ガツンとゆるい所感

機械工であり、二児の父であり、世界20カ国で遊んだり仕事した旅人がお送りする、仕事や生活での気づきや学び。毎朝7:30に更新していき、1000件を目標に記述を残します。

0211_完璧主義への挑戦状

毎日マレーシアで変な英語を話しつつ、

穏やかに旅をしながら、エンジニアリングを

している私は、英語が変なぶん、日本語だけは

正しく使おうという想いが強い。

 

日頃人の話を聞いて、その日本語どうなんだ。

と気になったら、その人に構わずに調べて、

(残念ながら)自分だけしっかり理解を深める。

 

過去にあった例。前職の元上司が、朝礼で

"みんなが"と言いたかったところをあえて

かしこまった様子で"かくかくが"と言った。

カクカクガ??各々と書いて、"おのおの"

じゃないのか?カクカクも有効なのか⁈と

辞書で調べた。カクカクはNGと知ってから

心の中でその元上司の他愛もない話に耳を傾けて

いる間「もうカクカク来ないかなぁ…」と

平静を装いながらワクワクしたりした。

 

今回はカクカクやワクワクが主題ではない。

◯◯主義、という日本語についての所感だ。

 

とくに"完璧主義"という言葉が耳に残るので

その言葉を主軸に私のものの見方を整理して

記録していきたい。

 

他にも何かあるだろうか。

民主主義、社会主義自由主義

これらは国や経済圏単位での思想を表すもので、

資本主義も同様に、個人の思想ではない。

 

秘密主義、菜食主義、利己主義。

聞くが頻度は高くない。やはり日常会話では

完璧主義という言葉が多用されているように感じる。

 

私が今回伝えたいことは、完璧主義は

他人からの評価を表すのではなく、ましてや

自分で公言することではない、ということだ。

 

例文1.

「AさんはXXに関しては完璧主義なところが

  あって、細かいところまで抜け目ない」

特に文法上はおかしくないはずだが、

私の観点からみると、少しおかしい。

"主義"は要らないだろうと感じるのだ。

 

完璧主義とは、英語でperfectionistと言うが

You know, I am a perfectionist.とは言わないし、

He is perfectionistというと、私の感覚では

野球のイチローのイメージを思い浮かべる。

 

従っていつかエンジニアとしてperfectionistと

称されたい、と心から願って努力している。

 

ところが、日本語で運用されている完璧主義はPerfectionistとは何かが違う。

 

例文2.

「彼は夜は酒飲んだりソファで寝たりするけど

完璧主義的に朝は早起きである」

日本語は悪くないが、やっぱり"主義"は要らない、

と私は感じてしまうのだ。言い換えるなら

 

"彼は完璧主義なので、夜もとことん人に尽くして

遅くまで接待したり寝る場所も問わないが

朝は間違いなく早起きできる人物だ。"

 

これが私の抱く"完璧主義"の正しい用法だ。

 

今使われている多くの完璧主義という日本語は

部分的に最善を尽くそうとする時間や想いに

対しての評価であって、生き様と結びつく内容

ばかりではないと私は感じ取ってしまう。

 

"主義"の中に生き様の要素が欲しいのだ。

 

日本人は完璧が好きなのは十分承知していて

口から完璧がもれてしまう感覚は理解できる。

 

例文3.

「彼女はダイエット中は菜食主義になる。」

私からみると、この例文と完璧主義は近しい。

>ほとんどの人生で肉食ってんだろ!

という気づきに結びついてしまうのだ。

 

彼/彼女は菜食主義だ、と称するのなら

"その君の生活の中に、肉は不要だ"という

生き様を内包して表現して欲しいのである。

 

そう、完璧主義がありふれるのは

私にとって寂しく、退屈に感じるのだ。

本当の完璧主義の価値が薄らいでしまう。

 

私の勝手な見立てだが、趣味にせよ仕事にせよ

子育てにせよ。自分の中にある玉を磨き続け

完璧な球体を作ろうと目指している人は

そんなに多くない。そんな人にとっての完璧と、

イチローが目指す完璧はもはや同じ言葉にあって

生き様としては全く異なるのだ。

 

完璧、と言いたいなら、自分の人生を賭けて

その玉を磨いてみせい!と私は自分に言いたい。

 

なので、他人には興味がないし"カクカク"の

元上司の言葉のあやを正す気も、間違いだらけの

自分の英語も歯牙にもかけずに暮らしていくが

世界で活躍するエンジニアとしての玉を

磨いてやろうという気概を持ち、いつまでも

新鮮な気分を保ち、いつかは仕事の成果として、

これは完璧です、という言葉を口にしたい。

 

幸い、私は表現主義であり行動主義だ。

いつかきっと、その願いを叶えるだろう。