ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0193_褒めることの効果

誰だって褒められたいし評価されたい。

承認欲求がある。普遍的な願望である。

 

「嫌われる勇気」では承認欲求を捨てて

人の評価の世界に生きず自分の人生を生きる

ことの問答が書かれた名著だが、差し詰め

私が得た学びとしては、自分の承認欲求と

うまく向き合う姿勢を身につけたことである。

 

卓越していることや周りと比較する必要のない

要素に関しては、承認欲求が生じにくい。

 

例えば、趣味で続けているこのブログだ。

閲覧数が0でも"閲覧者"や"周りのブロガー"を

気にすることがなく、また発信者としての評価で

飯を食うわけでもなく、1000件の目標のために

テーマを探したり時間を作ったりで、

成果を楽しむものでなく、あくまで

"やる"ことに楽しみがある。自分が自分を

勝手に評価するだけだ。従って他人に認めて

もらおうとする欲求、承認欲求は生まれない。

 

俺の独り言を聞いてくれ、という動議はない。

聞いて欲しければ相手に向けて言うのである。

 

では、仕事や家庭など相手がある場合はどうか。

 

仕事での承認欲求は良くも悪くも働くだろう。

・プロジェクトメンバーに選ばれる

・自分の提案が採択される

・他者との競合で自社が勝つ

 

などビジネス上での成功のシーンには

実際誰かの承認が発生して成り立つからだ。

 

個人でなくチームで仕事をしているにしても

自身の存在意義をチームの成功につなげるための

承認欲求がなければあくまで指示をこなす

だけの存在、余人で代えが効く状態だ。

 

しかしながら、人の時間は限られている。

客や仲間など、相手の承認欲求を満たす

ことがあってこそ自分の承認欲求が満たされる

事は多い。これは私がこだわる要点だ。

 

誰でもわかっていることだが、

相手の話は聞かないが自分の話は聞いてほしい

などいうことはビジネスはおろか、家族のように

共に過ごすだけで幸せになれるチームの調和

さえ崩してしまう傲慢な態度である。

 

言葉を覚えたての2歳か3歳の子供ならまだしも

社会に出た人間がもしこの姿勢で過ごしているなら

生活自体はできても人間関係は好転しないだろう。

 

では、次に私が相手の承認欲求を満たせる

ために心がけていることを紹介する。

 

承認欲求は、何も大きな成功や努力を

多くの人に讃えられたいレベルのものでなく

むしろ誰にも言われなくても掃除したとか

時間通りに仕事に来られるよう朝早く自宅を

出ているとか、そのレベルから発生する

人間が、ことマレーシアでは少なくない。

 

日本人から見ると当たり前と思うのだが、

日本人は洗練されすぎているのである。

 

技術者、ビジネスパーソンとして、

怠惰な考えには頑として譲らない心の強さは

持たなければならない一方、日頃から気さくな

コミュニケーションを取って、"承認を伴わない

ありふれた会話"がなければ、個人的に重要な

相談はされることがないのだ。

 

日頃から当たり前のことを当たり前にしてくれる

ことに対してきちんとお礼を述べておくことが

何かあった時に強いくさびになってくれる。

 

私がマレーシアの工場現場で強く心がけたい

理由として、日本の上司とどうも日頃からの

コミュニケーションを取る習慣が持てなかった

という、やや苦い経験を持っているからだ。

 

喫煙室で休憩する者が日頃のコミュニケーション

を取れて、それ以外の者は雲散霧消。群れることや

話すことをせず工場内で静かに休憩する。

こんな文化があったのである。

違いは人間性というより、煙草を吸うか吸わないか

ということだけであった。

 

私は喫煙しないので後者の立場で、上司と

話す機会を持てるのは業務中のみ、日本の

製造現場は、他社は知らないが戦後の風土を

残したところがあるのか。私語を嗜むことや

仕事に関係のない行動をとることが非常に強い

悪として認識されているところがある。

理由は生産に結びつかないからである。

 

しかし承認欲求は仕事の出来栄えや給与で

一定数満たされるところがあり、職人たちは

寡黙に技術を磨く道を歩むことが自然になる。

 

ともあれ、マレーシアではそんな風土はなく

ゆるい。だらだら話しながら時間も日本ほど

厳しく制限のあるものと捉えずに働いている。

 

そんな中に日本から来た厳格な技術者として

日頃話しにくい相手、と認識されてしまえば

たちまち相手の承認欲求を満たす機会も

逃げていってしまうのである。

 

前の上司をうまく反面教師にさせていただき

相手を満たしたい。まず、良いところを探し

褒めちぎることから始めている。

誰にでも褒めるべき要素はあるのだ。

 

Tシャツかっこいいね、とか。

食べてるスナックをもらって、おいしいねとか

そんなレベルでも良いところを見つけられたら

褒めさせていただく。もちろん、当人の人間性

を褒めることもあるが、これは"あいつは褒めて

あいつは褒めてない"ということになりかねない

ので、よほど特筆すべき特性や苦労がなければ

偉そうに褒めることは控えている。

 

チーム一丸となって互いが満たされた状態で、

お客さんに満足してもらえる品質の機械を作る

それが私の命題であり、働く喜びなのである。

 

そのためにできることを考え行動し、

些細な周りの感情の機微や影響をよく見て

修正に修正を重ねて自分のスタイルにしたい。

 

いずれにせよ、相手を褒めたいという欲求が

私自身の承認欲求をいつも満たしてくれるのだ。

 

褒めることの効果で未来を明るくしよう。