DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0200_自分発信か他人に追従するか

目標の1000件を考えるとまだ遠いが

記念すべき200回目の投稿となるので、

ここまで楽しく続けて気づいたことを

自分の考えた言葉で記録してみたい。

 

自分の感性を大切に育て続けることで、

自分なりの指針ができ、良いことも悪いことも

自分や周りにとって良くなる方向へと

導くことができる。これが発信の源泉になる。

 

今の時代は、私が今記録するような文章のみ

でのブログではなく、少なくとも写真を加えた

ブログ、動画、音声など発信の方法は多様で、

ワイヤレスイヤホンの普及や5Gのインターネット

環境など、まさに動画、音声の全盛期を

迎えようと世の中は急激に動いている。

 

発信することでお金を稼ぐ人がいる。

ブロガー、ユーチューバー、アフィリエイター

などと呼ばれる立派な職業だ。その方々は

インターネット利用者たちの注目を得ることで

日銭を稼いでいる。中には事業化、組織化し

注目を稼ぐための方法を共有し特定の媒体で

大きな影響力を売り物にしたり、その事業を

通じての社会貢献がまさにこれからの時代の

生き方だと豪語する者も、まさに影響力を得て

成功者として社会からも評価されている。

 

私は発信する側でなく、追従する側だ。

なぜなら日々動画や音声でのコンテンツを

自分に取り入れることは私の事業の"仕入れ"

ではなく、聞いて終わる単なる"消費"だからだ。

 

発信者として稼ぐのであれば、どんな小さな

兆しや知識でも自分なりの味付けをして

自分のコンテンツとして他人を追従させる

ことができる。そこが発信者を目指す上で

最も肝心な着想になると私は信じている。

 

幼稚園児で以って例え話をしよう。

同じ遠足に行き親の弁当を食べた園児たち

20人がいたとして、弁当がどうだったか

という感想をそれぞれが絵にしたり歌にしたり

ただ単に言語化して感想を述べたりする。

という課題が仮にあったとする。

 

ごく一般的な園児たちからは

おいしかった、楽しかった、などという

汎用性の高い感想を耳にするだろう。

 

しかし、一風変わった園児がいたとする。

・高級料亭の料理人家系のご子息で

   普段給食に対してとてもクリティカルな

   提言や、未就学とは思えない表現力を持つ園児

  による弁当の説明と所感。

 

・赤ちゃんの頃からモデルをしている園児。

   またその母親もメディアでは一定数認知される

   キャラ弁(キャラクターをモチーフにデザイン、

   装飾された弁当)界の重鎮。

   二者が織りなすSNSでの弁当をめぐる

   写真記事の投稿。

 

書道家の末裔で、5歳で始めて国が企画運営

   する書道コンクールで最年少受賞をした

   未就学の書道家が表現する、弁当の感想を

   漢字一文字で表した作品。

 

そう、こんな園児がいたら見てみたいと感じる

だろう。だが彼らは影響力を持つことを目的

として存在しておらず、ただ生き方がユニークで

なのだ。結果誰からみても注目に値する。

 

例に挙げた三者もまた、ほかの二者のコンテンツを

楽しむことはできるだろうが、あくまで

自分の存在を脅かす競合ではない。

なぜなら彼らには料理家や書道家、モデルなど

(例は極端だが)それぞれの道があるからである。

 

私たちが気をつけないといけない追従の姿勢は

ないものねだりをすべきでないということだ。

 

人にはそれぞれ持って生まれた独自性や

選んではいないが与えられた環境がある。

 

今の環境は右を見ても左を見てもみんな同じだ、

と感じるなら隣町、他府県、海外などへ行き

自分が当たり前と感じていることがいかに

独自性の高いものであるかを感じて欲しい。

 

右を見ても左を見ても同じ環境で、

みんな知っていることを発信しても

特に再認識されることはあっても独自性はない。

 

私の観点から言うとやはり海外との接点は

その人の独自性を強く認識できる機会になり、

またその海外で得る良識やつながりを

自分の元いた領域に持ち込むこともできる。

 

私は発信者として日銭を稼ぐ気概はないが、

自分の独自性を尊重してもらえるよう、

これからも旅をして視座を高め続けるのだ。

 

自分発信の源泉は人のためになること。

誰かの生活を豊かにしたり、奮起する起爆剤

なれるように自分を磨き続けたい。