ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0278_反面教師と反骨精神

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仕事をしていて、悪い行いを見ると

反面教師だとして自分の行いに還元し、

他人のよくないところを自分の良いところへ

昇華させることは美徳である。

 

逆に、自分より優れているとか

自分にないものを持っているという人物に

出会ったときは、嫉妬しそうな本心を抑えて

総じて負けないぞ!と反骨精神を持つべきだ。

 

詰まるところ、他人の行動を見て何か考える

としたら、この二つを指針にすれば良い。

 

よくあるのが言い訳を口にする人を見て

できる理由を自分ながらに考えながら

話を聞いてみたり、言葉少なに淡々と

すべきことをただやる人を見て、自分の

1日の本当にすべきことをどれだけサボらずに

できたか振り返ったり。そういうことだ。

 

どの歳になっても他人を見る目はあるし

言葉がわからないとか失敗が怖いとかいう

自分独自の殻を客観視すればきっと

どんな人の行動も自分の糧にできるはずだ。

 

なのでとにかく慌てない、怒らない、

よくない雰囲気を自分に感じたら

他人をどうこういう前に自分を戒める。

 

ここで甘えたら積み重ねてきたことが

台無しになるぞ、と自分にいつも言い聞かせる

くらいのことをしないと粗相は減らないのだ。

 

私の場合、基礎が何もないところから

ものづくりの仕事を始めたことが、今になっても

常識のない行動や甘えた考えに繋がって

運良く人の迷惑にならないことも多いが

あと一息というところで失敗することもある。

 

しかし、いつも誰かに支えられている

実感は正しく持っているし、何より人のせいに

しない。よくある、ポストが赤いのはなぜ?

それは自分のせいだよ、という捉え方である。

 

他人を見て即座に内省する瞬発力をつけるには

ないし日頃から内省する習慣を持つには

読書しかない。人はいつも人を救うとは

限らないが、自分から学ぼうといつも行動して

いる習慣はここぞという時に裏切らない。

 

本を読もう。自分を高めるのに十分な

認知を育むために。

0277_プランクと食事制限

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限られた時間や金銭的な自由の中で

可能な限り"楽しもう"とすることは尊い

 

自分は若い頃からそうしてきたし、

そうできた環境はご先祖様が整えてくれた。

きっと若い世代にもそうあってほしい。

 

しかし2019年11月に腰を悪くして

私は大切なことを学んだ。それは

健康は努力して維持すべきだ、ということだ。

 

幼少期の健康なうちに、健康であり続ける

ための行動を、受けた教育や自身の活動を

振り返って、自分にはその(健康維持のための)

素養がある。と言い張れる人は少ないだろう。

 

運動不足だけならまだしも、スマホを1日に

何時間も見たりすると黄色信号だ。

運動したり会話したりする時間を捨てている。

年間を通じて1日に一度でも運動して汗をかく。

そんな習慣は口では簡単でも継続は難しい。

 

そこで、私は2020年に入ってからこつこつと

妻と続けている習慣がある。プランクだ。

 

プランクは、腕立て伏せのような状態で

30秒なり1分なりその体勢を保つことで

インナーマッスルを鍛える運動だ。

ストレッチと違い、実際に筋肉に力が入る。

 

妻とそれを毎晩やって、腹回りのだらしなさに

お互いに警鐘をうっているような習慣だ。

この習慣は腹が引き締まる意味で良い。

 

そして毎日10分程度でできるので、

食事の後や寝る前にも頑張ればできる。

 

しかしお互いに気がついたことがあった。

それは、お腹一杯に食べすぎた後は、

腹筋に力を入れて体勢を保つのがしんどい。

という感があれば誰でもわかる事実だ。

 

今更その事実に気がついただけでなく、

もっと大切な、人にもてなされたわけでも

ないのに、自力で無用に、お腹いっぱいまで

腹に買い物を詰め込んでいるお互いの食生活に

気がついてしまったのだ。

 

これは特に非難されることでも反省すること

でもない。お腹いっぱいに食べることは、幸せだ。

 

しかし今はプランクをやることも楽しいので

プランクする時に涼しい顔でいられることも

一つの幸せとして捉えることができる。

 

結果、食べ過ぎる手前で程よく食事を終え、

食後のちょっとした運動をこなして、

良い疲労感とともに夫婦で床につく。

 

これはやらされたことではないので、

娘もやりたいと言って加わってきたほどだ。

 

数学が苦手で嫌いな人にとっての、数学くらい

何も考えずに食べ物をむさぼりたい人にとって

食事制限というテーマは気が重い。

 

私など自慢じゃないが腹が減ったら

朝からでもポテチとコーラを持って

プールサイドでだらだらしながら食べたい

(プールサイドは飲食禁止なのでできないが)。

 

それでもたった10分の運動を生活習慣に

取り入れた幸せは共有したいし、一年後

まだ同じこと続けているよと言える自分で

いたい。

 

やっぱりいつも思うけど人の人生ほど

勝手にしやがれだ。自分が継続することの

価値はまずは自分で育んでいこう。

0276_プロジェクトを作業に落とし込む

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私はマレーシアで工業勤務をする、機械工だ。

 

産業機械を製造、据付、修理する仕事を

担っている。一つひとつの仕事はプロジェクト

単位で受注、製造されているので、工場勤務だが

毎日同じ場所で同じ作業をすることはない。

 

出荷や品質の責任を負うことになると

必ず必要になってくるのが"気づき"である。

 

ネジ一本の緩みさえ許されない世界だが

実際は、昨日参加したばかりのメンバーや

体調が優れない者、仕事終わりのデートに

意識が移ってしまっている者、言い訳が多い者など

自分も含め、みんな何かしらのミスをする。

 

そのミスに気づくことができるかは

"作業"で決まる。どんなに美しいルールや

思想がその組織を作っているとしても、

やはり日頃行っているのは、やはり作業だ。

 

プロジェクトの成功はすなわち小さな作業における

小さな成功の積み重ねなのである。

 

小さな作業における成功は尊く、

できて当たり前と片付けるだけでは惜しい。

対象者を褒めるというよりはうまくできた

ことを互いに喜ぶ気運が大事だ。

 

さて、では小さな作業はどうやって生まれるか。

それは仕事そのものの全体像や工期、

担う人の数などによって変動するが

基本的に全ての最小単位の動作が作業になる。

 

サウザーさんに習ってカレー作りに例えると、

にんじんを切るということが作業だが

全くの入門者からすれば、にんじんを洗う、

皮をむく、まな板を用意してにんじんを置く

これらは別の作業としてみなされるだろう。

 

それらが何も考えなくても、精度を伴って

できるようになれば"作業の最小単位"は

やがて「にんじんを切ること」になり、

「野菜を切ること」になり、やがては

「カレーを作ること」になるだろう。

やがてはカレーを売って、再投資して、

最後にカレーに生きるようになるのだろう。

 

プロジェクトを任された者として必要な心構えは、

担い手の中にはまな板を見たことがない者から

すでにシチューなら完璧に作れる者まで、

様々な経験の差があることをよく考えることだ。

 

シチューをなら作れる者にまな板の使い方は

教える必要がないし、料理を全くやったことの

ない者にはまな板の名前を教えることから

必要となるだろう。一元的に何もかも管理できるほど

人は皆同じではない。

 

プロジェクトに関わる者がみなこのように

全ての最小単位の作業をミスなくこなし、

どんな根拠でその仕事を終えられたかを

共有していくことでギャップは埋まる。

 

ギャップを見つけて埋めていく。

全員なり半数がミスすることの方が

むしろ対処は楽なのだ。作業に落とすために

まず自分が愛を持って全ての工程を見る。

 

解らなかったらそのままにしない。

 

もう目をつぶっていたって分かるよ

といえるようになってから初めて、全てを

バラバラにして割り振りして再構築できる、

創造性に富む世界が待ってくれているだろう。

 

私はその意味でリーダーシップを持っていたい。

みんながやりたいことを分配して叶えたいし

誰かがやらかしたことはみんなでフォローする

そんな工場じゃないと労働者たちがおりなす

モザイクのような世界になってしまう。

 

美しく調和のとれた作業の連続で

お客さんや自分たちの想像を超える機械を

作れるようになるのが私の夢だ。

0275_それでも旅を続けたい

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2020年の1月は私の人生で最も

あちこちに渡航した1ヶ月であった。

その間、新型肺炎コロナウイルス

呼ばれる中国湖北省を中心地とした

病気の蔓延が2020年2月現在で

世の中に広く心配を運んでいる。

 

刻一刻と情報は更新されるもので、

このブログはとてもそんな時々ニュースに

おいつける更新頻度ではないため概要の紹介は

割愛するが、日本でも死者が出たなどで

多くの日本人、ならびに私が住んでいる

マレーシア、出張にくるタイ、同僚や先輩が渡航

した韓国やロシアなどでもウイルス関連の

ニュースは広く知れ渡っている。

 

今私は出張先のバンコクドンムアン空港

にて、ゆっくりと昼ごはんを食べている。

 

いつも中華系の人種で大賑わいのターミナルは

ガラガラだ。呆れるほどに空いている。

ドンムアン名物と自分で勝手に呼んでいる、

チェックイン前の行列と、信じられないほどの

横入り。列に並ぶ前に係員がパスポートと

航空便情報(行先や時刻)を一人一人尋ねる場所。

いつもは3人ほどのスタッフに対して20人

くらいが並ぶわけでもなく我が我がと

スタッフを奪い合うように行列に吸い込まれて

いくところ、今は同じようにスタッフは3人で

行列などできていない。土日の夜の酒場の

ような雰囲気から一転、平日昼間の喫茶店

のような静かさが大きな空港の建築を包む。

 

そんな中私は会社の命令なので渡航する。

おそらく私情なら渡航は控える時期だろう。

 

しかし思うのだ。もし大切な人の結婚式が

今月に上海であって、招待されたなら、

行くだろうか…と。行くのだろうな、とも。

 

私は走れメロスの世界観が好きで、また

旅というより長い移動が好きだ。

なのでその道中にある"リスク"は

楽しむための代償だと捉えてしまう。

 

苦労したけど遠いところまで来た甲斐があった。

といつも言いたい。私だけではないはずだ。

 

ただ、その移動における自由度は確実に

個人差がある。危機回避能力や、体の強い弱い、

家族や所属組織の思い、金銭的な事情。

何もかも本当に自由な人だけが、

今はラオスにいます。今はエジプトにいます。

といった具合であちこちで楽しんでいる。

 

もちろん、危ないから渡航を控える選択は正しい。

人生はまず健康第一だ。しかし

5年か10年経ったとき、あの時リスクを恐れずに

挑戦したといえる経験か、リスクを考えて

挑戦しなかったという経験を持つか。

 

私なら前者の観点でいつもものを言いたい。

 

0274_若くてやる気のある男

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自分が何歳であれ、若くありたいし、

やる気のあるままでいたい。男の中の男に

憧れる。忘れがちだが男はみんな感じてる。

 

そして、若くてやる気のある男と

一緒に仕事をすることも、誰もが望むだろう。

 

今回は自分で自分を褒める内容になる。

なぜなら気がついたことがあるからだ。

自分は、若くてやる気のある者に恵まれている。

 

機械メーカーに25歳で転職してから、

最初の数年はやる気だけが先走りして

特に何の役にも立たないがとにかく色々な仕事を

任せてもらえるようになりたいと胸を張っていた。

 

いまだに自分は未熟者で情けないなと

気を落とす時は毎日のように、いや、1日に

2回か3回はある。まだまだ本気で未熟だ。

 

ところが今、ふと気がついくことは、

自分が34歳になって、10歳とか干支の一回り

とか若い人間から、技術者として好かれる

傾向があるということだ。それは日本人だろうが

外国人だろうが関係ない。

 

誰かがネジをへし折ったら直してあげるし

誰かが分からなくて悩んでいたら声をかけて

即効で解決するか一緒にとことん悩む。

 

それは自分が好きだった先輩の真似であり、

自分は本物のポンコツだったから何とかして

後半のやる気を保たせてやりたいと願うからだ。

 

いま、タイで一人ものすごく優秀な仲間がいる。

彼は別に同じ会社じゃないし、付き合いのある

代理店の運転手の若者だから、そのうちに

いなくなるかもしれない。

 

でも、私は本当に若くてやる気のある男が

好きだから、一緒に仕事がしたいのだ。

彼は何でも進んでやってくれるし、

冗談ばかり言って勝手に昼寝もするが、

私が作業をしている時は私の動作を見て

どんな行動が必要とされるか考えている。

 

だから、ふいに"ここ重いから支えて"と

自然に声が出る。すると彼は笑って支えてくれる。

 

おい、若いのこっちこい、これ支えとけ、

そうじゃない、もういい、あっちいけ

みたいなことを言ったことがないのだ。

単に運がいいからに他ならない。

 

現場仕事には本質的に特になんの約束もない。

ただ、人が働いているのをじっと見て、

①何をやっているのか、②自分もやってみたい

この二つをぶれずに考え続けたら、

できるようになるのだ。そんなもんだと思う。

 

私がやっているのは町工場の産業機械づくりだ。

宇宙船を作ったり戦艦を作ったりするような

話ではない。たかたが数千万円の、数十トン

数十メートルの金を生むメイドインジャパンだ。

 

それでも大小や金額、関わる人数に限らず

若くてやる気のある男の奪い合いがものづくりの

世界では知らず知らずのうちに繰り返される。

 

私も若いうちから何もできない割に気を利かせて

一生懸命にやっているうちに、思いがけない

部門の人から一緒に仕事したいねと言われたり

お客さんから君に頼みたいと言われたこともある。

 

やる気をなくして衰えるのも選択。

若くやる気満々で、空回りしても自分が

気持ちのいいまま走り続けるならそれも選択。

 

散々自慢げに色々文章にしたが、

まぁ、勝手にしやがれだよ。

 

下手くそなりに勝手にやり続けるから、

良ければうまく感化されて欲しい。

0273_タイで感じる甘えと自由

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タイには月に一度のペースで来る。

 

私は技術職で、各地の客先へ修理や納品に

行く出張しかないので、自分で行き先を

決めることはない。そして現地タイの代理店の

方がホテルや食事の世話をしてくれるので

様々な地方都市へ意図せず旅行できている。

 

そんなタイへ来るといつも驚かされるが、

自分が住んでいるマレーシアと比べると、

自由の違いについて感じることが多い。

 

例えば、

以下の二点について例を挙げて考察する。

 

・お酒の販売

14:00まではコンビニでお酒を買えない。

夜に買ったものを朝に飲むのは自由だろうが

おそらく運転中に我慢できずに飲んでしまう

ことを防ぐ意図があるのだろう。

そんなことする奴いないだろうと考えるのは

あくまで日本人やマレーシア人は自律心が強く

人の迷惑にならないでおこうというバイアスが

強いからだ。わざわざルールにしなくてもいい。

 

しかし、いつか飲酒運転の過度に危険な事故が

あったり、アルコール中毒者が朝からコンビニで

酒を買うことなどが見られるようになれば

日本も変わっていくことだろう。

甘えた人間は減るより増える方が簡単だ。

 

・領収書

領収書のフォーマットが決まっていて、

日本のようにレシートに領収書がついてくる

ような便利な仕組みが少ない。

 

確定申告などの税金対策でもし

レシートを使えるようにすれば、タイ人は

たちまち全部のレシートを経費で落とそうと

するだろうから、厳しくしているのだろう、と

タイ人の代理店(この方はエリートで社長)は

おっしゃっていた。

 

領収書を頂かなくてはならないのは

日本でも同じだよと伝えたが、どうやら違う。

タイで領収書を頂くためには、会社コードや

会社名の記載のある名刺を渡した上で、

領収書発行側もわざわざ一つひとつ手書きで

用意する必要があって、給油ひとつにしても

非常に無駄な時間を要しているようだ。

ガソリン入れる、お金支払う、

領収書とお釣りを持ってくるまで待つ、

といった具合だ。気持ち的に時間に余裕の

あるタイ人ならではの贅沢な時間の使い方。

 

上記の例以外にもタイに住めば色々と

気づきがあるだろうが、今のところ私が

思いつくのはそれくらいのものだ。

 

甘える者が増えると、制限も増える。

皆が自制心を持っていればルールは増えない。

 

工場で仕事をしているとよく感じることだ。

一人のどうしようもない人間のせいで、

確認の仕事が膨大に増えたりするように。

 

国や地域が決めたこと、先人が長きにわたって

築き上げてこられた文化には従うことが

絶対だとは思う。それに変わりはない。

 

その上で私が感じるのは、私たちエンジニアは

起きた問題の対応を経験し続けるより

問題が起きないように気を利かせる努力を

積み重ねる方がより良い職業観につながる。

 

火消しに躍起になるのは違って

防火に時間と労力を投入するのだ。

 

しかし火消しになった時に尻込むことがない

胆力を身につけるのは、火消しの経験を積む他ない。

 

漠然としていてもいい、先を見据えた上で

目の前のことに一生懸命にやろう。

0272_知らないことを喜べるか

仕事でも生活でも、知らないことに遭遇する

ことは誰しもある。とくに春が来ると

学校も会社も社会も何かしら新しくなり

下手をすると変化に無知な状態になったり

気後れして消極的、保守的な発言を反射的に

してしまうこともあるだろう。

 

春は気持ちが良いものなので私は提言したい。

それは、"知らないことを喜ぼう"ということだ。

 

歳を取ると必然的に知っていることが増えて

まさかと思うような失敗や無知は減ってくる。

そして、知らないことを知ることばかりに挑戦

できるほど人生は甘くない。

 

人は何かしら自分の得たことを活かして進み

全くわからないことは本能的に避けるのだ。

 

しかし、全く知らないことに困ることほど

素早く成長出来ることはないと私は感じている。

 

例えばアウトドアでの火起こしや

スマホ内部の仕組みを学ぶこと、

100年前の今日どんな世の中だったか、

子どもが生まれて100日経ったら何をする

英語でインスタ映えはなんと表現するのか…

 

知ればすぐ活用できる知識から、

深く学んでもまだまだ奥が深い世界もある。

 

ようは、知らないことを探すのは簡単。

しかし知らないことに出会って悩んだ時に

屈せずに学んでそれを人のために使えるか。

 

この向き合い方で人生は良くも悪くもなる。

私は技術者として今、経験したことがないほど

分からないことに悩んでいる。

 

作った機械のインターネット接続だ。

産業機械と呼ばれる分野の機械で、お客さんが

使ってデータを取る、そのデータをサーバに

アップロードできるようにする。とまぁ

いえばそれだけのことだが、WANだのFTPだの

DNSだの分からない言葉だらけで

正直うんざりしてしまっている。

 

しかし、私がうんざりしたところで仕事は

終わってくれない。接続したという結果が必要だ。

 

5日後の今日には自宅のプールで

のんびり過ごしているだろうと空想し

今まったく見当のつかない答えにたどり着く

この道中を喜び、楽しもうと考えている。

 

さぁ、仕事に戻ろう。

たっぷり悩んで、素早く成長しよう。

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