルに)共有される。

 

 

まずいことになる前に相当な時間をかけて

知恵をしぼって対策されていたことや、

供給業者や顧客、取引先との密な連携があり

業務日報からは「混乱が想定されるため」

という対処は見られるものの、

「対策が不十分で現状が混乱状態」と取れる

内容は(50人ほど読んだ上で)見受けられない

ということにまず驚く。

 

やはり日本人の不確実性回避の習性は

恐ろしく強いと東南アジアにいて再認識する。

 

メディアがいくら個人を煽っても、強い組織は

混乱に陥れられることなく前を向いているのだ。

 

私は遠いマレーシアで、完全な業務停止になり

家に子ども2人いることを理由に、ろくに

仕事をしていない。今日本で勤務していたら

どう会社に貢献できていただろうと空想し

また、マレーシアでもいつかは明ける制限令の

その後に、休んだ分まで活躍できるよう

しっかりと体調と精神を整えておきたい。

0298_自分を縛る枠をつくる

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マレーシア活動制限令下の生活は、

MondayもFridayもSundayも、ただのDayである。

 

よく、今日は水曜日だから残業がなくて

帰りに夜市でおいしい果物を買ってくるよ、とか

 

今日は金曜やから昼休みが長い、という

日常の曜日感覚はすっかりなくなった。

まるで小学校の夏休みの気分だ。

 

ところが夏休みと全く異なるところは、

家から外に出られないという点だ。

外で仕事の人と繋がることがなくなると、

自分がビジネスマンであることを忘れて

しまいそうになる。

 

さて、そんな中で注力するのは子育てだが、

最初の5日間は本当にろくでもない時間の

過ごし方をしてしまっていた。

 

起床時間も就寝時間もなく、またテレビも

映画も見放題、間食もし放題の楽園のような

生活だった。これでは全員が、制限令解除後の

生活に適合できない精神になると夫婦で相談し

結果、1日のスケジュールを書き起こすことにした。

 

・起床

・朝食準備

・朝食

・朝食後片付け

・洗濯

・洗濯物片付け

・掃除

・長女のピアノ練習

・長男の朝寝または昼寝

・昼食準備

・昼食

・昼食片付け

・長女の勉強時間(時計の読み方など)

・子どもたちの自由時間

・夫と妻の自由時間

・夕食準備

・夕食

・夕食片付け

・風呂

・就寝

 

とまぁざっくりこんなことだ。

この分担と時間枠を使ったのである。

 

私は洗濯と各食事の片付け、掃除を担当し

妻はそれ以外の炊事をメインに担当。

長男のおむつ交換などは気がついた方がする

ということで担当は決めなかった。

 

これをすることで、夫婦の阿吽の呼吸では

あるが、私は余計な気を使わずとも自分の

自由時間に昼寝ができるようになり、また

妻も私が子どもたちと遊ぶ時間に休めるように

なった。目標就寝時間を設けることで子どもたちが

眠くなるのを待つのではなく、寝かす

という風に行動を変えて行った。もちろん、

遊びが足らない子どもたちは簡単に寝ない。

そこは生活の中で遊び方、効果的に疲れさせる

方法を夫婦で考案していったのである。

 

これらはどちらかというと子どものいる家庭の

当たり前である。しかし、おやつは3時のみ、や

テレビをつけっぱなしにしないなどという縛りは

子どもたちを退屈にさせる一方で、「遊び」に

集中させるための効果的な戦略であり

子どもの発育上健全な手段だと私は信じる。

 

自分を縛る枠を作って、他人と共有する。

これは何をするのにおいても効果がある。

 

縛るものが何もなく、他人と共有されない。

こんなことは「これからの生き方」のようで、

実際は「これから孤独を極める生き方」だと

私は思い込んでいる。正しいかどうかは私の

未来が決めることだ。

 

また、子どもを縛るルールづくりをもしするなら

まず先に自分を縛るルールで自分を律したい。

 

娘にピアノ練習をやらせて自分はYoutube...

ということでは恥ずかしいので、制限令期間中に

私は腕立て伏せを一日100回すると娘に伝えている。

 

縛りと平等さがチームに活力を生む、はずだ。

仕事ができない環境でも、だらけずに自分の

芯の部分を強くする期間にしよう。

 

日本もじきに同じ境遇になるだろうと予期する。

0297_娘と全力で遊んで学んだこと②

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活動制限令期間中に子どもと遊んだ記録。

 

5歳の長女が「まちづくりをやりたい」と

朝に言い出した。初めて耳にした遊びで、

おそらく思いつきだろう。娘には遊びを直接

教えることは少ないが、Amazon prime

視聴できるドラえもんを何度も繰り返し見ており

遊ぶことのインスピレーションはのび太君や

しずかちゃんから授かっているようだ。

ちなみに「宇宙」という言葉を私も妻も

教えたことはなかったが、ドラえもんを見て

3歳の頃に急に宇宙と言ったのは未だに記憶に

新しい。絵本やアニメが与える影響は絶大だ。

 

さて、このよく分からないまちづくりの遊び。

 

1歳の長男が妻と気持ちよく昼寝をしている間に、

邪魔者が居なくなったとばかりに(1歳の長男が

うろついている時間にハサミを使うのを禁止

しているため、過去に何度も注意したが片付けを

せず、長男がハサミで喉を挟もうとしたため

大激怒とともにお蔵入りになった)ハサミで

紙を切って遊べるまちづくりが楽しみだった

のだろう。内容は、A4コピー用紙を6枚

貼り合わせて大きな紙にし、そこに道を描き、

建物を描き、紙で作った車を走らせる。

というようなものだった。ここで最初の学びを

感じたのは、私から始動して作業を始めたため

まちのなかに近所のスーパー、自分たちが住んで

いるコンドミニアム、ガソリンスタンド、自動販売機…

とあまりに内容が地味で味気なくなった。

 

学びの内容は、"子どもは従順で、親の導きによよって

クリエイティブにも事務的にもなる"ということだ。

 

バナナを買い忘れたから一回家に帰ろう…

というようなロールプレイングを娘が行って

いるのを見てハッとした。つまらない、と。

 

機転を聞かせて、ピラミッドやスフィンクス

モチーフにしたショッピングモールの

サンウェイ、モスク、ツインタワー、と。

マレーシアらしいものを加えて行ったことで

なかなかに彩りのある街づくりになった。

 

そしてもう一つ大きな学びがあったのは、

夕食を囲む食卓で、今日1日で何が一番楽しかったか

という質問に対して、「ネコバスしたこと」

と娘が答えたことである。

 

2時間休みもせずに頑張った、しかも壁に

綺麗に飾ったあのまちづくりの遊びじゃないのか?

と驚いた。子どもの頭の代謝はよく、

多分、言われるまで忘れていたのだろう。

 

ちなみにネコバスというのは、私が仰向けで

座っているお腹のところに娘が乗り、私が

手と脚で蜘蛛のように動体を浮かせて移動する

これの何が面白いのか分からない5分ほどの

遊びだ。工夫も創作も何もない私の遊び対応の

歴史から見ると星は一つだろう。

 

そんな他愛のない遊びもまた、忙しい仕事を

理由に出来ていなかったということを

今回のこの流行病のおかげで知ることができた。

 

子どもたちとの遊びはその時その時が最新で

今日面白くて笑い転げたことが1ヶ月後に同じ

テンションでできるとは限らない。

特に1歳の長男の会話ができないが何か

話そうとする様はもう今を逃すと見ることが

できない。仕事や家庭のことは変わらず

義務や夢に追われるが、子育ては、おそらく

振り返ると一瞬一瞬が儚い夢のような出来事だ。

 

自宅待機の今は子どもの発育に自分のエンジニア

精神の全てを注ぎ込もうと考えている。

0296_娘と全力で遊んで学んだこと①

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駐在員としてマレーシアに渡って1年が経った。

順風満帆だったが、コロナウイルス感染拡大の

影響で、残念なことに2年目の初日は

自宅待機というかたちで迎えることになった。

 

マレーシアの活動制限令(MCO)の発令から

今日で15日目となる、2020年4月1日。

勤め先の工場は未だに制限下にある。

3月18日から発令された制限令は徐々に

規制範囲が広く、また内容や取締りも厳しく

なっていった。例えば、最初の方は子どもを

車に乗せて、ガソリンスタンドへ行くと、

タピオカミルクティのTealiveやスターバックス

まだ開店しており、ドライブスルーや持ち帰りなら

購入することができたが、現在は子どもは

家にいなければならず、またガソリンスタンドは

給油機能以外(販売店やATMなど)は稼働していない。

 

人気がやけに少ないスタンドで、自分が

給油した後にスタッフが給油機の取手を

アルコール消毒していたのが印象的だった。

 

さて、そうなるとどうなるか。

私は勤め先の勤怠管理には、仕事をしている

ことで入力しているが、メール確認など1日に

1時間ほど仕事らしいことをする以外は、

主夫だ。家にいて子育てと家事をする男だ。

今まで忙しく海外を飛び回っていたので、

妻が周囲にも子どもたちにも文句も言わず

この仕事を一人でこなしていたことは、

自分がやっている工場勤務や出張に匹敵する

ほど、大変なことだと日々知ることができる。

 

家事はまだいい、すべきことをすると片付く。

しかし問題は子どもたちだ。子どもたちは遊ぶ

ことに飽きることを知らない。全く自分が子ども

の頃にこんなに親に遊んでもらっていたかと

思うと、本当に頭が下がる。他方で自分は子ども

がやりたいと言ったことを「できない」とか

「後でね」と基本的に言いたくない性分なので

これは相当に自分の首を絞める重労働だ。

1歳の長男は読んでもわからない絵本を何冊も

持ってきては、読み聞かせると1分で飽きたかと

思うと本をかじり始める。5歳の娘はもっと

体力的に活動範囲の広い遊びを求めたり

絵具や段ボールなどの材料やハサミなどの道具を

用いて何かを生み出したいとしきりに求める。

娘のレゴに付き合っていると息子がレゴを食う。

全く、信じられないほどのマルチタスクだ。

これはやってみないとハードさがわからない。

 

エラーがあちこちで発生しているシステムを

急いで修理するのは自分の実力と機転で何とか

なるしお客さんも大人だ。騒いだりしない。

 

しかし子どもの遊びは同時多発的な欲求に応えて

応え続けても反応は時々によって変わるのだ。

 

実際に遊んだことや工夫したこと、

学んだことを記録しておきたい。

 

次回に続く。

0295_マレーシアの現在から思うこと

COVID-19という新型肺炎の世界的な流行により

移動規制や外出禁止令が多くの国と地域で

発令されている。東京オリンピック2020も

延期が決まるなど、ただ事ではない様相の

暗い未来が訪れている印象だ。

 

日本はやや、対応がマレーシアより早かったことや

1.2月に流行のピークがきたがその後に春が来た

という日本的な雰囲気も相まって、

"自粛ムード"に留まっている。

 

マレーシアはそうではなく、異常事態だ

ということを記録しておく。家族がその異常の中で

生き抜いた証として。

 

マレーシアでMCOと呼ばれる活動制限令は

世帯から1名のみの外出可、子どもは外出禁止。

スーパーは入場規制がかかっており(感染者急増

が懸念される)人混みを作らないように

工夫されている。無論マスク着用は必須だ。

レストランは持ち帰りのみ可能で店内飲食禁止。

 

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町の小さな商店ではすでに供給が滞っており

パンやパスタなど加工食品が品薄だ。

トイレットペーパー買い占めは一旦起きたが

その後安定供給されているように思う。

 

パンを売るための棚に「一家族一点のみ」と

手書きで書かれた看板を見た。災害時同様の

影響が各社に出てきている。

私の勤め先も休業が続いている。

 

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外国人労働者と思しき若い男たちが、

開いていない店の前で何か書類を渡されて

30名ほど路上に立ち尽くしていることを見た。

 

おそらく、洗車場で働いていた労働者たちが

休業または廃業を告げられに集められたのだろう。

 

私は馴染みのある中華系の食堂に足を運んだ。

いつも会計をしてくれる大柄な男に会って

事業や家族の無事を確かめたかったのだ。

 

その男と会うことはできなかったが、

真っ当に美味しいものを提供し続けてくれた

その恩を返したいという気持ちを表したい。

 

とにかく、今は外出という行為がリスクであり

ルール破りでもある雰囲気だ。住んでいる

コンドミニアムの敷地内ですら、朝子どもと

散歩していると、「STAY HOME」と

他の住人に釘を刺されるような始末。

 

天候や住環境は好ましく、幸せだが、

今人々を取り巻く異常事態の環境はとても

不安やストレスを溜め込むものでもある。

 

電気もガスも水も止まる最悪の事態も想定しつつ

落ち着いて対応していきたい。こんな時に

交通事故にあったり、悪い話に騙されたり

することがないように。

 

今の現状から見えてくることが明確にある。

それは、これはただごとではない。と

気がつくタイミングが人によってまちまちだ

ということだ。余計な情報の収集は無駄だが

"友人や社会への配慮"はいつも最重視すべきだ。

 

私には5歳の娘がいて、私が単身赴任の期間に

肺炎で入院したことがある。その時の、

原因は風邪をこじらせたことだったようだが

実家から離れた街で5歳と、さらに乳飲み子を

一人で育てた妻、幼い我が子たちの生活負担が

おそらく病気に導いたと深く反省をした。

 

何より病院で健気に呼吸器をつけて

トイレや食事を不便そうに行う当時4歳の

娘の姿は平和な日常の中でも忘れることはない。

 

私には、その"娘の呼吸器姿"の経験がある。

COVID-19が国際社会で認知され始めた

1月ごろに私は家族で旅行をした。それは

確実に認識が甘かった。若い自分たちなら

感染しても死に至るほどではないだろう、と。

 

その後、マレーシアは閉鎖の措置をとり、

仕事も社会のシステムも停止し、ニュースから

日々深刻になっていく感染拡大の知らせが来る。

 

そんな状態になり、また実際に亡くなった方の

物語の記事に触れ、今は「自分たちがいかに

誰かに感染させる媒体にならずにいられるか」

だけを考えている。これを共有したい。

 

そして、病床で働く多くの方々に心から感謝し

再び平和が訪れた後そんな方へのお礼を込めて

今まで以上にいい機械を作れるエンジニアに

自分はなりたい。

 

働きたい内容があっても、それができない期間が

続くことは、とても虚しく、社会に申し訳ない。

0294_期末に考えていること

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私の勤め先のメーカーは3月決算で、

4月から新しい会計年度が始まる会社だ。

日本では一般的だが、私が今住んでいるマレーシア

では学校の新学期は9月、会計年度は会社による

という雰囲気。日本のように桜が咲くこともなく

 

冬が終わり、春が来て、新学期、新年度となり

気持ち新たになる雰囲気は、東南アジアでは

少し理解がしづらいことであろう。

 

私がマレーシア工場に出向になったのは

2019年4月1日。ちょうど、新元号が発表される

その時に私は自分が新しく住む場所へと移る

飛行機の中にいたことを今でもよく覚えている。

 

移住後から一年になる。私が渡って一年。

家族が帯同として渡って7ヶ月だ。

 

2020年3月現在、COVID-19と呼ばれる

世界的な感染症の拡大のために、日本も

マレーシアも渡航禁止が各組織に促されており

例に漏れず私は期末に予定した日本への帰国を

諦めることとなった。寂しいことである。

 

期末になればいつも、新体制の発表や、

昇進・昇格・新入社員紹介などで心が躍るが、

今年はビデオ視聴ということになり、また

14日間の自宅待機の令によって突然、

その日に今期(今の会計年度)が終わったことは

とても物悲しく感じてしまった。

 

ところが、これはこれで、とても良い機会だ。

私は海外駐在という夢を長い期間かけて叶える

努力をした。夢を叶えて、家族と海外で暮らし

また自身もマレーシア拠点に各地へ出張する

など、更に今まで序列が邪魔をして任せてもらえ

なかった難易度の高い仕事を。できたことで

確実に自分に自信をつけた。夢は叶うのだ、と。

 

このまま調子の良い状態で忙しく二年、三年と

突っ走り続けることを私は想定していた。

しかし今はマレーシアの国全体が停滞している。

 

これが良い機会なのは、外部要因で、更には

予期できないようなネガティブで急速な流れで

世の中の士気が停滞していくことを、

海外で一歩引いた目で見られるということだ。

 

正直この先の景気後退は不安に感じる。

すぐさまクビを切られることはないだろう、

とか、仮に自分がクビを切られたとしたら

家族や自分のために何の仕事を始めるだろう

という、(目の前の仕事に忙しい時には見えない)

自分のキャリアや人生観を考える機になる。

 

無闇に転職活動をすることよりも、

自分のやりたいことや極めたいことを

しっかり時間をかけて継続することが有効だ。

 

これは過去に転職活動をかなり頑張った末、

もう転職活動はやらない、と決めた真髄だ。

 

勤め先はまず正しい行いをする組織であるべきで

そうであれば勤め先に不満を持って辞めるよりも

感謝して働きながら、自分のテーマを掘り下げる

ということが賢明だと過去に学んだのだ。

 

今まさに。来たる不況と、会社は社員の面倒を

完璧に見られるものではないという時代の到来で

私は私自身がやりたいことでかつ、社会もその

力を必要としてくれる分野を探すときがきている。

 

何だっていい。私は絵を描くのが好きだが、

他にも、京都市の自転車通勤に関しては造詣が

深い、食器洗いと漂白に関しては自信がある、

海外ドラマなら寝ずに見続けることができる、

誰も行きたがらないような国にも喜んでいける

など自分の中にある自分らしさを世の中に、

世の中というと広いので恩を返したい何人かに

還元する良い機会だと感じている。

 

来期も仕事は続くし家庭も切り盛りする。

しかし、私の人生はその他の分野でも何かを

繰り広げられる余地がある。それを忘れては

つまらない人生感になってしまうだろう。

 

新しい人や物との出会いが恋しくなる

マレーシアの4月がやってくる。桜や新年度の

雰囲気はなくとも、気持ちは新鮮でありたい。

0293_恥ずかしいから練習をする

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毎日の暮らしや仕事の中で、失敗した後に

恥ずかしいこととそうでないことは分けられる。

 

例えば、毎日ではないにせよ、銀行でのお金の

送金は間違うと恥ずかしい。自分の大切なお金を

失ってしまうことに繋がるからである。

 

お金が水のようにあれば、失敗を気にせずに

寄付でも物販購入でも勇ましくやるだろう。

 

身なりにおいてもそうである。

私は作業員だが、汚れたままの姿は好まない。

朝一で汚れた作業員に仕事が美しい者はいない。

 

私の経験ではっきりと述べられることは

靴のカカトを踏むような技術者は、まず以って

技術の奥深さと戦う気概がない人間だ。

 

シャツを入れないとか、帽子をまっすぐ被らない

などということも、これと同等と言えよう。

何か自らを真っ直ぐにしないことで

言い訳を探して逃げているように私には映る。

 

さて話を戻して、失敗したら恥ずかしいかどうか。

それは人にとってその各分野における、

プロ意識の現れだ、と私は考えている。

 

悪いことを人のせいにしがちで、

学ぶことに億劫な人間ほど、安直なミスをする。

これは子育てをしていると頻繁に気がつく。

 

子どもはついつい楽しいことや、悲しいことの

衝動でミスをする。そして場合によっては

自分を守るための嘘をついたり、誰か周りの

せいにしたり環境のせいにしたりする。

 

もしプロ意識があれば、例え子どもだとしても

失敗に対しての言い訳はしないし、失敗を

大人と同様に、恥ずかしがることができる。

 

よく失敗を恐れずにいけ、と。ビジネス書や

自己啓発本に書いてあるが、失敗は恐れる

どうこうの前にまず、恥ずかしいことだ。

 

たが失敗を恐れて何もしないことは良くない。

そこは自分もそう思うが、プロになるならば

どうしてもやりたいが、その失敗は恥ずかしく、

細心の注意を払って誰にも迷惑をかけないよう

恥ずかしい目に合う、合わせることのないよう

胆力を持って挑戦する、ということが肝だ。

 

何をやっても失敗が発生し、時間はかかる。

その教訓は、失敗をたくさんして、時間をかけて

恥ずかしい思いをしながらも何とかして

自分の理想の姿に自分を近づけること、

そして誰かのためになるよう行動すること。

これを続けた人ならば言っていい台詞だ。

失敗を恐れるな、と。

 

恥ずかしいからやらない、は論外、

勇気を出さないからだ。失敗したら恥ずかしいが

自分ならできそうな気がする、だから挑戦する。

 

という気持ちを持つことが要点だ。そして

その挑戦は、失敗しようが成功しようが、

もう一度やった時に、もっと良くできる、

 

例えば主婦の方なら、一度挑戦した

不慣れな料理は、1回目はセオリー通りに

美味しく。2回目は部材購入含む時短で、

3回目4回目は自分や家族の好きや味付けとして

自分のスタイルに、していけるのがプロの主婦だ。

 

1回挑戦して美味しくできず、もうやらない

というのは、言い方は悪いが二流の主婦だと

思う。内容にもよるが、自分の力量や作業環境を

正しく把握している料理人ならば、その料理に

挑戦すべきかどうかを判断できるはずだ。

 

私の自慢の妻は料理の失敗は何に一回

あるかないか、だ。果敢に新しい料理に

挑戦する反面、不味いものを食卓にもたらす

ことは恥ずかしい、とプロ根性があるのだろう。

 

その意味で、練習がとても大切だ。

次にやらなきゃいけない時がいつ来ても

楽しくできる状態でありたいと思えるならば

それは歴としたプロ意識だ。それがゲームでも

服の着こなしでも。明日着る服を何にしようか

一旦考えて着て、シワをとって、かけておく。

それが身なりのプロの振る舞いだ。

 

恥ずかしいことは何もない、と言えるのは

自分の全行動領域を達観し、どうやっても

失敗しない(失敗しても迷惑をかけない)次元で

自分の行動を掌握できた人物だろう。

 

とりあえずやってみる、で失敗する、

恥ずかしくはない、人に迷惑はかける。

こんなことでは、日本人失格である。

 

どうあっても人は恥ずかしい間に合うし

この世界は常に挑戦が求められている。

胆力を持って挑もうではないか。