ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0138_思い出という資産の扱い方

私の最も好きなアーティストである

クレイジーケンバンドの楽曲の中に

「僕らの未来は遠い過去」というのがある。

 

"夢は未来だけじゃない
 夢のような過去もあるんだ
 そのことに気づける今が
 何より大切なんだ"

 

という一節がある。苦難だろうが幸福だろうが

何か起きるたび今のこの瞬間のことを想う。

 

そして、目の前やちょっと前の出来事だけを

自分の思考の対象とするのではなく、

夢のような未来と夢のような過去があって

現在の自分が充実しているのだと実感する。

 

さて、思い出について今回は考えを述べたい。

 

私にも誰にも、思い出はたくさんあるものだ。

その思い出は、頭の中で整理され、自分にとって

不要なものは淘汰され、良かったことは脚色され

思い出という名の資産のように頭の中に残る。

この資産を、私は増やすことを楽しんでいる。

 

会計が達者なわけではないので、会計技術的に

ものの捉え方がおかしい点はあるだろうが、

資産というものはそっと置いておくだけでは

価値が目減りしたり、また資産を運用するのに

エネルギーを消費したりする。資産に対して

税金がかかるのと同様に、思い出も活用する

ことがなければ何も生まず、頭の容量だけ

食いつぶすことになるのである。

 

そこで私が意識的に行っていることがある。

 

・基本的に思い切って忘れること

・思い出話は行き詰まったらする

 

基本的に忘れるということについて、

私が忘れん坊なことが幸いにも、あらゆることを

きちんと記録して整理する癖に繋がっている。

仕事で例えると、自分が作り上げた機械の

どこに何のネジを使用したか、後になって

誰か几帳面な仲間から尋ねられることがある。

 

んなもん知るか!と一蹴したいところだが

そんな事をすると相互信頼関係は築けない。

相手の優れた几帳面さをいつか自分に役立てる

ことができなくなるのは惜しい。

 

そこで出来る限り細部まで写真を残すなどで

記録をしておくのである。もちろん、

空いた時間や人が見ていないうちにである。

そうすることで残した情報は活用可能である。

 

もう一点、思い出話を極力しないことについて。

過去を参考にしたり過去から反省することは

非常に美しく筋が通っている。しかしながら

過去は正確には記憶されていないものである。

 

私は何度も言うが、物覚えが悪い。

誰かにしてあげたことやしてもらったことを

簡単に忘れてしまうのだ。なのであの時に

してあげた、してくれた、ということは

思い出そうとしないのだ。代わりにその時々で

「後で忘れても後悔しないように」

最善を尽くす。最も感謝してもらえるように

自己犠牲の大小を問わず相手を喜ばす。

 

これをやっていれば、何も覚えていなくても

なんとなく友好的な人間関係は広がる一方だ。

もちろん時と場合によっては相手を厳しく

切り捨てることもあるが、その場合の判断基準も

明確に持っている。

 

"甘えている者と群れることはしない"だ。

 

この人は甘えを絶っているなと判断したら

その人との関係づくりに尽力するし

将来は分からないが今は甘えているなと

感じる相手とは情報交換は何もしない。

 

思い出は資産である。運用すれば複利になる。

複利複利を生めば、私が好きな"甘えてない"

人間との出会いは加速されるのだ。

 

扱いに十分注意しながらも、思い出に依存せず

今出来ること、そして未来と過去にある夢のような

出来事に感謝しながら、人間関係を築きたい。