0211_完璧主義への挑戦状
毎日マレーシアで変な英語を話しつつ、
穏やかに旅をしながら、エンジニアリングを
している私は、英語が変なぶん、日本語だけは
正しく使おうという想いが強い。
日頃人の話を聞いて、その日本語どうなんだ。
と気になったら、その人に構わずに調べて、
(残念ながら)自分だけしっかり理解を深める。
過去にあった例。前職の元上司が、朝礼で
"みんなが"と言いたかったところをあえて
かしこまった様子で"かくかくが"と言った。
カクカクガ??各々と書いて、"おのおの"
じゃないのか?カクカクも有効なのか⁈と
辞書で調べた。カクカクはNGと知ってから
心の中でその元上司の他愛もない話に耳を傾けて
いる間「もうカクカク来ないかなぁ…」と
平静を装いながらワクワクしたりした。
今回はカクカクやワクワクが主題ではない。
◯◯主義、という日本語についての所感だ。
とくに"完璧主義"という言葉が耳に残るので
その言葉を主軸に私のものの見方を整理して
記録していきたい。
他にも何かあるだろうか。
これらは国や経済圏単位での思想を表すもので、
資本主義も同様に、個人の思想ではない。
秘密主義、菜食主義、利己主義。
聞くが頻度は高くない。やはり日常会話では
完璧主義という言葉が多用されているように感じる。
私が今回伝えたいことは、完璧主義は
他人からの評価を表すのではなく、ましてや
自分で公言することではない、ということだ。
例文1.
「AさんはXXに関しては完璧主義なところが
あって、細かいところまで抜け目ない」
特に文法上はおかしくないはずだが、
私の観点からみると、少しおかしい。
"主義"は要らないだろうと感じるのだ。
完璧主義とは、英語でperfectionistと言うが
You know, I am a perfectionist.とは言わないし、
He is perfectionistというと、私の感覚では
野球のイチローのイメージを思い浮かべる。
従っていつかエンジニアとしてperfectionistと
称されたい、と心から願って努力している。
ところが、日本語で運用されている完璧主義はPerfectionistとは何かが違う。
例文2.
「彼は夜は酒飲んだりソファで寝たりするけど
完璧主義的に朝は早起きである」
日本語は悪くないが、やっぱり"主義"は要らない、
と私は感じてしまうのだ。言い換えるなら
"彼は完璧主義なので、夜もとことん人に尽くして
遅くまで接待したり寝る場所も問わないが
朝は間違いなく早起きできる人物だ。"
これが私の抱く"完璧主義"の正しい用法だ。
今使われている多くの完璧主義という日本語は
部分的に最善を尽くそうとする時間や想いに
対しての評価であって、生き様と結びつく内容
ばかりではないと私は感じ取ってしまう。
"主義"の中に生き様の要素が欲しいのだ。
日本人は完璧が好きなのは十分承知していて
口から完璧がもれてしまう感覚は理解できる。
例文3.
「彼女はダイエット中は菜食主義になる。」
私からみると、この例文と完璧主義は近しい。
>ほとんどの人生で肉食ってんだろ!
という気づきに結びついてしまうのだ。
彼/彼女は菜食主義だ、と称するのなら
"その君の生活の中に、肉は不要だ"という
生き様を内包して表現して欲しいのである。
そう、完璧主義がありふれるのは
私にとって寂しく、退屈に感じるのだ。
本当の完璧主義の価値が薄らいでしまう。
私の勝手な見立てだが、趣味にせよ仕事にせよ
子育てにせよ。自分の中にある玉を磨き続け
完璧な球体を作ろうと目指している人は
そんなに多くない。そんな人にとっての完璧と、
イチローが目指す完璧はもはや同じ言葉にあって
生き様としては全く異なるのだ。
完璧、と言いたいなら、自分の人生を賭けて
その玉を磨いてみせい!と私は自分に言いたい。
なので、他人には興味がないし"カクカク"の
元上司の言葉のあやを正す気も、間違いだらけの
自分の英語も歯牙にもかけずに暮らしていくが
世界で活躍するエンジニアとしての玉を
磨いてやろうという気概を持ち、いつまでも
新鮮な気分を保ち、いつかは仕事の成果として、
これは完璧です、という言葉を口にしたい。
幸い、私は表現主義であり行動主義だ。
いつかきっと、その願いを叶えるだろう。