0258_GPSがあるという安心感
GPS, Global Positioning System,という
言葉を初めて耳にしたのは高校生だった、
15歳かそこらの頃だった。
へぇ〜そんなことがあるんやなぁと
他人事のように思っていたことを今でも
覚えている。海外にあちこち行く私の人生に
水とおなじくらいなくてはならないのが
通信環境とGPSだ。
出張で知らない国の田舎に来るといつも思うのが
もしここで大災害が来て、インターネットが
なくなった時にどうしようということだ。
そこまでシビアに考えてはいないが、
Garminはいつか買おうと考えている。
さて、GPSを頼りにできる安心感は
ややもするとGPSが使えない不安感や
GPSだけを頼りにしてしまう恐れがある
ということを今回は記録したいと思う。
現在、東南アジアの若い方の多くは
Google mapやFlight radarのアプリを使って
現在と目的地の位置関係を確認している。
これは地図を見て考えてもどうしようもない
長距離移動や、見知らぬ土地では有効だ。
しかし、私は自分ごとながら、駐在先の
クアラルンプール郊外の暮らしで、つい5km
ほどの移動でもWazeを使う傾向にある。
一度行ったことがあるところですら、だ。
悪いことではないが、数万人のユーザーが
同時に使っている情報なので、渋滞にハマったり
道を間違えた際の心理的な負担などは
知っている道を走ることの比にならない。
ましてや、Grabなどタクシー移動の際に
ドライバーがGPSを使っていることに対して
何も疑問が生まれない。安心感すらある。
今読んでいる、NEW DARK AGE
という洋書(絶版の日本語翻訳版)には
こんな話が書かれていた。大韓航空機が
自動操縦システムを信用して飛行を続けた結果
ロシア領空を通過し打ち落とされたというもの。
考えればぞっとするが、起きることはわかる。
誰かが技術的に位置情報を制御、妨害したり
しても100%信用してしまっていては、
正誤が分からないからである。
ちなみに2019年にヒットした著書、
ファクトフルネスには飛行機が墜落する
可能性とその歴史について、現在は年に10台
一人当たり10億キロの飛行に対して1回
墜落というのがデータ上の可能性らしい。
いずれはタクシー運転手も皆おなじGPSを
使う。頼ることは良いことだが、技術に
依存して考えるのを辞めることがないよう