0176_リスクと損切りの思考
人生において影響を受けた偉人の
考えや着想は、有事の判断に役立つ。
私にとって今回紹介したい考えは
荒木飛呂彦さんの著書
残念ながら私はジョジョファンではないが、
その独自の世界観は好きなお笑い芸人達を
虜にし、またマレーシアでともに仕事をする
数名の仲間にとってもジョジョは名作なので
知らないと平気で言える作品ではない。
身の回りで自分の揺るぎない世界観を持っている
人は案外ジョジョ好きが多い印象だ。
私はどちらかというとその独自の世界観の
作り方を漫画術から学んでみたく手に取ったが
最も印象に残っている教訓は、少年漫画として
の条件を述べられた節だった。
ジャンプ漫画は、友情・努力・勝利で
常に前に進んでいくのが基本原則である、と。
加えて、マイナスからゼロに戻っただけでは
英雄にはなれないという表現があった。
この表現は私の仕事やプライベートでの
リスクとの向き合い方に今も作用している。
というのも、損なところから始まった
折衝なりトラブルシューティングは、殆どの場合
そこから大逆転してかなり得するアプローチよりは
損害をゼロに近づけようとする作業が多いのだ。
私はこの手のマイナスからゼロへの活動を
極めて嫌うようになった。損することに対して
大切な時間を使ってクレームをつけたり
損することを快く思わない時間を持ったりする
ことそのものが、マイナスの要素が大きく、
それをどこまで突き詰めてもゼロにしかならず
そのゼロを達成しても、少年漫画の観点から
見れば、英雄にはなれないという発想がある。
具体例を挙げよう。
例えば、うどん屋で店員が持ってきたうどんを
ひっくり返して服が汁でびしょびしょになり
火傷も追って、店員の対応も悪かったとしよう。
これによって起こる損害は服や火傷などだ。
それをどんなに頑張っても、着ていた服よりも
いい服を喜んで受け取ることは難しく、
また火傷に関して治ることはあっても
火傷を負った体が火傷前よりも健康になる
ということはこれもやはり現実的ではない。
損から始まった物語を損ゼロにするべく、
クリーニング代や治療代を要求し、二度と
同じ事故がないよう店側を叱りつけるだろう。
しかし、労力と時間を使ってそのゼロを
手に入れたところで、誰にとっても英雄には
なれない。むしろ暇なのだと認識されるだろう。
この場合に必要となるのは損切りの思考だ。
火傷は不便するし汚された衣類は返ってこない
という、損切りを早々にするのが良い。
かと言って謝られることも損害を補填する
対応もないままに全損で終わるのは筋が通らない。
しかしやはり、何としても全て完璧に
補償させてやらないと気が済まない気持ちを
何とか新しい生産活動をしたり、寛大さを発揮し
店側に忠誠心を示す方が、社会性がある。
うどん屋へ行ったことがまず選択で、
どうしてもつゆをこぼされてはまずい
状況であるならば、牛丼やカレーなど、
こぼされてびちょびちょになる危険性のない
食事を次から選ぶようにし、選択を悔やむのだ。
間違っても周りに自分の貴重な時間や労力を
ふんだんに使ってそのうどん屋を批判したり
もう戻ってこない時間を後悔したり嘆いたり
するべきではない。それで人の命が失われた
というならまだしも。広く考えれば
命さえ取られなければ先に心配はない。
そのうどん屋選びも、店員の対応よくないが
味が本当に美味しいものを選んだのか、
ただ単に近くにあったから選んだのか。
自分の意思決定に都度フィードバックを
している者ならば、損切りの思考は有用だ。
本当に味が良くて魅力的な店主がいて
たまたま不慣れなアルバイトがうどんを
自分にこぼしたなら忘れるべきであって、
味も店主も魅力のない店にさらにうどんを
こぼされたのであれば、即記憶から消すか、
どうやれば少しずつ良くなれるか、勝手に
シャドーファイトをさせてもらうのがよい。
ともあれ、
◯マイナス始まりの出来事はゼロに終始する
◯マイナスからゼロにできても英雄ではない
の二点において今後も仕事プライベートともに
感覚を研ぎすませ、ゼロからイチの創造に
たくさんの時間と情熱をかけていきたい。