ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0240_長く働くために休む

タイで仕事をしていると、タイ人の代理店の

方と一週間や十日間など長期間共に過ごす。

 

重箱の隅をつつくような京都人技術者の私には

やはりタイ人のマイパンライ精神はかなりの

ギャップを感じながらの日々になる。

 

タイ人は仏教精神がベースになっているからか、

どこか日本人のような気骨を感じる。

 

だらしない体型や服装の人が少なく、

食と健康への配慮が同期している印象だ。

しかし日本人から見ると甘えん坊な気がする。

良くも悪くも肝心なところではゆるいのだ。

 

それはさておき、この生粋のタイ人VS生粋の

日本人という構図は仕事上で相容れない時が

少なくない。「和を以て尊しとなす」という

集団主義的な感覚はむしろマレーシアのほうが

強いだろう。挙げれば枚挙にいとまがない

このタイ、マレーシア、日本の比較だが

今回一点に絞って私とあるタイ人の考えの

違いから内省して学んだことを記録したい。

 

私の仕事の移動や言語面でサポートをしてくれる

タイ人のエージェント、Mr.J仮名は40代後半。

技術的なバックグラウンドはなく、おそらく

運転手兼通訳として親戚に雇ってもらっている

方だ。技術的なことをばんばん質問してくる

割に、こちらが噛み砕いてお答えしても、

俺にはそんなこと分からないと言われる。

 

仕事場ではお互いがお客さんに喜ばれるための

仕事の進め方や技術的な対策を牽引しようと

するのだが、これがしっちゃかめっちゃかに

なってしまうのだ。甘えん坊のMr.Jは

これはこうした方がいい、といつも私に言う。

 

自分でやりなよそんな簡単なこと、

(例えば一人で運べるユニットの些細な移動など)

というようなことを仕事の横から言ってくる。

 

"私たち技術者は早く正確に動けるよう

研鑽を続けてきた人間であって、あなたの

ために動くロボットではない。"という言葉を

怒りの感情を完全に抑えることに成功している

同僚のマレーシア人が陰で私にこぼした。

それほど要所でぞんざいなところがある。

 

そんな彼だが唯一こだわっていることが

あることに私は旅の途中で気がついた。

 

そう、長寿である。

 

タイ人は驚くかもしれないが、私は仕事が

うまくいって自分や子どもが若いうちに

豊かさを手に入れられるなら、その分いくらか

短命になっても良いという感覚がある。

人生が長くあることよりも中身を注視したい。

 

負けることや失うことよりも、ためらって

動けない状態が怖いのだ。だから残業してでも

腰痛を抱えていても、自分と同僚の限界の手前

まではストレスを抱えたまま奔走し続けられる。

 

そう、長寿よりも、眼前の成功に卑しいのだ。

彼はその点、良く休む、自分ではやらない。

元から分からないことは分かろうとしない。

人がくれるもの、簡単なものは有難がる。

と言ったマインドで長寿を目指している。

 

私と違うという感覚が彼をそう見えさせる。

これはどちらがいいかを問う話ではない。

 

私も仕事の中のどこかの判断基準に、

「長寿」というフィルターを通して

物事を見られるようにしようと学んだのだ。

 

長く活躍し続けるためには休みは重要だ。

短命な、燃え上がって一瞬で消える炎は

灯りとしてみんなが頼りにする期間が短い。

 

一日でも長く生きる、長く活躍するための

言動や休み方をエンジニアリングしてやろう。

 

彼のような自分と真逆の人間から魅力的に

なれた日に私は初めて彼を自分側に引き寄せ

より大きな自由を手に入れるだろう。

 

ちなみに仲は良い。昼休みは平気で

1時間くらいどうでも良いことを話す仲だ。

別れ際はお互いの健康をいつも願っている。

0239_疲れたあなたへ散歩の勧め②

バンコクから東へ1時間ほど行った田舎町で

約一週間滞在した。機械の納品のためである。

 

その間は起きてから寝るまでが同僚と共に。

同僚とは仕事の話が中心で、厳しい工期に

間に合わせるための弛まぬ努力と試練が続く。

 

"今日わからなかったことは明日までに調べるよ"

という役割は納品リーダーである私の仕事だが

これがめっぽう大変だ。仕事を終えて、

片付けをして、ホテルに戻る途中タイ料理を

食べ、コンビニに寄り、チェックインし、

シャワーを浴び、洗面所で洗濯をして、干す。

22:00かそれ以降、ようやく調べごとと業務日報

発信にあたるのだ。明日やろうは基本ない。

しんどくても割り切ってしっかりとやる。

このブログの更新は明くる日の朝の出発時間

までの暇つぶしに他ならない。

 

さて、疲れたあなたへ散歩を勧めます。

ということだけを伝えたいのだが、ここで

散歩の結果、実際に起きたことを記録する。

 

私が泊まったのはSUNEEVIEWというホテル。

平屋の連棟だった。建ってまもないような

水回りもレセプションも新しさを感じた。

 

レセプションから奥へ進むとカフェテリアが

あり、そこでは朝のコーヒーを自由に飲める。

 

前の日の夜に仕事や一切のすべきことを

済ませていた私は快晴朝7時ごろにその

カフェテリアへ行ってみた。散歩と言っても

ほんの50mほど敷地内を歩いただけのことだ。

 

しかしそれが異様に清々しく、奥には川があり

川沿いにあるベンチは川の縁までせり出ていた。

 

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そこで気分良く家族と友人とをつないで

ビデオ通話をして気分をリフレッシュできた。

 

更に20分ほどまだ出発まで時間があったので

もう何もせずただ自然や空を見てぼーっと

していると、横から不意に、女性が現れ、

私にみかんのような果物を下さった。

 

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彼女とカタコトの英語でいくらか話をした。

かなりカタコトの英語で、ジャパン、トゥ〜

と言っていたので日本へ二度行ったのだろう。

 

京都へ行ったことがあると言い、続いてナラ〜

にも行ったと言ってた。両手の人差し指で

ツノのような仕草をして何か表現している。

多分ナラ〜で鹿を見たんだろう。ディア〜だね

というと、少し強張った様子で何かジェスチャー

していたがそこからはもはやカタコトでもなく

ジェスチャー一本勝負だった。唯一聞けたのは

ファイブハンドレッドという言葉だったが

そのあと丸めて食べる動作だったことから

奈良で鹿に五千円札を食べられた話、か?

と微笑みながらカ〜ップとお伝えしておいた。

 

ともあれ、ストレスの中に気の抜けるような

ゆるい時間があるのが東南アジアの良いところだ。

みかんを食べていると結局出発時間の

ギリギリになって、同僚や代理店たちよりも

後からやってくる格好になってしまった。

 

頑張っていれば前に進むのは誰でもそうだが

その道中は悩みや不安でいっぱいだ。それでも

臆せずにやっていくには息抜きが大事だ。

ずっと頑張り続けていると、周りが気を遣ったり

自分が正しいという錯覚に陥ってしまったり

これらは私の経験談だが、とにかくいいこと

ばかりではない。息抜きをしながら動ける時には

早く正確に楽しく動く。これが肝心だ。

 

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0238_ 疲れたあなたへ散歩の勧め①

疲れた時の対処法をインターネットに

求めたりしていないだろうか。それは

実はギャンブルに近い対処法だと思う。


疲れたら、外で散歩をするのがよい。

体力的に散歩ができないほどならば、

いうまでもないが直ちに電気を消して

寝るべきだ。子どもには分かっても大人なら

分かっていてもできていないかもしれない。


散歩の勧めを私が今回提唱したい理由は、

私が実際に出張先で行き詰まった時に一つの

散歩から道が開けた経験をしたからだ。


マレーシアでものづくりの仕事をしていて

時には作った機械を納品しに出張に出る。

近年機械化の促進が活況なタイへの出張は多い。


そのタイ出張は、マレーシア国内と違って

航空便と長い車道移動で客先へ行くことから

組まれたスケジュール内で完璧な仕事を

しなければ、簡単に出直しができないのだ。


今回うまくいきませんでしたのでまた来ます。

という言い訳は無論、重要な部品が壊れた、

忘れられていたなど外部要因で仕事が止まる

ことすら許されない。プレッシャーは大きい。


私はマレーシア着任当初から前任でベテランの

先輩を引き継ぎ、あらゆる難題の責任を取る

役割を担わせてもらっている。個人的には

経験が少ないことが理由となる悩みが大半だが

慣れたところで外部要因による不確実性は

消えることはない。今後も心配し続けるのだ。


そうなると、つい仕事が終わってから、または

仕事が始まる前に仕事の仕舞いや準備をし

"心安らぐひととき"を注視しなくなる。

 

その努力だけで全てうまくいけばよいが

全身全霊をかけて準備をしたことが

一瞬で覆るなどすれば心理的な負担は増え

蟻地獄のように仕事の渦に飲まれてしまう。


なので、忙しくても時間を決めて

息抜きをするのだ。時間を決めることがミソだ。


キリがついたら休むという考えでは

なかなか抜群によいキリが来ないこともある。

またお客さんや同僚など数名でタフな仕事を

しているとどうしても怠けがちな人が出たり

各作業ごとの進捗把握が遅れたりする。


ともあれ、個人としても集団としても

忙しい時ほど息抜きの時間を設定して

それまでここまで進めよう、とするのがよい。


個人で経験した、散歩が導いちくれた幸運は

次回に引き続き記録する。

 

とにかく、散歩ならスキルは要らないし

雨でもできる。迷った、悩んだ、疲れた時ほど

無闇にネットサーフィンするのは控えて、

五体満足に外の空気を吸おう。それだけだ。

 

0237_今日やれることは明日もできる

明日やろうは馬鹿野郎だ!と。

大学を卒業して初めて勤めた営業の仕事で

先輩から教えられたことを今でも覚えている。

 

今日できることのすべてをやっておいて

それでも明日に営業の仕事がうまく身を結ぶか

など分からない。今日やらないで明日に回して

明日新しいチャンスと重なったらどうするの、と。

 

おっしゃる通りだったので毎日その日にできる

ことと翌日にならないと非効率なことは

考えて行動するようにしてきた。

 

ところが、だ。

マレーシアやタイで仕事をしていると

みんな簡単に言うのだ、明日やろう、と。

 

冒頭で述べた明日やろうは馬鹿野郎の観点から

判断すると、こいつら馬鹿なんだろうかと

思ってしまっても仕方がないような感覚だ。

 

ましてや急ぎの仕事や、今日やらないと明日

大変なことになると分かっているような準備

ですら明日にやろうと言って、帰る。

 

あまり言うと愚痴になるのだが、どんな感覚で

いたら明日に仕事を回せるのだろうと

不思議で仕方なかった。そして考えた。

 

彼らは、今日やれることは明日もできる。

と考えているに違いない、と。

 

今日やるか明日やるかなど、所詮時間を

どれほど重要に扱うかの違いだけであって

遅れてもできるのであれば時間以外の

結果は同じだ。もちろん、日本人的に考えたら

早く正確にできることは美しいし、

それ以外の言い訳は見苦しい。

 

しかし受け入れるためには彼らの基本となる

指針を知っておくことが大切だ。もちろん

中には私よりも時間の感覚がするどく厳しい

東南アジア人もいる。器用で甘えのない人間は

明日やろうなど言わなくてもその日に

すべきことを完結できる能力がある。

 

彼らとて疲労が溜まったり行き詰まった時

または単純に帰る時間が来た時は帰る。

 

日本人のように仕事の納期を基準にし

納期を守るためなら親の死目にも会えない

というような感覚は彼らには全くない。

 

私は、世界の経済は好転している分、未来は

ギャップが小さくなっていくと考えている。

 

彼らのように明日やればいいやという感覚は

いずれ発展とともに許されなくなり

日本人のように無理してでも仕事を完結させる

という感覚は鈍化していき、バランスが生まれる。

 

大切なのは"過去の偉人たちは少なからず

そのギャップの端っこで死に物狂いで働き

なんとか作品や世界観、品質を作り込んだ"

という歴史を肌身で感じることだ。

 

東南アジア人がゆるいのも今のうち、

日本人が命がけで働けるのも今のうち。

 

何か極端なことはいずれ中心地に向かっていく

だろうととらえるのが私が陥りがちな楽観主義の根源になっている。

 

長男がこの文章を大人になって読んでくれる

としたら何のことなのだろうと思うだろうが

父は今ゆるく怠けがちなアジア人のなかで

ピンピンにとんがって日本品質のものづくりを

するのに奔走しているのだ。

 

そうやって未来を作っている。

 

 

0236_自己肯定感について

僭越ながら私は自分に自信がある。

 

周りからの評価は普通中の普通ということを

正しく理解しつつも、揺るぎない自尊心がある。

 

最近、ビジネス書やSNSで"自己肯定感"という

単語がよく見聞きされるようになっている。

おそらく今まではそれがなくても生き残れた

が、必要とされ始めたということだろう。

 

私はその意味で一年の気分を平準化すると

自己肯定感は高い部類に入ることだろう。

 

自己肯定感は私にとって“土台"だと思う。

土台がしっかりしていればその上で何かを

築く活動がしやすく、たとえ崩れてもまた

建てていける理屈が合う。逆に土台が

しっかりしていないと何を建ててもぐらついて

崩れたらまた土台から見直しが始まる。

 

そう、自己肯定感と土台の関係は重要だ。

ここでもし話を終わると抽象的なので

その土台をどう捉えるかを考える。

 

土台は、まずは人間関係だろう。

 

人間関係の構築に自信はなくても、

注意力を払っている人であれば、何か失敗や

挫折が待ち受けているとしても人間そのものを

不審に思うような心配は少ない。

 

愛すべき家族、助け合える仲間、恩師、弟子。

大切にしている人間関係の幅そのものが土台だ。

 

誤解してはいけないのは「誰かが助けてくれる」

という感覚は土台にならないということだ。

助けてくれなかったら、どうしようもない。

助けて欲しいと思うなら、まず自分が助けた

経験や、助けたい意思表示を日頃からしているか

ということが鍵になる。

 

自分に何もなくなってしまったその日にでも

その人のために何かしてあげられるか。

相手に慈しみを持ち続けることが重要だ。

してもらえないと自分もしない、ではダメだ。

 

次に、金銭だ。

これはキャッシュフローと言い換えたい。

つまり、入ってくるお金と出ていくお金の

差し引きが安定してプラスになっていて、

そのモデルを人や企業に依存していない状態だ。

 

私のように海外駐在となると、その期間の

金銭面での土台はかなり盤石になる。

 

しかし異動で帰国した暁にはまたその土台は

日本ベースに引き戻される。よって今の私の

金銭的な自己肯定感の土台は一時的なもので

自己肯定感そのものもいつまでも高止まり

することはないだろうと自覚している。

 

この、人間関係と金銭面での工面は

自律して築き上げるしかない。自分のことだけを

考えてお金をたっぷり準備し続けられるような

自己肯定感の土台も良いし、金銭的な裕福さは

半ば諦めているが地域や組織で持てる

人間関係が未来に渡って自信を持てるものだ

という自己肯定感の土台でもよい。

 

"何かあって全損してもそれは残るから。

だからくよくよしなくてもよいのだ。"

という自分を安心させる土台づくりをする。

 

今世の中が注視している自己肯定感は

その土台の上に築かれるものであるはずだ。

何より、自分ばかり見ていてはお金も人間関係も

ついてきてはくれない。いかに近しい周囲や

社会全体と自分の関係性に心を持つかである。

 

言い換えれば、周囲への肯定感こそが

自己肯定感へつながると考えてもよいだろう。

0235_問題解決をしに行くこと

エンジニアの海外出張はすなわち

問題解決をしに行くことだと思う。

 

私は問題解決をするのが好きだ。

問題が起こることは避けたいが

問題が起きて人が困っていると

何かしてあげたくなる性分だ。

 

それが流れの中でキャリアとつながって

エンジニアになれた。更には個性として

人の言うことを無心に従うことよりは

時間をかけてでも本質を見極める努力をし

最も良い行いをしたいというこだわりを

(若く愚かな頃から)持ち続けていたため、

嘘がなく答えが明確で繁栄の一途を辿る

ものづくりの世界は性に合っている。

 

私が自分の過去を振り返って断言できるのは

ものづくりに向いている人は、常識的な教育を

受け、甘えがない人で、ものづくりに向いて

いない人は甘えがあって好きなことに

具体性がない人だと思う。私の過去は本当に

ろくでもない甘ったれた男だったのだ。

 

しかし今は違う。成長した。

曲がりなりにも責任ある海外出張を会社から

任せてもらえるだけのエンジニアになれた。

 

わざわざ遠くまで足を運んで、問題と

真っ向から向き合うのだ。気晴らしの旅行でも

自分探しでも、会議への参加もない。

 

問題がないところへエンジニアは必要ないし

問題さえあればエンジニアはどこででも

食っていける職業だ。そして大半の人が諦める

物理の世界、腕に技術をつける世界に

どっぷり浸かって頼りにしてもらえるのだ。

 

生きていて問題がないことなどない。

あなたの口の中の歯間に意図せぬゴミが溜まる

洗濯物を綺麗にたたんでも、しわができる

スマートフォンの電池消耗が不意に早い

 

言い出したらキリがないがこれらは問題だ。

何も使っているシステムがダウンしたり

水漏れで床が水浸しになることだけが問題ではない。

 

問題は探せば永遠に見つかる。

そしてそれらを精神的に乗り越えようとする

には限界がある。技術的に乗り越えるべきだ。

そして私のような種の人間は仕事を持てる。

 

野菜や果物のように刈り取るのに時間や

人手が必要ないのが問題のいいところだ。

自然発生してどこででも収穫できる。

 

自分の頭と体だけでは何でもできるわけでは

ないが、うまく相手や周りを巻き込んで、

大きな問題に大勢で向き合って改善して

あの人のおかげでした、と言ってもらえるよう

いろんな街で問題と真っ向から戦いたい。

0234_タイの田舎での夕暮れ

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0233の投稿の"森の中仕事をしていて"という

一説がしっくりこなかったので訂正したい。

私の出張先は決して森の中だけではない。

 

山を切り開いて工場を作るときは森の中になるが

逆に山も丘もない地にぽつんとある農場へ

行くときは360度に空が広がっている。

 

そんな場所で、お客さんから頂いた

スパイシーなエビのチャーハンを食べながら

問題解決のために図面とにらめっこをしつつ

 

遠くに沈む夕陽を見ていると、

多分この仕事はあと20年続けても

変わらぬ自然美と出会えるだろうな、と。

あまりに赤く美しい夕焼けに感動しながら

エンジニアとしての仕事を全うできるのだ。

 

現在はタイに来ている。

数年前は見かけなかったgrab foodを

バンコク市内で見かけたり、コンビニは

セブンイレブンしか見なかったところが

ファミリーマートやローソンを見つけたり。

何かと暮らし向きと連動した発展を感じる。

 

ファクトフルネスを読むにはちょうど良い旅だが

今回持ってきた課題図書はまた違うもの。

仕事優先で、移動やホテルでの退屈な時間は

投資になる読書をしっかり進めて

海外遠征のたびに強くなりたい。

 

何か祀ってあるほこらの向こうに沈む夕陽が

タイ特有の美しさを醸し出していたのだが

写真を残そうとする時間が取れなかった。

仕事に集中していると日没はとても早く感じる。

 

断っておくが私はブロガーや写真家ではない。

美しい空の写真を撮って自慢げに投稿するのは

それを生業にする人が競い合えばいいのだ。

 

私は目の前にある機械がまともに動く姿と

その過程に神秘を見出してそれに没頭している。

重なる苦労も、それを乗り越えていくことが

経験として重なっていくことで、自信になる。

 

異国の地でも生まれ故郷でも、一人でも

大勢でも。楽をしたがる人間は楽をするし、

苦労を楽しむ人間は苦労を楽しむのだ。

 

周りから何か言われて人生は変わるものではない。

 

自分が思い立った日から、切り開くのだ。

切り開いたらすぐに壁にぶつかるだろう。

その時は嘆くのだ、諦めて人のせいにするのだ。

 

多数派がそうしてくれると私のような人間は

いつまでたっても人のために自ら進んで

世界へ何か仕事をとりに行けるだろう。

 

東南アジアのみんなが私のような気質に

なってしまった日には、私は家でゴロゴロして

嘆いたり、本気で戦ってもいないのに癒しを

求めたりする受信者に転じるだろう。

 

そんなのは嫌だ。今日も頑張る。