ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0325_貴方が英語を学ぶ必要はない

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2019年4月に始まったマレーシア生活。

1年と4ヶ月が過ぎた。家族が家にいるので

日本語を使わない日はないが、日本人の上司が

一時帰国となったことで、私は現在出向先の

現地企業にただ1人の日本人として働いている。

 

そうなると、やはりコミュニケーションは

英語が主で、英語を使う機会は増えている。

日本語が話せる現地人はいないからである。

 

本日は英語学習について思うことを記録したい。

 

英語学習についてたくさんの挑戦をこれまで

私はしてきたし、これからも力をつけたいと

思っている。ちょうど我が子が簡単な英会話を

身につけつつある様子を見ていると、やはり

"やれるか"は"やるか"に起因すると感じる。

話せるか、は、話そうとするか、ということだ。

 

結論。外向けに発信したいこととしては、

「必要にかられない限り、"英語の勉強をしたい"

という欲求は持たなくて良い」ということだ。

 

それは私における"中国語"にとってかわる。

 

このコロナ禍で、中止になってしまった出張が

ある。それが中国本土での大型プロジェクトだ。

 

その納品出張メンバーに内定した途端、

私は"必要に駆られた"のだった。そして数日間

地道に勉強をし続けた。危機感が勉強を

させたと言っても過言ではない。

 

納品メンバーもお客さんも誰もかもが英語を

得意としないという予見ができたのからだ。

それなら自分が中国語を話すより他はない。

 

ところがいざ出張予定がなくなると、

"必要に駆られていない"ので、なかなか、

記憶に残そう、隙あらば練習しようという

意欲が自然に減退していっている。

 

七夕に書いた短冊がまだ壁に残っている。

"英語と同レベルで中国語を使うようになる"と。

 

2週間ほど経ち今でも勉強を続けてはいるが、

必要に駆られていない勉強は身が入らない。

 

これは日本人の多くに共通する

"英語ができた方がいい"感覚に近いだろう。

 

私は日頃必要に駆られて色々なことを調べる。

Determinって何?鳥のムネ肉ってなんと言う?

使う必要があるからこそ、一生懸命にやって、

それを経験として自分のものにできるのだ。

 

ラジオアプリやYouTubeで、「今すぐ使える

英会話」を見たとしてもそれは必要に駆られた

日本人以外には、全くの娯楽と化すだろう。

 

そこで必要となるのは、"必要に駆られた状態"

を人工的に自分で作り出す情熱だと私は考える。

 

好きな映画俳優のインタビューを聴きたい。

今すぐにでも行ってみたい街の情報を

英語情報で調べて好きなあの人に披露したい。

 

"こんなのあったらいいな"という生半可な

望みでは、おそらくそれは続かないだろう。

 

なので、やはり結論は変わらず。

英語が必要とされることがない日本人は、

英語ができなくても何も心配しなくていい。

 

必要に駆られるという時は必ず、

誰か人のためになれるという時である。

 

その時のために娯楽の学びに時間を費やさず、

家の前の掃除の一つでもしたほうが

かえって国際人の仲間入りへは近道である。

 

人生に必要なことは何かを考えるのも大切だ。