0129_初めの一言の大切さ
人のふり見て我がふり直せ、
をという教訓をいつも活かせるように
誰かの行動で少しでも気になれば自分はどうか
確認をすることにしている。
私の海外赴任が決まってすぐの出来事と
その時に受けた人からの言葉や態度について
私が感じたことを今回は記録する。
海外赴任の決定の知らせを聞いて、
共に働く製造現場の仲間達が受けた印象は
驚きと寂しさといったところのようだ。
これは、共に働く仲間に積極的に交友関係を
持とうとせず、飲み会も会社主催のもののみ
行き、二次会などは確認もせずに帰るという
ドライで淡白な人間関係を自ら進んで持ち続けた
そんな私にとっても驚きと寂しさを共感した。
実際に工場で仕事をするたくさんの先輩、後輩に
寂しくなるね、とか頑張れよ、と第一声に
言われたのは相手が誰でも嬉しいと感じた。
自分が去る際に一番喜んでしまう他人の第一声
は寂しくなるね、や頑張れよ、だと知った。
逆に、一番喜ばしくない言葉。社内にいた
あまり親しくない数名の方(大体は先輩)からの
第一声は「家族どうするんですか?」だ。
実際寂しくなるねとか頑張れよとか言って
くださった方の多くも第二声目はこれだった。
私がコミュニケーションをとる際に気にかけて
いることと、私とウマが合わない人が気にかける
ことは違うので、価値観が違うだけなのだろうが
家族を紹介したことのある相手ならまだしも、
私とも距離が近くない相手から、私の家族が
赴任後どうするのかを1発目に確認するのは少し
妙な気分になってしまう。
答えてもいいが、あなたは私の家族がどうなるか
知ってどうするのですか?という気分になる。
いや、分かっている。誰しも単身赴任か
家族帯同で行くのかが気にはなるものだ。
私が逆の立場でも、また相手が全く興味のない
存在でも、単身赴任と家族帯同かは気になる。
しかしいきなりそれを本人に確認するのは
少しだけ気が早いというか、家族がどうか
と言う前に目の前にいる赴任者に対して
労いなり祝福なり声をかけるのが礼儀だと思う。
そんなものはとってつけたような社交辞令でも
会話の開始サインとして役に立つのだ。
これは帯同家族、家、仕事など何にでも
置き換えられるだろう。その人の属性や
所有物がどうかと言う前に、その人そのものへ
言葉をかけるのが正しいコミュニケーションだろう。
例えは良くないかもしれないが、
気になる珍しい車を見かけたとして、
その車の名前を運転手に尋ねたいという想いが
あったなら、まずかけてみるといい言葉は、
車を運転する貴方が、様になっていますね、
珍しい車に乗っている貴方はすごいですね、だ。
これが本心で言えたらその後は何でも
相手から引き出せるチャンスを得る。
逆に車だけ気になって人に関心がないなら
ネットでも他の人に聞くでも良い。
ところが人との距離感をあまり慎重に
考えて行動しないパターンの方は言うのだ
1発目に、これなんていう車ですか?と。
関心のない人の所有物にだけ関心が
持てる神経が私には理解ができない。
人のふり見て我がふり直せ論で考えると、
誰かがもし遠くへ引っ越す場合などは
その人の取り巻きや属性がどうかという
確認の前に、「引越しされるんですね」や
「遠くへ行くのは寂しく思います」などの
緩衝材の働きをする歩み寄りの言葉が有効だ。
別に歩み寄るつもりなんかねえよ、なら
十分それでも困ることなどない。しかし
相手から気持ちよく何かを頂くことはないだろう。
相手から気持ちよく何かを頂くと、
こちらも気持ちよく何かを差し上げたくなる。
私の経験上大体うまくいくコミュニケーションの
始まりは、相手を褒めることや相手が困っている
ことに少し助けを出すなどして、ほんの小さな
喜びの可能性を差し出してみることだ。
それを無下にされたらそこで私は終わる。
それに感謝してもらえたら私はそこから
あらゆる可能性を差し出し続けてみる。
初めの言葉は初めにしかない重要な言葉だ。
期の始まりや朝の挨拶にしても同じだ。
最初でぐっと人と近づけるような言葉を
どうやったら出せるのか、相手を観察し
喜んでもらえることを喜ばしく思いたい。