DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0252_年に2回正月が来る国

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マレーシアのいいところを端的に記録する。

それは、多民族でかつ、それぞれの民族が持つ

休暇を国民全体で享受できることである。

 

排他的とされるイスラム教徒が人口の七割も

いるにもかかわらず、マレーシアという国には

クリスマス休日もディパバリ(インド系正月)もあり

二大イベントはムスリムにとってのハリラヤ

(断食明けの祝いと休暇)と、中華系民族が祝う

チャイニーズニューイヤー(旧正月)だ。

 

旧正月は月の動きによって変動するため、

毎年その日時は異なることが特徴だ。

中華系民族はその休暇の間に6日から最大

2週間ほどの休暇を取るのが通例である。

 

ここで、駐在の私にとってありがたいのは

マレーでも中華でもヒンドゥーでもない日本人の

駐在員の私ももれなくその休暇の雰囲気を楽しめ

また、実際にその休暇期間は仕事を休めることだ。

 

これが今回のタイトルの、年に2回の正月だ。

私は日本人なので、元日とその前後に休暇を取る。

 

これに対して非日本人のスタッフはとくに

不平を言うでもなく、日本人だからそうだよね

という理解とともに、私は気持ちよく休める。

そして1月下旬から2月上旬に来る旧正月

みんなが休むからという理由でまた休むのだ。

 

一年に正月が2度もあるなんて、日本に暮らして

いたら1度も経験できないことだろう。

 

今年は家族で海外旅行に行く事を考えている。

忙しい中で、旧正月前に終わらせて…という

タフな仕事も実際にはあるが、メリハリをつけて

仕事は仕事。休暇は休暇。で実りのある生活に

していけるようにしたい。

0251_一匹狼とはどんな人間か

自分は一匹狼だと思っていた期間は長い。

 

それは義務教育期間や、好きで参加している

サークルや語学習得のコミュニティも含む。

会社勤めや地域社会においても同様だ。

 

自分は自分の指針に沿って動くのであって、

他人に動かされたり他人の時間の中に組み込まれる

くらいなら、何にも属したくないと感じる。

これがわがままで配慮のない行動になって

周りから少し冷ややかな目線を感じる。

 

しかし自分でも驚き呆れるほどに

その目線には全く動じない。その結果に悟る。

自分は、一匹狼という人種なのだ、と。

 

しかし一匹狼を長く続けてきたつもりだが、

冷静に自分の状況を考えると、本当に一匹狼か

どうかは判断が難しい。

 

妻と2人の子どもがいて、上司や同僚がいて

お客さんや協力業者との信頼関係に注意する。

そして自分も仕事の大きな流れの渦中で

(群れることはできなくても)利他の心を持って

自ら働きかけることを楽しんでいる。

 

自分は自他共に認める一匹狼タイプだが

置かれた状況から見ると決してそうではない。

 

1人の人間が一匹狼かどうかを決めるのは

他人から受ける感謝の量や質だと私は考える。

 

自分の行いで具体的な誰か1人の人物に、

利他の心を持たすことができるかどうか。

それが一匹狼かどうかの判断基準だろう。

 

最も一匹狼でないと気づくのは子育てだ。

子どものためを思って楽しませたり優しくしたり

したことは必ず自分に帰ってくる。

ありがとうやおはようの言葉それだけで分かる。

 

同僚とのやり取りでも、自分がやって欲しい

仕事をお願いした時に、喜んで引き受けて

くれる時は、自分は全く一匹狼ではないと

自覚できる時だ。この些末な文章を読む

その端末の前の貴方ですら、私との関係に

おいては一匹狼ではない。私は例えその数が

1だとしても、記事に対してのアクセス数が

あることを喜ばしく思えるからである。

 

結論、世の中に一匹狼はいない。

しかし、一匹狼を演じて排他的になってしまう

ことはよくある。それは一種の認知(知覚)の病だ。

私が忙しさの中でよく患う、風邪のようなものだ。

 

しかし、何にしても辞めなければ必ず

自分が一匹狼だなんてなんて事を考えていたのか

と周りに感謝できる日が来る。それが

合格だったり、結婚だったりしなくても

大切な誰かの死や、何かの終わりかもしれない。

 

私はこれからも、たくさんの感謝すべき人の

取り巻きの中でひっそりと一匹狼肌でい続ける

だろうが、本当は一人ではないと喜べる。

 

だからどうか、一匹狼気取りの虚しい人間を

見かけたら、うまく利用してやって欲しい。

彼ら(私)は人からの助けを待っているのだ。

0250_目標設定と発信について

2020年が始まって約2週間が過ぎた。

 

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、と

気づけば四月になっていることだろう。

定期的に自分の成果や存在意義を数字や

人物を交えてとらまえていくことは大切だ。

 

このブログを読んでくださる方に一つでも

多くの幸がくることを今年も願っている。

 

しかし、断言すると私は他人を気にしない。

他人が私をどう捉えるかもあまり注視しない。

誰も私のことなどかまうものかというのが本音だ。

 

それはなぜかというと、世の中に燦然と輝く

富や成功に対しての憧れや嫉妬心を持つこと

よりも、目の前のちょっとだけ困ったことや

知らないことを理解して生活をより良くする

ことのほうが、着実に幸せになれるからだ。

 

過去に述べたことだが、振り返ると

長い苦労の末に私は2019年に、33歳で夢を叶えた。

技術者で、駐在として家族で海外に移り住むことだ。

 

それまでに数多くの周りの成功を見てきたし、

自身の挫折もあった。だから夢が叶った日の

清々しい気持ちや、夢を叶えた後現在までの

約10カ月間の喜びや苦悩は、私の人生の集大成だ。

 

しかし私の個性そのものを見てもらいたい

という気持ちはない。環境に恵まれた面も

かなり大きいと感じているからだ。

なぜなら駐在で家族帯同で東南アジアに

住むなら何より勤め先の重大な決断に依存

するところがあったし、やっている仕事が

世の中に広く必要とされている環境も大切だ。

周りは気にしないと言いつつも、周りへの

感謝の気持ちは常に念頭においている。

 

今回は目標設定と発信について記録する。

目標設定時に何よりも大切なことがある。

それは、その目標を達成したかという結果と

どれくらい進捗があるかという経過を、

毎日でも確認できるようにすることだ。

 

目標設定が苦手な人も得意な人も、

"今日からの365日で1日も風邪をひかない"

というのが最も簡単にできる目標設定だろう。

みんながそう設定すればいいとさえ思う。

 

一人ひとり人は違うので精神性には区分がないが

仮に3種類に分かれることとして考えて欲しい。

 

A "普通1日風邪くらいはひくから、無理だ"

B "1日は現実的でないから5日にしよう"

C "やればできんことはないはずだ"

 

Cを選んだ貴方は、真面目でエンジニア向き…か?

いや、私の意見はそうではない。おそらく、

結果としてはABCのどれを選んでも

誰でも一度くらいは風邪をひく。

 

大切なのは設定したことを忘れずにいられる

精神性と、それを発信できる力だ。

 

この目標を仮に全員が設定したとして、

七月一日に急に尋ねたとする。

「立てた目標に対しての進捗は?」と。

 

おそらく大半の人は「何の話でしたっけ」

となる。しかし目標の達成を楽しむ気概を

自分のものにした人は言うだろう。

「半年経って、風邪をひいた日数は○日です」と。

 

話はそれるが、私は東南アジアの数多くの田舎で

(農業などの)一次産業に従事する数多くの

東南アジア人と触れ合ってきた。そして、

彼らの生活なり人生には、目標設定や、

個性を活かした発信などが、必要ないのだと

感じることが一度や二度ではない。

日課された労働を明日も来週も、終われと

言われるか自分から辞めるまで、ずっと

続けていく。それで食べていけてありがたい。

そんな生活をする人を何度も見てきた。

 

私は日本人技術者だし、欲深いし、無宗教だし

不摂生だし、世界的に見ると恵まれた存在だ。

だから、生きるためだけならやらなくても良い

苦労や目標設定、発信、反省、自己欺瞞など

自分をもっと高い位置に置けたらと研鑽する。

 

しかし、何より大事なのは一日足りたとも

風邪をひかずに家族と笑って暮らせることだ。

 

風邪はひくし家族とは頻繁に離れるし

やりがいと引き換えにストレスは大きく

周りからは頑張り過ぎるなと言われる。

それは30歳を過ぎてから、結婚して子どもが

できてから、ではなく、高校生くらいから

自覚している実際の私の個性そのものだ。

 

夢を叶えたことで、その舞台から降ろされる

不安はあるし成長するための犠牲の多さも

心配すればきりがない。しかし今年も

目標設定をして、発信も続けていきたい。

 

本来やらなくてもいいが、それらは

私がやりたいことだからに他ならない。

0249_GPSがあるという安心感

GPS, Global Positioning System,という

言葉を初めて耳にしたのは高校生だった、

15歳かそこらの頃だった。

 

へぇ〜そんなことがあるんやなぁと

他人事のように思っていたことを今でも

覚えている。海外にあちこち行く私の人生に

水とおなじくらいなくてはならないのが

通信環境とGPSだ。

 

出張で知らない国の田舎に来るといつも思うのが

もしここで大災害が来て、インターネットが

なくなった時にどうしようということだ。

 

そこまでシビアに考えてはいないが、

Garminはいつか買おうと考えている。

 

さて、GPSを頼りにできる安心感は

ややもするとGPSが使えない不安感や

GPSだけを頼りにしてしまう恐れがある

ということを今回は記録したいと思う。

 

現在、東南アジアの若い方の多くは

Google mapやFlight radarのアプリを使って

現在と目的地の位置関係を確認している。

これは地図を見て考えてもどうしようもない

長距離移動や、見知らぬ土地では有効だ。

 

しかし、私は自分ごとながら、駐在先の

クアラルンプール郊外の暮らしで、つい5km

ほどの移動でもWazeを使う傾向にある。

一度行ったことがあるところですら、だ。

悪いことではないが、数万人のユーザーが

同時に使っている情報なので、渋滞にハマったり

道を間違えた際の心理的な負担などは

知っている道を走ることの比にならない。

 

ましてや、Grabなどタクシー移動の際に

ドライバーがGPSを使っていることに対して

何も疑問が生まれない。安心感すらある。

 

今読んでいる、NEW DARK AGE

という洋書(絶版の日本語翻訳版)には

こんな話が書かれていた。大韓航空機が

自動操縦システムを信用して飛行を続けた結果

ロシア領空を通過し打ち落とされたというもの。

 

考えればぞっとするが、起きることはわかる。

誰かが技術的に位置情報を制御、妨害したり

しても100%信用してしまっていては、

正誤が分からないからである。

 

ちなみに2019年にヒットした著書、

ファクトフルネスには飛行機が墜落する

可能性とその歴史について、現在は年に10台

一人当たり10億キロの飛行に対して1回

墜落というのがデータ上の可能性らしい。

 

いずれはタクシー運転手も皆おなじGPS

使う。頼ることは良いことだが、技術に

依存して考えるのを辞めることがないよう

気をつけてテクノロジーを楽しみたい。

 

0248_ベトナム出張の記録

今週はベトナムに出張で来ている。

 

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職業柄田舎にしかこないため、

とくにこれといって余暇があるわけではないが

頭から傘をかぶった作業者を見たり、

車の窓から見えるベトナム語を見ていたりすると

やはり異国情緒はどこにでもあると感じる。

 

好きなVOICYのパーソナリティである

宮路秀作さんは自身の2019年の放送で

ベトナムの宗教の分布についてこう伝えた。

大道仏教が8%で、キリスト教が6%いる。

それ以外は無宗教だ、と。しかし私が来ている

町はあちこちに教会があり、建物にマリア様の

ような、洋風な像をあしらっている家屋を

多く見かける。刺青をしている人も多い。

 

これらの人口分布はやはり性格とは限らないと

実際に来てみて思う。それは情報が間違っている

のでは決してない。変容しているのだろう。

変容しているものを管理、統括している速度も

国や地域によってはまちまちだろうから

どんな人種が何%いるという情報は

あくまで目安の一つだ。本当のことは実際に

足を運んでみて感じて、調べて分かること。

 

さて、宗教についての捉え方を記録したが

私が最も印象に残っているベトナム

若い人が多いということだ。

 

私が関係している仕事が一次産業ということは

あるだろうが、15歳かそれ以下だろう

若すぎる人材がたくさん仕事をしている。

 

朝は9時前に郵便局に行くと、10人ほどの

小学生くらいの男の子たちが林の中で

サッカーをしているのも見かけた。

 

この国の人口は9000万人ほどで、半数は

都市部以外に住んでいるらしい。そう考えると

活気盛んな若い人口が地方都市にいることが

統計からも景色からも見て取れる。

 

韓国や台湾、そして何より日本に長くいた

私から見ると、元気なお年寄りが多い

ということがすごいことだと気づく。

 

自分は人生の中でいつまで若いとされるのだろうか

ベトナムに来ると33歳の私はさほど若くない。

来月には34歳になる。40歳になるまでの目標は

人生の円熟と、若さを保つこと、両方だ。

 

それを身をもって動機づけるためにこれからも

旅をして色々な社会にふれて内省していきたい。

0247_13連休が教えてくれたこと

クアラルンプール郊外に引っ越して

タイ・マレーシアで忙しく働くなかで

年末年始は13連休をとった。

 

これは何も仕事が嫌になったなどではなく

元から取得を予定していた有給休暇と、

出張の代休があわさったのだ。

 

ともあれ、13連休はおそらく勤め人人生の

中でも最長だったし、忙しいマレーシア生活から

日本へ帰れる機会は本当にありがたかった。

 

日本で感じたことや温泉や料理や

日本語のありがたさなどは月並みなので

私がユニークだと感じた13日間の休暇の

最終日について記録を残したい。

 

連休の終わりは、早朝から移動し

マレーシアには15:00頃には到着した。

 

2020年1月6日の朝は、多くの日本在住者に

とって仕事初めの日だったことだろう。

幸い私は、苦手な電車に乗る必要はなかった。

 

電車が苦手な人は少なくないだろう。

とりわけ仕事初めの電車は、気を揉むだろうし

落ち込んだ表情の人も眠そうな人も見るだろう。

 

顔が死んでいる人が鮨詰め状態で、半ば

"乗らされている"のが日本の通勤ラッシュの

都市部の電車のよく見る光景だ。

 

空港はそうでもない。社員旅行なのか、

浮かれた表情の30〜40代の日本人団体や、

凛とした表情で働く日本人スタッフ、

自分の町へ帰っていくだろう外国人たち。

どの顔も満員電車のそれとは違って見えた。

 

自分や彼らは、いい気分でいられる方法を

1月6日にとった。それだけなのだろう。

 

ましてや私は愛する家族とともに渡航した。

妻や2人の子どもは長い休暇の先に、また

マレーシアへ向けて移動することにとても

幸せそうな表情を浮かべていた。

 

私が求めていた理想の人生は実現した。

旅をして、現実に戻って浮かない顔をしていたら

結局その旅は消費であり、娯楽だと思う。

 

自分はそれが嫌で旅をしながら暮らしたいと

願って、技術者として一人前になれるよう

研鑽を続けた。技術者としては半人前だが、

それでも人生は願った通りの形態になった。

 

連休が終わる理想のマインドセットは、

"連休前の日常に戻ることが楽しみ"

というものでそれはこれからも変わらない。

 

もちろんそうは言ってられない職業もある。

私も認知が少しずれれば、年末年始に帰国を

諦めて仕事一徹で家族を無視したのかもしれない。

 

しかしそんなことは努力でもなんでもない。

社会がそれを個人に強いることは、ないのだ。

 

楽しませてもらえないという感覚は悲しく

楽しむという感覚は尊く、応援しがいがある。

私は家族を連れてこれからも楽しく旅をしたい。

 

個人としては、技術者として一人前になって

一人でも多くの人を技術的に救うことだ。

0246_忘年会スルーに物申したい

マレーシアに転勤してから初の年末。

忘年会スルーという言葉を聞いたのは

ネット記事で、12月に入ってからだ。

 

確かに分かる。忘年会は煩わしい。

幹事を任命された日には青ざめるし

出し物があるなど、正直理解しがたい。

 

やがてお花見スルー、盆祭りスルーなど

どんどんなくなっていくんだろうなと感じる。

 

弱い奴が参加できないのは仕方ないと思う。

夢を追っている君が、憧れの舞台にいるなら

歳末の挨拶や年始の挨拶は軽視しないだろう。

 

どの記事を読んだのか忘れたが、

忘年会スルーの理由に、"飲み過ぎによる

会社情報の漏洩の危機などのリスク"とあった。

 

管理する方は本当に大変だろうな、と感じる。

私はマレーシアにいて、Year end partyに

参加させてもらったが、これが本当に…

情けないほどメリハリのない会だった。

 

時間通りに始まらない、司会もない、

酒は飲まない(これは仕方ない)、

席を立って一年の労をねぎらう文化がない…

 

日本の忘年会スルーの行く末がもしこの

マレーシアのYear end partyだったら

どうしようと恐ろしい気持ちになった。

 

おそらく、私が憧れているお笑い芸人の業界や

それ以外も芸能、芸術など、夢を追って

切磋琢磨する業界には厳しいしきたりと、

節度ごとのイベントがきっちりと執り行われて

おり、そこで粗相のない優秀な人物が

若くしてチャンスをつないでいくのだと思う。

 

飲みすぎて会社のパソコンをなくすような

人間は悪いが忘年会スルーの前に、入社させた

会社の見る目が明らかになかったか、

会社の風通しの悪さなどで元はまともだった

人間が陳腐化した(酒で節度を守らなくなった)

のかどちらかではないか。

 

私は日本の忘年会が非常に恋しい。

それは、一生懸命仕事をやっている中で

どうしてもぶつかり合ったり、恩を受けたりで

改まってお礼をいう機会が欲しいからだ。

 

そうしないと、ホッとした気分で一年を

締め括れない。もちろん、社長から新人まで

全員に顔を合わせて話せることはないが

それでもあの人とお互いを労う話がしたい。

という気持ちは忘年会にぶつけるのが一番

いいのだ。心から感謝している仲間がいる。

 

感謝されることもすることもできない人間は

スルーされているから、忘年会をスルーする。

 

一緒に頑張っている仲間が好きで尊敬できる

たくましいチームなり組織なら、時間をとって

美味しいものを食べたり楽しい時間を共有して

その一年を美しく締めくくるのがいい。

 

まず、感謝し尽くすことがいいと思う。

元々は私はニートだったし、大学生の頃から

忘年会スルーに激しく同意するような

夢も情熱もないくせに自論があるタイプだった。

 

今は違う。叶えたい大きな夢がある。

だから謙虚でなくてはならないし、

感謝すべきたくさんの仲間に支えられている。

 

変わるべきはいつも周りでなくて、自分だ。

甘い考えを絶って、忘年会を楽しむ気概を

少なくとも25歳より若い君には持って欲しい。