DAZAIFICの、ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0318_言ってることとやってること

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Voicyのモンテッソーリあきえさんという

子育てに関連する知見を発信する番組があり

自分の子育て観を見つめ直すために聴いている。

 

今日は、"子どもが「叩いていい?」と聞いてくる"

という相談だった。相変わらず優しい声で

聴いている大人の私が諭されているような気に

なるとともに、自分にはできていることと

できていないことが改めて分かった。

 

わたしが個人的に印象に残ったのは、

大人の言ってることとやってることの一貫性が

子どもの安心や納得を生むという点である。

 

今流行りの、「心理的安全性」だ。

登校や外出を長期で控えることになっている

私の子どもにとっては、今特に重要に思う。

 

我が家では「片付ける」とか「毎日やることは

休まず毎日やる」ということを、妻が体現して

くれていることから、5歳の娘は毎日やること

(ピアノの練習やひらがなと計算の練習)に

ついて、毎日やることだということを

うまく意識できている。

 

我が子ながらに尊敬するし、続けていることを

無条件に褒めることにしている。

 

私は自分の幼少期がどんなものだったのか

ほとんど記憶がなく、きっと何も考えず、

何も課されず、何も自分から継続してやらず

ただ生きていただけなのだった、と振り返る。

 

毎日やることを、休まずに、毎日やる。

 

これは子どもに伝えるのが、ある人にとって

最も簡単で、ある人にとって最も難しいのだ

と私は気がついた。単身赴任でマレーシアに

5ヶ月間滞在した私の生活は、毎日仕事にいく

ということ以外、何も決まったルーティンが

なく、洗濯を毎日していたくらいで、朝の起きる

時間も夜の寝る時間もバラバラ、家に帰る時間も

バラバラ、"毎日を同じリズムで"ということが

私には心地よくないのかもしれないと感じていた。

 

そこには言い訳もある。心のバランスだ。

あまりきっちりルーティンを決めると、

崩すことに心理的な負担が生じてしまう。

 

仕事柄、今週はタイ、先週はベトナム

来週はガッツリ工場勤務、月末には家族と旅行

というような活動範囲の多様性がある生活が、

むしろ体には心地よく感じるたちなのだ。

 

私は旅行が好きというより、移動が好きで

動き続けることで異様に高揚してしまう。

 

なので私と妻の今の暮らしの違いは、幼少期に

どう過ごしたかということに起因すると同時に

娘の将来も作っていると感じる。

 

"決まったことは毎日やりなさい"と

私は何度か娘に言ったことがあるが、

娘はおそらく私の言うことよりも、毎日

決められた時間に家のことをしたり弟の世話を

する母(妻)の存在を見て、その一貫した姿勢に

学んでいるのだと改めて感じた。

 

言ってることとやってることが一貫するか

どうかはテーマごとに違う点も最後に記録したい。

 

私はどうも決まったルーティンが苦手で

すぐに"我流"を探そうとする悪い癖がある。

 

"何も考えず決められた通りにやりなさい"

と私が誰かに指導しようもんなら、周りは

「あいつは決められた通りやってない」となる

はずだ。だが私はそこを理解しているので、

「決められた手順を徹底して、それを疑い、

失敗を恐れず改善していくのだ」と言っている。

 

私は抗いたいのではない。探求したいのだ。

 

もっといいやり方がないのか、もっと楽に、

悩みながらやっている仕事や作業をもっと

簡単にできないか。それが私の一つのテーマだ。

 

格好をつけて言えば、最適化をいつも

求めている。自分にも、環境にも、だ。

 

それを公言していられるうちは、多少ルール

通りやらなくても「あいつは道を探してる」

と認識してくれるはずだ。

 

結論、自分は手順通りやるのが好きなら好き、

苦手なら苦手、でしっかりそこを一貫して

自分の良き行いにつなげていくのが筋道となる。

 

ある時はやる、ある時はやらない人から

一貫性を見出すのは簡単なことではないのだ。

 

全く我ながらに胸が苦しくなる話である。