ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0124_スランプでなくプラト

ブログの更新が4日間も途絶えてしまった。

 

いつもVOICYを聞いていて、毎日更新している

パーソナリティの方も少なくないが、本当に

その日々の研鑽はすごいな、と痛感する。

 

今の私の状況としては、ブログは続けたいが

他にもやりたいこと、やらなければならないことが

無数に発生しているため、体を休める時間まで

犠牲にしてブログはやめておこう。と、

少し保身気味で、弱腰である。

 

1000件書いて、その達成感を味わったり、

1000件のうち一つでも誰かの胸を打つ、

または役に立つ文書であれば私も幸せなので

引き続き更新は続けていきたい。

途切れ途切れでも、きっと続けよう。

 

今回ふと思いついたテーマは、

スランプとプラトという言葉である。

 

私がそれをはじめて聞いたのは16歳の頃、

高校2年生の部活で他校に練習に行った時だった。

 

私の所属していたバレーボール部は、

公立高校の中でも体育科が設けられている、

強化クラブがある学校だった。強化クラブは

厳しい分得られることも多く、強化クラブ同士の

横のつながり(野球部とか相撲部とか)は

とても青春の中で輝かしい思い出となった。

 

頻繁に練習で訪れた、とある工業高校での

経験もまた、私のバレーボール人生や、

キャリアにおける忍耐強さを形成した。

 

中でも"海練"と呼ばれる、夏の恒例行事で

砂浜の上で一日走ったり練習したりしたことや

練習試合の冬山合宿は、凍える寒さの中早朝から

走り込みをするなど、四季を通じ楽しかった。

精神的、肉体的に負荷が強くても楽しめるのは

なによりもスポーツと指導者のおかげである。

 

その工業高校の監督は、現代では確実にアウト、

その当時も確実にアウトだった方で、いわば

ベルリンのオリンピックでメダルをとった選手の

方も指導者として崇拝するような方だった。

 

勝つことに何よりの執念を燃やす強靭な心と

人を殴っちゃ絶対ダメな、プロボクシングの

ライセンスを持っているという強靭な体。

その方に、他校とはいえ多くの指導を受けた。

 

スランプと、プラト

それを聞いたのは、先輩たちが引退し、自分たちの

世代が始まった頃、練習試合の結果にかなりの

浮き沈みがどのチームにも出ていた頃だった。

 

噛み合えばものすごく強いチームも、

とくに主だった理由もなく崩れていきゲームの

支配権を相手チームにとられることが見られた。

 

そんな時の教えだった。

 

「今のお前たちはプラトだ。スランプじゃない。

先にスランプを教えてよう。スランプは誰に

とっての言葉か、それはスポーツ選手誰でも

ではなく、その道を極めたレベルの者だけだ。

 

勝つことを常として、自分を律し相手に弱さを

見せない力を持っているチームなり選手。

これがなぜだか負け続けることがある。

それが、スランプだ。じゃあお前たちはどうか。

 

お前たちは即席で作ったばかりで

まだ何もチームとして熟練していない。

選手としてもそうだ。新しい役割やポジションを

与えられて、見込みがあって試合に出れているが

活躍するしないはまだ約束されていない。

 

そんなチームなり選手は、簡単に伸びる。

そりゃあ最初がゼロだから、絶対に伸びる。

 

そして、プラトがくる。

プラトってのは平原って意味で、初めは

成長曲線がかなりの傾斜で右肩上がりに続くのが

しばらく経つとなだらかな平原のような

横ばいの状態になる。それが、プラトだ。

 

プラトから抜け出すには、今まで急成長した

ことを一旦置いといて、そこをゼロとして

地道に少しづつ良く変わっていくしかない。」

 

そんな話だった。

このブログも最初の100件ほどは情熱的に

言いたいことや記事の投稿にかける時間も

たくさんあったが、人生はやはり一定ではなく

次の課題、その次の課題へと自分の関心は

どんどん移ろいで行く。私のブログへの

技術や思い入れは今まさにプラトなのだ。

 

ここからなぁなぁで続けるのではなく

自分の考え方や時間の取り方に、ブレイクスルーを

もたらして、さらに楽しさを加速させたい。

 

スランプに悩む方にはとくに何も言ってあげ

られないが、プラトに関しては違う。

 

みんなそこでまったりしているんですよ、

だから安心して下さい、と言えるのだ。

 

私はまったりした人生にはあまり喜びを

感じ続けられないので先へ進もうと思う。