ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0130_壮行会の記録

マレーシアの現地子会社へ出向する前に

たくさんの準備を行ってきた。これは

これから駐在する方、目指す方にとって

かなり有用なコンテンツとなるだろう。

 

・真っ先に始めるのは所持品を捨てること

・海外引越し、日本に残置する所有物

・仕事の引き継ぎを短時間でストレスなく

・帯同家族を含む言語で困らない対策

・行く前に使うお金、入ってくるお金

・おみやげの納期とハラルマークを確認

・現地での家と、交通渋滞の確認方法

 

気になる人には喉から手が出るような

インデックスかもしれないし自分の中でも

忘れないうちに言語化しておきたいことだ。

 

しかしここまでお読み頂いた方には申し訳ないが、

このブログではそれをやる時間の余裕がない。

 

代わりに今回は壮行会についての記録を残したい。

私の壮行会は、ありがたいことに4回行われた。

 

①所属する製造部門主催(35人参加)

②営業や保守をする部門主催(30人参加)

③役員さんとの食事会(4人)

④退役された顧問の方と2人で食事

 

※この他にプライベート、親族で数回あった

 

どれも本当に、盛り上がって楽しかったし

自分がいかに大切にされているかを実感する

愛があふれたような壮行会だった。

 

この他にも、餞別で道具や食品を頂いたり

何よりたくさんの人に声をかけてもらえて

自分が何者にか変身するのではないだろうかと

錯覚するような注目され具合であった。

 

壮行会は、送別会とは違う。

 

とくに製造部門で行われた壮行会は

自分のためにとことん思考を凝らして

綿密に練られた内容であった。それを記録したい。

 

私の職務は製造現場で機械を作るエンジニアで

19歳から55歳まで約40名の機械工がいる。

6つの班から構成されており、私は8人いる

グループのメンバーだ。

 

他の班とも技術的に持ちつ持たれつで

甘えることはないが助けることや助けて頂くことが

頻繁にある。基本的に私語は少ないが、

作業机を運ぶから手を貸して欲しいとか

困り事や改善案があるから相談したいとか

何でも気軽に話し合える仲間数十名と

いつも寡黙ながら支え合って働いている。

 

そんな仲間たちが私の壮行会のために

忙しく仕事後の楽しみもあるだろう金曜日に

ほぼ全員が集まってくれたのだ。会場は

職場から3kmほど離れた下京区の居酒屋だった。

 

司会は20歳の後輩で、会の始まりの言葉は

社長だった。乾杯の挨拶は最も親しくする

同年代の後輩で、製造ならではというのか

みんな早くビールが飲みたいから挨拶は

淡白ながらも私の栄転を祝ってくれる言葉だった。

会は続き、たくさんの仲間と楽しく酒を飲み

終わりが近づいた頃には私が師と仰ぐ先輩から

これまた飾りっ気のない、頑張れよの一言と

みんなから餞別に腕時計を頂いた。私からも

20秒ほどの短いお礼の挨拶をした。

 

製造部門からの餞別を頂く直前には

私が以前に所属していた海外営業の責任者のより

預かった手紙と、紅包(ハンパオ。中華式の祝儀袋)を

部長より代読頂き、受け取った。

 

締めの挨拶は製造の本部長だったが、

ここでもサプライズの演出があり、私が現地

着任後に上司となる日本人部長からの手紙。

製造本部長の挨拶は17年前の海外工場黎明期の

苦労や楽しかったことの思い出が語られ

めでたく会は定刻通りに締めくくられた。

 

類は友を呼ぶとか、自分のしたことは自分に

返ってくるとかいうことを誰もが理解しているし

私もいつもそれを念頭に置いて前向きに生きている。

 

先輩・後輩たちに私の勇姿を見せるのはこれからだ。

 

ここで盛大に壮行会をしてもらって、

航海直後に座礁するようでは男が廃る。

 

気楽に海を渡っていける自信が持てるように

残り時間あと1週間も悔いのないような準備と

準備の限界を超える先は最大限に楽観視して

来たる航海を楽しんでいきたいと思う。

 

送別でなく、壮行。なんて美しい日本文化だ。

仲間との距離は離れるがチーム一つとなって

これからも大きな発展に繋げていきたい。